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webadm | 投稿日時: 2017-8-13 11:11 |
Webmaster 登録日: 2004-11-7 居住地: 投稿: 3068 |
Re: ピアノ教本 ふう、一ヶ月のご無沙汰でちゅ(´Д`;)
前回「大人のための独習バイエル(下)」のステップ3に取り組む予定までは書いたよね。 ステップ2が4ヶ月もかかっても満足のいかない仕上がりにしかなってなかったことを反省して、練習方法というか譜読み段階の取り組み方を以前紹介した「現代ピアノ演奏法」ライマー=ギーゼキングの方法を取り入れみることにしました。 以前は譜読みはまず片手で弾いてみて耳で聞いて曲を覚え、難所を見いだすという耳コピー主導型でした。 耳コピー主導の問題点は、なんといっても「譜面を良く読まなくなる」という点につきます。 中の人は耳コピーに慣れているので、一回弾いただけで覚えてしまいます。間違って弾いてもそれを正誤の区別無しに覚えてしまうので、後で弾き間違いを無くすのに大変時間を要します。 なにせ中の人は宴会の後のカラオケのために以前歌ったのと同じ曲を歌いたくないので、Youtubeで新しい曲を覚える時も1回か難しい曲でも2、3回聞けば覚えて歌えてしまうので困ったものです。 なので今回は中の人に黙ってもらうように、下記の新しい譜読みのルールを徹底しました。 ・譜面だけ読んで頭の中で旋律が奏でられるようになるまで絶対に鍵盤で弾かないこと ・インターバルが3度以上あるパッセージの部分を洗い出して譜面にマークする(間違えやすいところ) ・ポジション移動が伴うところではポジション移動インターベルを計算して予め譜面にマークする(そのつどいくつ移動するか考える必要が無いように) ・転調のある中間部とかにはその旨マークを記入 これだけやれば、実際に鍵盤で弾いて確認しなくても運指の勘所とかは予めわかりますので、あとは頭の中でシミュレーションするだけ。 やってみて気づいたのが、下記の点 ・最初の頃は頭の中で(実際に声には出さない)階名で旋律を歌おうとすると、ピッチがあやふやで、所謂音痴体験をしたような気分になる ・中の人に旋律を耳から入れないように、ピッチに不安がある場合には、鍵盤で出だしの一音か、その調の基音だけを弾いて音取りすることだけは許容する必要があった(そのうち慣れるとすぐその必要もなくなりました) ・階名で頭の中で旋律を歌う場合に固定ドよりも、移動ドの方がしっくりくるのに気づいた(移動ドはその調の基音をドとして歌うのに対して、固定ドは所謂中央のドにドのピッチを固定する方法) ・頭の中で間違えずに歌えるようになってから、鍵盤で弾くとほとんど間違えない(最初ゆっくり弾いた場合9 ・以降通しで弾いても、間違えることが極めて少ない(運指が難しいところとかではうっかり間違えるけど、頭の中では正しく歌っているので、気づかない)、中の人は以前のように駄目出しをしない(演奏が途中で止まったり、やり直そうとしたりしない)、本当に最後まで弾いたのか記憶が残らない(何をどう弾いていたのか覚えていない) という驚愕の結果でした。 今までだと通しで弾いて仕上がりが近いなと感じるのに2〜3ヶ月かかったのですが、今回は1ヶ月で間違えることも少なく仕上がりが早いという結果になりました。 よく考えれば、耳から音楽を聴くという年月が長かったので、聞いた曲は細部まで頭の中で再プレイできるものの、それを演奏できるわけではありませんでした。それはあくまで、鑑賞するための耳の記憶でしかなかったわけです。 小さい頃から神童と呼ばれる人たちは、子供の頃に皆そうだったように、大人の会話を聞いて、意味も知らないのに、悪い言葉を的確に次の日から使いこなすようになるのと一緒で、耳で聞いたのを、そのまま指で鍵盤で再現できるのだと思います。 外国語を学ぶ時も、辞書とか本とかいくら読んでも上達しないけど、実際の会話を聞くと、知らない言葉の使い方やニュアンス、イントネーションを瞬時に体験するので、それを自分で使う機会が訪れた時にそれをすかさず再現すると確実に上達するので、英会話教室が無くならない理由はそこにあります。 なので、新しい練習曲に取り組み際には、誰かの模範演奏を聞いて覚えるというのは効率が良いようで、初心者はプレイヤー耳を持っていない限り、リスナー耳でしかないので効率が悪い。また聞いた時のインパクトが強く記憶に残るので、最初に聞いた演奏のニュアンスに染まってしまうという危険が潜んでいます。 ちょうど短編小説あるいは小節を読んで、想像力を最大限に働かせて場面をイメージするように、譜面を読んで自分の中でベストな演奏を想像して、曲想を掴んだ上で、第三者の演奏をその比較のために聞くのは良いと思います(ショックも大きいですが)。 今回は譜読みだけで暗譜というまでは課せませんでしたが、間違えずに最初から最後まで頭の中で奏でられるようになるまでは、絶対に弾かないという鉄則を徹底したことで最初譜読みに時間を要しましたが、毎日間違った演奏を繰り返すという愚を無くすことができました。 最初は詳しい譜読みに時間が必要でしたが、やることが決まっているので、慣れてくれば通しでゆっくり弾くぐらいの時間で譜読みが出来るようになりました。 譜読みの段階で解ることが以前に増して増えたというのも実感します。 ステップ3は、ステップ2の時より曲数が少ないのですが、1分前後の演奏時間の曲も増えたので、課題曲を合わせて総演奏時間は10分程度と短くなっています。 なので毎日の練習時間30分は、日課の「Pianoprima Excercise」の0、1を5分、「大人のための独習バイエル(下)」のステップ2の全曲メドレー13分、ステップ3の全曲メドレー12分という構成にしています。ステップ2は譜読みが甘かったので未だに満足いかない状態です。やっぱり最初の譜読みが肝心だよね。 さてステップ3の全曲の独自アナリーゼと感想は仕上がった時の次の機会にして、それまで読んだ本の紹介をしたいと思います。 最初に紹介するのが、以前も度々登場した青柳いづみこ著の「我が偏愛のピアニスト」。 著者が偏愛するピアニストって、どんな変な人たちなんだろうと、勝手に想像して最初に読み始めたのですが、蓋を開けてみれば、前書きにもあるように、著者が学生時代から一期一会で知り合った知る人ぞ知る名ピアニストの方々と後年の雑誌企画でのインタビューに基づいた連載記事を一冊にまとめたものという感じでした。 昔からプロのピアニストはあまた沢山居るので、ピアニストという名称でひとくくりにしてしまうと実際に演奏を自分の耳で長い間聞かないと外見でしか区別がつかないというのが事実。 やはりピアニストであり文筆家でもある著者の本領を発揮して、文章だけでその人のピアニストとしての個性や特徴を最大限に紹介しています。 しかしそれはやはり文章で音楽を表すのには限界があるので、この本を読んで、紹介されているピアニストの演奏を一度聴いてみようとなるのには十分すぎる内容だと思います。 次に紹介するのも「六本指のゴルトベルク」青柳いづみこ著 ゴルトベルクというと言わずと知れた、大バッファの「ゴルトベルク変奏曲」のこと、では六本指とは? 本書のタイトルの元ネタは、映画で有名になった、「羊たちの沈黙」とその続編「ハンニバル」、トマス・ハリス著、に登場するレクター博士が六本指で、バッファのゴルトベルク協奏曲のアリアを幻聴する小説内のエピソード。 日本の女性ピアニストは小さい頃にピアノの練習をしながらミステリー小説やサスペンス小説を読むという離れ業をしていた人が多い気がする。今まで紹介した本でも、角聖子、青柳いづみこ、どちらも著書に子供の頃に練習曲を弾きながら譜面台には好きな小説を開いて読んでいたという体験を書いている。 もしくはそのお二人だけ例外だったのか? 他のピアニストでも居そうな気はする。 この本は著者がそうして子供の頃から夢中になっていたジャンルの小説でひときわピアノと関係の深いものをピックアップして、一挙に紹介しているもの。 へえ、こんなにピアノに濃い小説家が沢山いたのね、というのが正直が感想。それにしても、どんだけ読んでいるのかと。長い読書生活のたまものですね、それと文筆家ならではの視点というか目の付け所が違う、ピアノの話題が出てきても、ピアノに疎いと印象に残らないし、深く探ることもしないしね。 自分の好きな分野の話題が出てくる小説があれば、記憶に残っているのと同じだよね。 内容は最初はレクター博士のことで持ちきりだけど、後半はそれ以外の小説で、ピアノに濃い小説(もしくは有名な映画の原作小説)が次々登場します。 映画とかでも今まで見た中にもピアノの話が出てくるものを知っていますが、この本には出てきていないのでは、「グッドウイルハンティング」が記憶にあります。主人公は子供の頃に父親から虐待を受けた天才的な数学の才能を持つ男子、そこでこれらの生涯の伴侶となり得る大学生の彼女に出会うことになるのですが、その時の彼女が自分の伴侶に出会ったと核心した時の会話にピアノの例えが出てきます。 最近になってYoutubeで見た「The Piano](邦題はピアノ・レッスン)は、劇中に主人公役の自ら吹き替えなしで演奏するマイケル・ナイマン作曲のピアノ曲(The Heart Asks Pleasure First)が有名。「グッドウイルハンティング」は子供が見ても良い映画だけど、「ピアノ・レッスン」は18禁シーンがあるので、子供に見せられないのが難点。大人になってから見てね。 The Heart Asks Pleasure First は世界中の沢山のアマチュアの間でカバーされているけど、はぐれコンサートピアニストのValentina Lisitsaは何故かマイケル・ナイマンの曲に惚れ込んでしまったようで、youtube を介して自身のカバーしたアルバムのプロモーションビデオをいくつも公開している。さすがにいつもながら心がこもった演奏には聴き惚れる。 若い頃は隔月で海外に仕事で出かけていたので、行き帰りの飛行機内で最新の映画を見る機会があったものの映画館に足を運んだのは数えるぐらい、どこかで見た記憶があるのは大抵飛行機で見たものだったような。 近年は映画も音楽にお金を惜しまないので、優れた作品が作られているよね。 本書では映画でのピアノ曲については触れられていないけど、個人的には下のyoutube動画を見て、その後で youtube で映画(実在する人物の実話をベースにした、Intouchable:邦題は最強の二人)そのもの見て二度感動した覚えがあります。 Ludovico Einaudi の作品はたくさんの人がカバーしているよね。その中でも上のLéiki Uëda というピアニストは初めて知る存在。名前がウムラウト記号を使って書かれているけど、生粋の日本人であることは確か。日本在住ではなく、ドイツかそのあたりで研鑽してそのままあちらに在住し、あちらでお嫁さんをもらったのかな。海外で研鑽する日本人ピアニストは年々増えているから、この水準の演奏をする人はざらに居るので注目を得るというのはむつかしいのかも。 もうひとつ youtube で今まで見たことがなかった気になるSF映画の名シーンだけ切り取って沢山アップロードしている人が居て、芋づる式に見て行ったら、どうせなら断片ばかりじゃなく本篇を見ないという罠にかかって、youtube でレンタル視聴して感動したもうひとつの映画、以下のピアノ演奏カバーも映画を見るきっかけでもあるけどね。 演奏している Kylelandry は youtube ピアニストとして有名。デジタルピアノでの演奏が秀逸、男性らしい力強い演奏も特徴。人気があるので、ニューヨークで生のグランドピアノ演奏によるコンサートを開いたりしているほど。 続いて読んだのが「音楽と文学の対位法」青柳いづみこ著 この本は、著者のライフワークでもあるドビッシー研究の過程で発見した19世紀に生きた同時代の著名な音楽家と著名な文学家が実はかなり相互に影響を及ぼしあっていたのではないかという仮説を題材としたもの。 さすがに19世紀のヨーロッパ大陸で生きた名だたる作曲家や文学家の名前は記憶になっても、普段どんな社交生活をしていたのかや、どんな人々と出会っていたり、見聞きしていたのかというのは本当に調べた人でないと書けない。 後で紹介する本もそうなのですが、著者の綿密な下調べは半端なものではなく、やはり論文を書いている人だけあって、自身の結論に導くために必要なものと、読む手(素人も含む)が退屈しないような興味深い短いエピソードとかも忘れずにプロットしている点。 微細に紹介はできないので、読書感だけにとどめまずが、一番興味深かったのは、第5章のラウェルとレーモン・ルーセルで、ラウェルがジジというゼンマイ仕掛け(clockworks)のおもちゃをコレクションしていて、その中の一つナイチンゲールという小鳥がお気に入りだったということ。それにすでにその時代に今でいうサイバーパンク小説の原点というべき作品が数多く書かれているのが紹介されていてびっくりした。 個人的には、EverQuest で Gnome の故郷を初めて訪れた時にたくさんのClockworks(人型や生き物を模倣したロボット)が当たり前のように生活しているのを見て衝撃を受けると同時に、初めてではない、どこか不思議な親近感を感じたのを忘れない。 たまたまyoutubeで昔のFM東京でやっていた「小室等の音楽夜話」で当時衝撃的に登場した森田童子がゲストの回の録音を聞いた時、小室等が新アルバムジャケットのイラストが人造人間風だという話をふったときに、森田童子が、機械とかロボットが人間のように歌ったり演奏したりする姿にずっと憧れていた、とかいうようなことを話していたのが強烈に記憶に残っている。 そんなこんなで、自分自身のルーツをこの本は見事にカミングアウトしたという点で他の内容はほとんど忘れてしまったけど、そこだけは鮮烈に記憶に残って今も、考え続けるべきテーマとなっていたりする。 この本の最後は著者が専門とするドビッシーの章で締めくくられているが、そこだけ読んでも面白くないので、最初から最後まで順番に読むことをお勧め。 さて次に紹介するのは「グレン・グールド未来のピアニスト」青柳いづみこ著 先のゴルドベルクつながりで選んだのですが、グレン・グールドは20世紀のカナダ人のピアニストで、バッファのゴルドベルク変奏曲で劇的なレコードデビューを果たしたことで記憶に新しい(といっても私が生まれた頃の話)。 20世紀の有名なピアニストは数多く紹介しきれないですが、その中でも忘れられてはいけないという一人に入っていると思います。 他の同時代のピアニストの中では異質なのは、早々に演奏家生活を引退してスタジオ録音での音楽活動に専念したという点。 未来のピアニストという副題は、そうしたライブでの演奏で最上を目指す従来型の典型的なピアニストと違って、満足いくテイクがとれるまで何度も弾き直し、結果が良ければ複数のテイクを編集でつなぎ合わせて完成させるというスタジオならではの音楽作りを取り入れていった新しいタイプの人を指しているのかもしれません。 それだけではなく、20世紀は音だけのラジオではなく、映像を伴ったテレビという放送媒体が主流になった時代でもあり、それに向けた独特の音楽レクチャー番組を企画製作したのも彼の新しいピアニスト像でした。 何度見ても話がむつかしくて何を言っているのか未だに理解できません、それに番組の途中で切れてるし(´Д`;) 下の番組ではもう少し素人向けに内容が構成されていてバッハが身近に感じられるかも。 依然として難しい解説の意味は不明ですが、この時はバッハの対位法(Counterpoint)に関して焦点をあてているのだけはわかります。 Youtubeを検索すると、彼が残した沢山の映像ソースを見ることができます。それまではピアニストというと、演奏会での姿以外はプライベートで秘密という印象が強いですが、彼は自身の日常の練習の様子や、散歩中の様子を映像に残しテレビで放映していたりします。子供の頃にすでにテープレコーダーで自分の演奏を録音して聞き直していたというのですから、その頃にすでに将来の芽はあったのでしょう。 このドキュメンタリーでは実際に彼の本番録音時の一部始終が記録されています。何得できる完璧な演奏ができるかどうか演奏後にすぐ再生して念入りにチェックしています。弾くだけでなく聞くために二倍の時間の集中力が必要ですね。 彼の演奏スタイルで有名なのは、ピアノを弾きながら同時に鼻歌(ハミングみたいな感じ)で演奏しているのとは別の声部のメロディーを歌っているという点です。レコードにもそれがマイクに載って録音されています。 本書を読むと、彼のハミングが強くなるのはピアノの響きが期待に反して弱いときだと書かれています。 革職人だった父親に作ってもらった折り畳み式のマイ椅子を演奏の時には常に携帯して持ち運び使用していたのも有名。椅子の高さもかなり低く、手がかろうじて鍵盤の上である以外は腕は鍵盤より下という異例な姿勢。それが彼の演奏スタイルや表現手段に強い個性を与えていたということも言えます。 このドキュメンタリーでは、本書にも出てくる、彼のマイ椅子に関して遺書に書いてくれれば、スタインウェイ社が永久保存して歴代の名ピアニストの愛用椅子と同様に展示するよという冗談のような本気の会話が最初に出てきます。最終的にはその話は冗談で終わり、彼の死後遺品のすべてはカナダ国立図書館に寄贈された。 そんなこんなで、かなりページ数がありますが、著者のグレン・グールド研究の成果を一挙公開という感じがします。それでいて長いとか退屈とかいう感じは一切なく、ページ毎に新しいことや知らないことが書かれているので大変読み応えがありました。 やはりというか文章だけでグレン・グールドの世界を語るのは限界があるのは確かですが、著者は十分それをやってのけていると思います。あとは実際に彼の音源や映像に接すればよいだけです。 次に読んだのが「ショパン・コンクール」青柳いづみこ著 以前に紹介した有名な「チャイコフスキー・コンクール」中村紘子著を彷彿させるようなテーマの本を手にとってみました。 日本人も毎年数多く参加して、入賞者も多く輩出しているもののまだ優勝者が居ないというポーランドはワルシャワで開催される国際ショパン・コンクールについて実際に公式記者として取材活動をした著者の視点によるコンクールの過去・現在・未来を述べたもの。 ショパン・コンクールは、過去にいろいろ有名な事件があったことでも知られています。 どうしてそんな事件が起きてしまうのかという疑問から本書は始まっていますが、取材や多方面からの調査を通じて見えてきたのが、ショパン・コンクールの目的と目標が内在する自己矛盾にあるというのが著者の洞察。 何をもってしてショパンらしい演奏と言えるのか、聴衆を魅了する演奏とは同意なのか? ショパンらしい演奏といった時点でもすでに相反する2つの立場が存在します。譜面に忠実(新即物主義的)な派と、聴衆を最大限に納得させる独自の解釈や表現ありな派とに分かれてしまいます。 19世紀後半から20世紀初めごろには譜面に忠実な演奏が高く評価されましたが、現在のピアニストの演奏と聞き比べると、落ち着きがあるものの、個性を抑制しているようにも聞こえます。安心して聴けるというのが正直な感想。最近の人の演奏は聞くのが怖い気がします、もし途中で自分が気にいらなくと感じたらどうしようとか、聞く前から気になってしまいます。 ピアニストでもある著者の強みを活かして、さまざまな視点や人物に取材してひとつのショパン・コンクール論をまとめたという感じがします。 なかなか国際音楽コンクールの内情とか性質とかは参加しようとしない限りわからないかったり、参加してもなんだかわからない理由で振り回されることがあるのは想像できます。 採点システムとかも、以前問題があってその都度改善されていったフィギュアスケートの例にもあるように、開かれたコンクールという立場も明らかにする意味のある本だと思います。 過去にTV局が企画取材編集したショパン・コンクールのドキュメンタリー番組を youtube でいくつか見ることができます。 これは1985年にブーニンが優勝し、日本のミッチーこと小山実稚恵が入賞した年のドキュメント。小山実稚恵さんはホテルで居る時も集中力を絶やさないように詰め将棋の本を持参するというユニークさ(´∀` ) こちらはその5年後の1990年の1位無しの2位ケビン・ケナー、3位が日本の横山幸雄という時のもの。 今回はここまで。 まだ先月から読み始めたバッハのピアノ演奏法第二部があるんですが、まだ十分読み切っていない(内容が濃すぎて読み終えられるのか謎)の本もあって、それは一段落したら、読んだ意義も含めて紹介することにします。 んじゃまた。 |
webadm | 投稿日時: 2017-9-20 12:33 |
Webmaster 登録日: 2004-11-7 居住地: 投稿: 3068 |
Re: ピアノ教本 ふう、早いものでピアノが家にやってきてから1年が経ちました。
前回は「大人のための独習バイエル(下)」のステップ3に入ったところまで書いたよね。 ピアノと毎日向かい合う日々が一年に及ぶと、以前書いた通り、自分を映す鏡的な存在のピアノは、ますます自分の内面を鮮明に映しだすのでした。 ピアノが好きになると毎日もっとピアノを弾いていたいと思うのですが、そうすると朝の練習で出勤時間を逸してしまうことになります。 そこでピアノは自分の内面を映し出すと同時にこちらに語り掛けてきます。 ピアノ:「もう出かけないとよ」 自分:「ううん、このまま弾いていたい」 ピアノ:「だめ、職場で首になっちゃうでしょう、そしたら収入がなくなるよ」 自分:「そうだね、収入が無くなったらここに住んでいることもできなくなるね」 ピアノ:「だからもう練習は切り上げて、出かけないさい。毎日の練習は30分でいいから」 自分:「うん、そうする」 アルバイトの仕事を2つ掛け持ちしていて、そのひとつは宿題があります。クライアントからの相談に対して解決の提案を考える必要があります。それはとても面倒なので、現実逃避で帰宅するとピアノに向かって眠くなるまで練習してしまいます。ピアノはそうした自分の内面を映し出して訴えてきます。 ピアノ:「今日は宿題があったでしょう」 自分:「うん、知ってる」 ピアノ:「練習とかやってる状況でないでしょう」 自分:「だって宿題面倒だし、できればやりたくないし」 ピアノ:「自分で引き受けたんじゃないの?だったらそれ優先じゃない?」 自分:「うん、そうんだけど」 ピアノ:「練習時間は短くしてもいいから、宿題を優先して」 自分:「うん、そうする」 ピアノ:「短期間には上達しないけど、丁寧な演奏を短時間でも毎日積み重ねれば着実に上達するから」 自分:「うん、わかった」 ピアノに真摯に向かいあうと、人間としてどう正しく生きるべきかというのが映し出されてきます。不思議です。 そういう意味でピアノを練習すべき理由のひとつと言えます。 仕事を優先することで毎日の練習時間は増やすことはできないのですが、短い時間でも丁寧な演奏に心がけることで1年前と差がでてきました。 テンポはまだ遅いですが、ほとんど間違えずに通しで演奏ができるので、しばらくの間は録音していませんでした。ステップ2も時間のある土日とかは通しで弾いていますが、最近また録音して聞き直してみました。 1年前は、丁寧に弾いているつもりなのに録音を聞くとおよそ丁寧に弾いているとは聞こえないという問題がありましたが、一年後の今はまったくそれがありません。とても丁寧に弾いている感じがするのです。 1年かけてようやく、丁寧に弾いていると感じさせる演奏を手に入れることができました。 話は変わって、デジタルピアノではヘッドフォンで音を聞くのですが、1年前は、どうも自分で演奏している音に聞こえないという問題がありました。 でもそれもちょっとの工夫で、自分で弾いた音に聞こえるようになりました。 それはヘッドフォンを少し耳の中心から顔の前面に移動させることです。 それによって音が自分の前方から聞こえてくることになり、違和感がなくなります。 今まではヘッドホンで耳を完全に塞ぐ形だったので、音が自分の頭の中心で鳴っているように聞こえ、はなはだ違和感があったのでした。 ヘッドフォンでなくデジタルピアノ内蔵のスピーカーとかを鳴らせば前方から自然に聞こえるのですが、夜中はそれは無理。なので、ヘッドフォンをわずかに顔の前面に移動することで同じ目的を果たすことができるということに。 譜読みが終わった段階で最初から間違いなく弾けるようになったのは、譜読みをライマー=ギーセキング流に変えたのが効いた気がします。 丁寧に弾いているように聞こえるようになったのは、1年間の練習の蓄積によるとしか言いようがありません。 また毎日の練習の始めに以前に紹介した「Pianoprima Exercises」のLevel 0 と 1をやっていたのが効いたのかも。 以前に紹介した「ピアニストへの基礎」田村安佐子 著の言葉を再び引用します。 引用: はじめは無益に思えるかもしれませんが、何ヶ月か練習を続けていると基礎が出来てきて、あとで非常に役に立ちます。 「Pianoprima Exercises」はLevel 0, 1が易しく弾けるようになったので、今はLevel 2も加えるようにしています。Level2ではちょうどバイエルでもちらほら出てきた半音階(chromatic)スケールが出てきます。半音階スケールは3本の指だけで弾くやつね。456を使って白鍵と黒鍵が作る谷間を這うように弾いていくものと、123を使って白鍵と黒鍵の作る裾野を素早く疾走しながら弾いていくものの2タイプがあります。前者は最初弾けそうもない気がして諦めかけたけど、ゆっくり間違えずに練習していたら目をつぶっても弾けるようになりました。指が太い人は黒鍵と黒鍵の間に指が挟まってしまわないようにポジションに工夫が必要かも。 さて、「大人のための独習バイエル(下)」ステップ3も仕上がりが近づいてきたので、感想を書いておきます。 74番 G-dur Moderato 通称「三連符」と呼ばれるぽい。3連符自身はそれ以前にも出てきているけどね。ずっと最初から最後まで左手か右手どちらかで続くというのは最初かも。 見開き2ページの譜面。長いようですが、テンポが速いので演奏時間は1分で今まで登場した曲の中では長い方ですが、最長ではありません。 下巻からは八分音符が導入されたので、四分音符だけの上巻と比べて音符数が格段に増えていますのであなどれないです。 典型的なホモフォニーな曲で易しそうに見えますが、7小節14小節の間はバスとメロディーの声部交換が頻繁に繰り返されるようになります。 なので常に頭の中で次の音型を記憶から呼び覚まして切り替えに備える必要があります。漫然と指の記憶だけで弾いていたのではそこで間違えてしまいます。それは大事故になります。 後半の16小節からは前半には出てこなかった同音連打が登場しこれも予め備えておかないと間違えてしまいます。 そして最後のカデンツ(Cadence)はpでしかも3つの3和音で突然終わるので、それまでに予め十分ディミニエンドしておく必要があります。 とにかくこれからはピアノというのは漫然と体で覚える方法ではなく、頭で覚えて頭で弾くようにしないと、一生弾きとおせないということをこの段階で肝に銘じる必要があります。 和声進行は、イントロがG-C-G、以降はそれにG-F6-GもしくはG-Asus4-Gが加わります。バイエルはsuspensionを使うのが得意な模様。 Youtubeの模範演奏ビデオは何を紹介しようかと迷うところですが、やはしこれにしました。 出だしから三連符とdolce感が滑らかで羨ましい、これは名演が聴けるかと誰もが期待するところ、でも当人は本番に慣れていないのか、演奏開始を逸るところとか指が緊張しているのも観てとれます、やはり先に挙げた転換点で最初の事故が起き、その後も同様の事故が続き最後まで止まらずに弾けたのが不幸中の幸い。練習ではちゃんと弾けていたのかもしれませんが、たぶん練習でも同じミスが解決できずに本番に臨んだのかも。2曲目の難しい対位法の曲を大きな事故なく弾き通せるぐらいなので、かなり上手なんだと思います。三連符の滑らかさは他の同年代や大人の先生の演奏にもないこの子だけの魅力です。同じ74番でも再生回数が4桁と桁違いに多いのがうなづけます。 もうひとつ模範というかプロが弾いたらこうなる例で、初心者は安易に模倣しないようにという演奏は以前にも紹介した北米の大学模範演奏ビデオ。 三連符の滑らかさでは先の子に負けず劣らず、メロディーパートは声部交換しても明確に聞こえるようにバスパートは常に控えめにコントロールされている点に注目。当然ノーミスでプロならではの安易に真似のできないアゴーギクを駆使した演奏になっています。 75番 D-dur Moderato 通称 Ice Dancing と呼ばれているぽい(海外)。 これは少しゆっくりした対位法的な古典舞曲。 右手も左手もそれぞれ独立した旋律と音型をもっているので、右手も左手も互いに互角。どちらか控えめだと不自然に聞こえます。 和声進行は出だしの7小節まではDと単調、残りの繰り返しの2部はG-Dの繰り返しでメリハリがついて、ちょっと音型の違うコーダ付き。 演奏時間は45秒と短いですが、デュナミークと調号に気を付けて控えめに抑えるべきところは抑え、引き立てるところは引き立て、黒鍵を弾く部分は間違えて白鍵を弾かないようにしないとね。 和声進行は、前半が D-D7-D, 後半は D-G-D という感じ バイエルはこの曲を連弾曲としては作曲していないのですが、Youtubeを見ると素敵な連弾曲演奏がいくつも投稿されています。 連弾アレンジの出典は、"Faber Piano Adventure"ピアノ教本シーリーズの中で3連符が登場するLevel3A Lesson Book p46だそうです。 Faber Piano Adventureシリーズは演奏教本、音楽理論、模範演奏CDと網羅された教材体系でカラー印刷で面白そう。買ってみようかな。 下はピアノの先生が先の教本の Ice Dancingのページを譜面台に開いた状態で模範演奏と演奏上の注意点を説いている動画。 連弾時の伴奏部分は右のページの下の方に記載されているぽい。 詳しく知るには買うしかないね。 76番 G-dur Allegro moderato 最初に譜読みしたときに驚いたのが、後半に良く知っているクリスマスの讃美歌、通称「きよしこのよる」のモティーフが出てくる点。 もともと讃美歌「きよしこのよる」の原曲(Stille Nacht, heilige Nacht!)はドイツで1818年に初演されているので、バイエルもこどの頃から良く知っているし、学生時代は合唱部にも属していたのでクリスマスの時期には歌っていたはず。 なのでこれはクリスマス用の曲なのかも。 この曲はバスパートの拍頭がほとんど休符だというのと、メロディーパートは微妙にシンコペーションしていて、オフビートで鳴らす部分が出てくる点が慣れるまで大変。 和声進行は、イントロがG-Gsus4-G, 後半はG-C-G, G-Gsus4-Gという感じ。 Youtubeでの模範演奏というか名演はこれしかないかも。 77番 C-dur Moderato 久々にハ長調の曲。 最初ホモフォニーな感じで始まるけど、実はホモフォニーと対位法の混成曲。 指のポジションコントロールをちゃんとしないと事故が多発。 ポジションは体で覚えるしかないね。目視確認しなくても間違わずに弾けるようになるのが理想。 和声進行は、最初と最後が C-G-C-F-C, 中間部がC-G-C。 国内では地方のコンクールの課題曲に選ばれたときもあるのね。 ステージで落ち着いてよく演奏できていると思います。 プロが演奏するともっと違う曲の様に聞こえてきます。 この演奏は多いに模倣したい(やれるもんなら)。 78番 G-dur Allegretto これは安心なホモフォニーな曲と思いきや、中間部で初めて保持音(Orgelpunkt:オルゲルプンクト)が登場。 オルゲルプンクトはバロック時代のオルガン曲やフーガなどのコーダ部分とかで対位法的なバスパートとして定番のもの。やはり基本中の基本として登場。 今までアルベルティバスに慣れていたので逆にバス音を抑えたままで中間声部を同時に弾くというのは慣れないとむつかしい。 それ以外にも運指パターンが身につくまで苦労させられる部分もある。右手と左手ともに最後の2泊が休符になるところがあるので、右手と左手とでタイミングを合わせないと不自然になってしまいます。 模範演奏は、埼玉純真短期大学のこのビデオが参考になります。 この動画の解説では、中間部で二長調(D-dur)に転調していると書かれています。バイエルは特別調号を記載していないので気づかないですが、言われてみれば確かにそうだとわかります。中間部ではC#が表れないので、調号としてはG-durと一緒とということでバイエルは省略したのでしょう。 幼稚園の先生とかになるにはピアノ必修だし日本ではバイエルが必修。なので今も需要があるのね。 79番 A-dur Comodo 初めてのイ長調な古典舞曲形式の曲。 対位法的にバスとメロディーが小節毎に声部交換するのもバイエルが良く使う作法。 デュナミーク的にはpで始まり、フレーズのピークでフォルテ、最後はクレッシェンドで終わる今までにないパターン。 なので解釈によっては全然違った曲になる可能性あり。 模範演奏としてはこれだというのは無いけど、その中でも一番好きなものを挙げればこれになります。 投稿主は年齢とともに演奏者が成長していく様子を記録しているようです。どことなく幼少の頃からじゃじゃ馬的な個性的な演奏をしていた Yuja Wang とどことなく似ています。 80番 D-dur Allegretto 再び二長調の古典舞曲形式。第一部と第二部が繰り返しありなのも初登場。繰り返しを省略しないと演奏時間は56秒と長い部類に入ります。 この曲はメロディーパートの拍頭が八分休符で始まるり最初の音がオフビートという小節が多いのが難儀。バスは拍をきっちり刻んでいくので、タイミングを正確に保つのに慣れが必要。 中間部では前打音と手の交差が登場。 バイエルの初版本では前打音記号の意味として, vorschlag と appoggiatura と注記してこの曲での演奏の仕方が演奏譜と対比させて解説されている。 vorschlagはドイツ語でappoggiaturaはイタリア語の違いだけではなく、後者は声楽由来の用語で今日では長前打音もしくは倚音と意味的にも演奏法的にも異なる。日本では前打音でひとくくりだけど、訳書とかではそうした違いがあるので原語がそのまま使われていることが多い。外国語も良く知っておく必要がある。 第一部は二長調、中間の第二部がへ長調に転調し、第三部で第一部が再現。 和声進行は、第一部と第三部は D-Dsus4/Gsus2-D, 第二部が G-C-Gsus4-G。 バイエルはsuspensionを使うのが好きみたい。 模範的な演奏はいろいろありますが、逆に個性的な演奏というのが見当たらない。なので無難な埼玉純真短期大学のビデオを挙げます。 81番 A-dur Allegretto アウフタクトの典型的な古典舞曲形式。 80番みたいなオフビートから始まるような音型はないものの、メロディーパートのフレーズの開始が必ずしも拍頭でないというのが難点。 それと跳躍を伴うパッセージがバスとメロディー共に現れるので注意。 まあ、アウフタクトなのでフレーズは最初から拍頭から始まっていないので当然なんだけど。 第一部と再現部(第三部)がイ長調、中間の第二部が二長調。 和声進行は、第一部と第三部がA-Asus4-A, 第二部が D-Gm-Dsus4-D-Dsus4-D、 個性的な模範演奏としてはやはりこれ。 同音連打部分がかなり特徴的に響きます。森に住むキツツキが木をつつく音なのかな。 82番 E-dur Allegretto 初めて登場するホ長調のアウフタクトで始まる古典舞曲形式。 一部と二部が繰り返しあり。中間の二部はイ長調に転調。再現部の第三部で再びホ長調に戻る。 調号に#が3つもついているので、白鍵と黒鍵を弾き間違えないようにする点が注意。 アウフタクトなのでメロディーパートのフレーズが必ずしも拍頭から始まらないのも注意。 最後の長いコーダを弾き切るには練習あるのみ。 コード進行は、E-Esus4-E, A-Asus4-A, E-Esus4-E。 個性的な模範演奏で初心者は真似しちゃいけない演奏はこちら。 アゴーギクを多用しているので初心者は真似しちゃだめだよ。それ以外の解釈に関しては参考になるところ多し。 83番 C-dur Allegretto ハ長調の対位法的な器楽曲。 フレーズ開始音の指のポジショニングを間違えると大事故。 基本は両手でのスケールのチェイニングなので滑らかにつながるように弾くのがポイント。 最後に長いコーダ部分はスケールの並進行で始まって反進行で劇的に終わる。 コード進行はスケールなので単純に、C-G-C。 この曲の演奏のアップロードは意外にも少ない。模範的な演奏はこちら。 84番 C-dur Allegretto ハ長調で8分の6拍子の器楽曲。 4声部のように見えるけど、右手は左手のオクターブ違いの同一音型のため、二声部のユニゾンである。 左手と右手で同じ音型が半小節シフトしているだけなので、片方だけ覚えれば両手覚えたのも同然。 前半と後半とでは三連符が上昇するか下降するかの違いだけで、コード進行は同じ。 なので前半を覚えれば、後半のポジショニングは前半と同じでよく、3連符を上昇から下降に変えるだけ。 ポジショニングを覚えて、あとは早いテンポで間違えずに弾くだけ。 最後のカデンツにフェルマータがついています。鍵盤から指を話さないで耳を澄ますと、低音の唸りのピークが遅れてやってくるのがわかると思います。バイエルはその低音の唸りの響きを意図的に利用するためにフェルマータ指示をつけているのね。 現代のピアノは平均律で調律されているので、唸りが生じない音程差はオクターブだけで、それ以外の音程差では必ず唸りが生じます。 短時間では気にならない程度に唸りの度合いは平均化されていますが、低音になるほど唸りの周波数が低くなるので、音を長く保つと唸りも地響きみたいな感じになります。 特に注意しないといけないのは、ペダルでダンパーを完全に外すと低音弦の唸りが最大化されるので、悪い響きの代表例になってしまいます。なのでハーフペダルというテクニックで弦の振幅の大きい低音弦側は少しダンパー制動が効く感じにするのが普通みたい。 Youtubeにはこの曲が多数アップロードされていますが、大抵はアマチュアの練習記録みたいなもので、この演奏のようにインテンポで曲想がきれいに出ているものは限られます。 85番 F-dur Allegretto 初登場のへ長調四分の二拍子の短い器楽曲。演奏時間は21秒。 典型的なホモフォニーな曲ですが、途中で左右の声部交換があり短い演奏時間ながら最初から最後まで集中力が必要な曲。 まあ声部交換は車の運転で、交差点をノンストップで左折したり右折したりするのと似ていて細心の注意が必要です。 この曲の第二小節の後半にバス側に5thを抜いた7thコードが出てきます。 ここがとても良い響きがするので好きな曲です。 後半にも他の調からの借用コードが出てきて、また違った緊張と解決が味わえます。 黒鍵を弾くのはB♭だけなので運指がややこしくないのが良いところ。 解釈によってはフレーズはかなり長くなるのでスピードの出しすぎに注意。 海外でいろんな曲の模範演奏をアップロードしている大人のピアノの先生と、この子の演奏に違いが見いだせなかったので、こちらを模範として挙げます。 個性的な演奏は唯一こちら。常にメロディーが右手から左手に移っても明瞭に聞こえる抜群のコントロールです。 P.S バイエルの初版本を見たら、この曲の後半からはmarcatoの指示が書かれており、前半のdolceとは違ってlegartoよりも幾分 staccat 寄りに歯切れよく弾くのが作曲者の元来の意図ぽい。そういう意味では上の演奏はオリジナルの意図通りということに。「大人のための独習バイエル」の編者は、バイエル初版本ではなく後生の校訂版をベースにしたと思われる。 ステップ3の課題曲:F-dur Tempo di Valse 「すみれ」ストリーボックスより これは「大人のための独習バイエル(下)」のステップ3終了判定課題曲。 Youtubeで検索したら、この段階の生徒の発表会用の曲として国内では良く演奏されるみたいだね。 確かに使用するテクニックがバイエルのステップ3で出てくるのと一緒。 7thコードが出てくるのも一緒なので、響きを大切に。 へ長調で四分の三拍子のワルツ。 原曲はダカーポ付きの3部形式で、まったく異なる落ち着いたモティーフの第三部を経て第一部に戻って終わる長い演奏時間の曲ですが、「大人のための独習バイエル」の著者は第三部とダカーポを省いて短いながら不自然ではない曲に編曲しています。 コード進行は単純で、F-C-F, C-G-C, F-C7-F 編曲された「すみれ」の模範演奏はこちら。 ピアノ教師による原曲の模範演奏はこちら。 ストリーボックスは作曲者のペンネームのひとつで、原作者はそれ以外のペンネームを使って1000曲以上も作曲したらしい。チェルニーに匹敵する規模かも。バイエルと同時代にはすでにロマン派の黎明期で芸術的に高い短い演奏時間のエチュードを作曲するのが一大ブームで、リスト、ショパン、その他の作曲家が超絶技巧を駆使した難易度の高い曲を残していましたが、基礎段階の練習曲や発表曲は皆無でしたので、バイエルやブルクミュラー、ストリーボックスが脚光を浴びることに。それまで数多くの練習曲を必要に応じて出版してきたチェルニーもリストから献呈された最初の練習曲集(超絶技巧練習曲集)で触発されたのか、ショパンがリストに献呈したような難易度の高い練習曲を遅ればせながら残しています(所謂チェルニー50番練習曲集)。演奏会ではチェルニーのそうした超絶難易度の練習曲は演奏されないと思っていましたが、北米を演奏して回ったピアニストが居たそうです。 「すみれ」を検索したら違うのがひっかかった。 これはなんだとチェルニー50番で更に調べたら、コンサートで弾いて回ったピアニストが昔いたことが判明。 Irina Smorodinova は戦後になって遅ればせながら北米デビューしたピアニストで、それもそのはず、かの Emil Gilels の高弟の一人だから。 Emil Gilels の wikipedia のページにはピアノの前に座る Emil Gilels とそのピアノを取り囲む弟子達の写真の中に紅一点の彼女の姿が確認できます。 検索すると当時のコンサートレビュー記事とかが見つかり、どうやら批評家からは評価されなかったみたい。それもそのはず、コンサートプログラムのほとんどがチェルニー50番から25曲とか、聴衆がチェルニーのテンポの速い練習曲で疲れきった頃にやっと最後にラフマニノフの前奏曲 op.23 を演奏したとあります。北米での別のコンサートでは、チェルニー50番の残りの25曲と、最後にリストの編曲によるラベルのスペイン狂詩曲で締めくくったとあります。ソビエト時代にレコードも出していてやはり内容はチェルニー50番練習曲集でした。 チェルニーの50番が上手に弾けるなら、同時代の名曲や超絶難易度の曲はわけなく弾けるはずなのに、そうしてこなかったのでしょうか?チェルニーだけ練習していたのでしょうか。 チェルニー50番がらみで検索していたら、現代のピアニストがチェルニーの前で彼の練習曲を見事に弾き切ってみせたらどうなるかというのを、チェルニーに似た俳優さんを使って見事に演じ(演奏)したDVDを出している現代のピアニストがいました。 俳優さんチェルニーに良くにてますね。この生徒は只者ではないが、ほめていいのかちゃかしていいのか対応に悩んでいる様子が良く出ています。 チェルニーは生涯独身で、たくさんの飼い猫と一緒に暮らしていたみたい。 さて、仕上がりが一段落したらステップ4に進みたいところ。 んじゃまた。 |
webadm | 投稿日時: 2017-12-2 22:07 |
Webmaster 登録日: 2004-11-7 居住地: 投稿: 3068 |
Re: ピアノ教本 ふう、先月は急病で2週間入院してその間はピアノの練習はおろか病院のベッドに寝たきりで何もできませんでした。
最新医療技術の甲斐あって一週間後には熱も下がり患部の炎症も鎮火傾向になったので、食事を再開出来、それから一週間後には急性期の症状は治まって無事退院できました。 熱が下がっても点滴が外れるまではトイレに行くぐらいしか移動が出来なかったので、ピアノが恋しくてたまりませんでした。 仕事のことは考えないで、退院したらピアノの練習を再開することだけ夢見ていました。 退院後の検査で外来で通院した際に、一階の待合室フロアーの椅子に座っている時に、ふと側を見たらなんとカバーが掛けられて結界ロープが張られたグランドピアノが隣にあるのを発見。 なんだピアノがすぐ近くにあったのね(´∀` ) まあ弾かせてはもらえないだろうけどね。 時々はミニコンサートとかあるのかな、クリスマスとか。 というわけで、入院中もピアノと無縁では無かったということで一安心。 2週間も練習していなかったのでだいぶ忘れたかなと不安でした。 確かに練習を再開すると、だいぶ弾けなくなっていることを感じました。 でもすぐに感を取り戻して、入院前の状態に1日で戻りました。 さて、仕上げをしないと、まだインテンポでは満足に弾けないという課題が残っています。 原因を分析すると、 (1) 手のポジショニングが不正確 (2) 小節の最後の二分音符が四分音符+四分休符として弾いている (2) 手と指のフォームが崩れている(黒鍵と白鍵を交互に弾く箇所) (1)に関してはパソコンのキーボードのブラインドタッチの感覚で、ピアノの鍵盤をタッチしている器用さが敗因。パソコンのキーボードのキーはどんな方向からタッチしても他のキーは邪魔にならない構造をしているのでタッチできれば良く、音とか深さとか関係ありませんが、ピアノのキーボードは黒鍵と白鍵は高低差があり、鍵盤の方向と平行な方向からタッチしないと黒鍵が邪魔になったり、他のキーに触れてしまったり、目的のキーが十分押せないということになります。 なので、すべて鍵盤の位置で、弾く指が鍵盤と平行の向きになるように手のポジションを適切に補正するように徹底的に練習するしかありません。 斜め方向から鍵盤をタッチするのはご法度です。手抜きせずに、背中から肩、腕、肘、手首を柔軟にコントロールして指先がいつも弾く鍵盤と平行になるようにします。 そうすると早いテンポでもミスなく弾けるようになっていくのを実感しました。 (2)に関しては演奏しているときには自分で薄々気づいてはいるものの、過ぎ去ってしまうとそうしていたことを忘れてしまいます。録音してチェックすると、4拍子の曲で特定の小節の最後の二分音符が2泊鳴らすところが一拍で指が離れてしまっているのが判明します。これは、部分練習で、次の小節の強迫まで前の音の鍵盤から指を離さないように練習します。一拍以上の長い音符は楽譜に記載されているより短く切ってしまう傾向があるので、拍を感じながら弾くように心がける必要があります。 (3) は長年酷使してきた右手にだけ見られる症状。左手は問題なく、いったい君は本当は誰の手なの?本当の事を言いなさいと問いただしたいぐらい、右手と左手の性格がまるで違います。たぶんに右手はずっと緊張していて余分な筋肉が今も働いているためだと思われます。長い時間の練習は今も禁物です。 右手は基本の3和音だけ弾くときでも、手指のフォームがおかしくなります。第四指(薬指)が外側を向いてしまって小指と重なってしまいます。同じ傾向は右手が弾く音型で、最後に小指を弾くときに手指の形が醜いほど崩れてしまっているのをふと見たら気づいたという感じ。普段はブラインドタッチなので手元を見ていないのでまさかそんなことになっているとは気づきませんでした。 手指のフォームは幼い頃に導入時期から個人レッスンで先生に注意されながら無理なく矯正されない限りそれぞれ勝手な癖がついてしまうようです。個人レッスンでなく教師一人で生徒が同時期に複数習うグループレッスンだと、教師は個々人の癖までには気を配っていられないので、癖はそのまま冗長されてしまいます。 癖があるままピアニストになった人はいますが、その癖が演奏の制約になるような不得意な苦手な曲や作曲家を作り出してしまう原因にもなります。 まあ癖も自分と向き合うという意味で、長い付き合いになるのかも。 「大人のための独習バイエル(下)」のステップ3にもう4か月もかけていますが、あと1か月で仕上がりそうな自信がついてきました。 もうステップ4に進んでもいいかなという気もありますが、子供の頃に珠算塾に通った時の苦い経験(3級、2級と実力が身につかないまま検定試験だけ受けて一度も受からなかった)もあって、やっぱり易しく弾けるようになるまでは辛抱することにしました。 「大人のための独習バイエル(下)」に入って一年になりますが、全部終わるのにはあと一年ぐらかかりそうな気がします、もっと早く終わるといいのですが。 どこかのピアノの先生のブログで読んだのですが、バイエルが終わるのに要する期間は人それぞれで、その先生は2年半かかったということなので、子供の頃とはいえ、大人でもそれぐらいかかっても不思議ではないという気がします。 ステップ3の次のステップ4からは十六分音符が出てきます。これでようやく器楽曲らしい曲が弾けるようになるわけです。ですが、一小節中の音符の数が最大で今までの倍になることを意味するので、ステップ3の段階でちゃんとインテンポで無理なく安定して弾けるようになっていないと挫折するかもしれません。 バロックや古典でよく知られた曲はどれも十六分音符が多く使われています。一部は三十二分音符も出てきますが(特にベートーベンとか)素早い指使いを披露することが器楽曲の演奏の見せ所だった時代を感じさせます。 大人から始めた場合には、素早い指さばきに困難が伴うかもしれませんが、その場合にはテンポを下げて音楽的に弾くことを心がけるというアプローチもあります。 名ピアニストでも年齢とともに衰えていくので、自ずと技巧的な演奏ではなく、音楽的な演奏中心に移っていくことになると思います。 ステップ3で気づいたのは、運指が面倒な理由は共通して、3度上昇の直後に4度降下や、4度上昇の直後に3度上昇とかのパターンにあるという点です。これを安定して弾くには、手のポジショニングが鍵盤の上に手がホバリングしたまま、指を屈曲させるだけで目的の鍵盤を押すことができるようになる必要があります。 導入初期から手のポジション移動が無かったことは、指を鍵盤の上に乗せたままで弾けばよかったのですが、白鍵と黒鍵の両方を弾くようになってかつポジション移動も頻繁に出てくると、手指は鍵盤のすぐ上にホバリングしているのが弾きやすさにつながってきます。 手を鍵盤の上にホバリングさせるのは、それを支える腕や肩、方を支える背中の筋肉の総力が必要です。かといって硬直してしまってはポジション移動ができなくなるので、力のかけ方に波を作る必要があります。よく名ピアニストが躍るように肩から腕、手先まで柔軟に動かし続けているのはそのためだったのね。 新しく読んだ本はまた別の機会に紹介しまちゅ。 んじゃまた。 |
webadm | 投稿日時: 2018-1-12 11:12 |
Webmaster 登録日: 2004-11-7 居住地: 投稿: 3068 |
Re: ピアノ教本 ふう、1か月のご無沙汰でちゅ。
あれからまだ「大人のための独習バイエル(下)」のステップ3から進んでませんが(´Д`;) やっとここんところ暗譜で少しテンポを緩めれば安定して弾きとおせるようになりました。 やさしめの曲はインテンポでも大丈夫になったけど、難しめのはインテンポだと次のフレーズが頭の中で用意ができなくて事故多発(´Д`;) あれだよね、思うにピアノの演奏は日本の伝統芸の落語とか講談とかに通じるものがあるよね。 どちらも長い時間一人で延々と演じるのと、ひとつの演目の全体に渡る構成が肝だというところ。一本調子だと聞き手が途中で飽きてくるし、山場とかでは声を強めてひきつける必要があるし。 ステップ3ではもう曲を体だけで覚えるのは無理があるよね。デュナミークがあるだけではなく、声部交換やレガートとスタッカートのコントラストがあるし。 そんでもって課題曲の「すみれ」は、バイエルでは控えめ気味なレガートとスタッカートを4小節毎に交互組んで曲の端切れをよくするブリリアントな構成なので意外に難しいことが判明。 どうしてもレガートがスタッカート気味に、スタッカートはレガート気味になる傾向が、そしていつしか境目が無くなって全体が単調に(´Д`;) こうしたエントロピー増大則に逆らうためには、意識的にレガートな部分はよりレガートになるように、スタッカートな部分はよりスタッカート気味に弾くように心がけないとだめなのよね。そうやって意識的にエネルギーをつぎ込めば維持できると。 それと集中力が必要だよね。集中力散漫だと、弾き始めてすぐに続かなくなってしまうのよね。 今弾いているフレーズの間に心の中では次のフレーズが湧き出て待っている感じぐらいにしないとインテンポで弾きとおすのは困難。 譜面を見て弾き始めた段階から、今弾いているフレーズの次のフレーズに目をやって備えるようにしないといつまでたってもインテンポでは弾けないよね。 そう考えながら「すみれ」はレガートとスタッカートを明瞭に区別するようにするとかなり聞ける曲だということがわかってきました。 頭でわかっても体がついてこないけどね( ´∀`) さて、しばらく読んだ本の紹介をしていませんでしたが、その後読んでいた本を紹介。 以前に紹介したバッハの「正しいクラヴィーア奏法 第一部」の続編である「正しいクラヴィーア奏法 第二部」を読んでいました。 第一部は運指とか基本的な事柄だったのでなんとか読めましたが、第二部はかなり内容が高度で、著者が当時増えつつあったクラヴィーア教師を読者として想定して書いたものなので初心者が読むのには時期尚早ということがわかりました。 それでも内容的には興味深いものばかりで、まったく読んで理解できないというほどでもなく、著者の熱のこもった語りを直に聞いているような感覚を覚えます。それは訳がうまいという意味でもあります。 最初の方に著者の前書きというか解説がありますので、それもとても興味深い内容になっています。そこだけ読んでもためになります。 前半はバッハ独特の実践和声理論の解説に割かれています。読むとすぐわかるのですが、今日出版されている多くの和声理論の構成内容とはまるで異なりますが、良く読むと言っていることは一部共通のものがあります。 今日教えられている和声理論は、バッハとは対極的な立場にあったラモーが体系的に整理した仕事に基づいているのがわかります。 後者は基本3和音、4和音に基づいているものの、実際の曲では3和音が続けて弾くとか4和音を続けて弾くなんて曲は滅多にありません。なので何故そんなことを最初に学ぶのかと疑問になりますが、その方が楽曲の分析がし易いということがあると思います。いずれにせよ演奏の実践とは少し距離を置いています。 それに対してバッハの和声は演奏特に即興演奏に必要な実践的な和声の組み合わせを具体的に紐解いている点が今日の和声の教え方と根本的に違います。 それでもバッハがこの本の中で繰り返し口を酸っぱく言っているのが今日でも和声理論を学ぶと最初に目にする連続5度、連続オクターブの禁則です。 今日の和声理論の本では頭からこの禁則を原則として教え込まされますが、バッハの本を良く読むと、実はある条件付き(主声部とバスのインターバルが5度と8度の場合)にのみ適用される禁則で、内声との間のインターバルについてはこの限りではないということだったのでした。 確かに5度のインターバルは高い音域の方になるにつれ一発弾いただけで目が覚めるような感覚があります。実際に車用のクラクション(古くは2つのラッパや汽笛を同時に鳴らしていたもの)では5度のインターバルのものがあります。 車のクラクションは一回で目が覚めるぐらいですから、連続で何度も鳴らされたら殺意が沸いてきてもおかしくありません。 オクターブは、2つの弦から発せられる倍音がぴったり重なって強調されるのでかなり強いインパクトがあります。 内声とバスや、内声と主声部(メロディー)の間であれば、バスと主声部が5度もしくはオクターブでない限り許容できる響きに収まるということに。 元来バッハがこの本を書いた意図としては、増えつつあるインチキなクラヴィーア奏者によるインチキ伴奏の氾濫が目にあまるものがあったというのがあるようです。 バッハ伝来の和声とはまったく異なる3和音や4和音を中心とした伴奏(熊手を振り下ろすように手指で3和音や4和音を連続して弾く)者が後を絶たなかったようです。 そんな中に連続5度ないしオクターブの禁止則が必要になったわけでした。 左手で3和音や4和音を連続すると主声部とバスのインターバルが5度ないしオクターブの連続が発生する可能性が高くなるというわけでした。 当時から鍵盤楽器は他の独奏楽器や歌手の伴奏を行う機会が多く、そのために作曲者は特別にバス旋律と併せて弾く和声音を数字で添え書きした数字付きバスという記法を用いて伴奏者に提供するようになっていったようです。それが所謂通奏低音と呼ばれる演奏様式のようです。 日本では通奏低音という用語が独り歩きして違う意味を表す目的に使われてしまっていますが、元来は他の楽器や歌手の伴奏者としての鍵盤楽器演奏方法を表すものでした。 バッハの和声理論は伴奏だけでなく、即興演奏や多声部からなる合唱曲や独奏曲の作曲にも応用できるものだというのもすぐに読んで気づきます。 バイエルとかの曲でも重音の連続だけでもかなり良い響きを出しています。3和音から一音省略しても和音の機能は失われないからです。 3度や6度のインターバルの重音は連続して聴いても疲れることなく聞き続けることができると書いてある通り、バイエルやショパンの書いた曲には3度の連続、6度の連続からなる曲が必ずあります。作曲者が必ず手掛ける語法のひとつだということになります。 バッハが言うには、伴奏を行う者はそれ以前に長い間労して書かれた独奏曲(演奏会用の名曲)をたしなんでいる必要があるとあります。 つまり鍵盤楽器での伴奏を行うには、独奏者として一人前になってからということになります。 独奏だけで手いっぱいという状態ではまだまだ半人前で、他の独奏者と協奏もしくは伴奏をこなして一人前ということでしょうか。 後半は即興演奏ないし即興曲(ファンタジー)が議論の中心になります。 かつて即興演奏に長けた奏者はまた作曲でも秀でていたのを思い出します。 バッハしかり、モーツァルトしかり、ベートーベンしかり、ショパンしかり。 ショパンで思い出したのは、身内の間では百面相の名人でもあったようです、つまり瞬間芸の達人でもあったわけで、なるほど人の気を一瞬で引くようなアイデアが次々と沸いてくるのでしょうね。 確かに彼らの曲はめまぐるしく変化する百面相のような曲が多いです。 たぶんに小さい頃から遊び感覚でいろいろな音型を実験的に試してアイデアの下地にしてきたのでしょう。 学生の頃に遊びで弾いていた大講堂にあった壊れた古いアップライトピアノの話は以前したよね、あの時もいろいろ遊びで弾いて響きが記憶の奥底に残っていたのだと思います。今それを少しづつ思い出しています。 巷にあふれる和声理論の本に飽きたら、この本を手にしてみることをお勧めします。だいぶ世界が変わると思います。 んじゃまた。 |
webadm | 投稿日時: 2018-1-29 5:48 |
Webmaster 登録日: 2004-11-7 居住地: 投稿: 3068 |
Re: ピアノ教本 ふう、だいぶ寒い日が続くね。
まだ「すみれ」が仕上がらないのでステップ3にとどまっています。 バイエルの曲の演奏はだいぶ安定してきたものの、テンポは控えめにしないと次のフレーズを記憶から取り出すのに遅れて演奏が止まってしまうことも。 携帯音楽プレイヤーに録音した毎日の演奏をパソコンに取り込んでみたら、トータル演奏時間が56時間(3360分)近くになりました。多いのか少ないのかわかりません。通しでの演奏は一日朝と夜で1回きりなのでひと月で60回、一年で720回、一回の平均録音時間が5分という計算なので、昨年中は実際には録音していない期間があったので本当はもっと演奏時間は多かったはず。 場数を踏むという意味では総演奏時間というのは習熟のバロメーターになるかも。 ただ最近、昔の録音を聞いてみて驚愕の事実が判明。 ・ステップ1の頃の演奏はびっくりするほど丁寧感があり、一音一音きれいに鳴っていた わが身を振り返ってわが身を正す感じで、今一度丁寧に弾くように心がけたら今までは仕上がりがいまいち停滞していたのがかなり良い感じで仕上がってきました。 「すみれ」が完成したら次のステップだね。 バイエルは下巻のステップ3(中間点)までが一つの試金石だね。 ステップ3まで弾けるようになると自信になるし、これからいろいろな性格の曲を弾けると思えるようになります。まだ八分音符までしか出てこないので、一小節の音符の数が少ないので、いきなり本格的な曲に臨むのは禁物だけどね。どれだけ音符の数が多い曲を弾けるようになるかもひとつのバロメーターかも。 前回に引き続きその後読んでた本を紹介します。 「チェルニー ピアノ演奏の基礎」 この本はチェルニーが出版した百科事典的なピアノ教本の一部で、前半は主に楽譜に記譜されている事柄をどう解釈して演奏すべきかというピアノ演奏家にとっては常識と言える事柄をひとつひとつ取り上げて解説しています。 今日では楽典の本に当たり前に書いてある、強弱(デュナミーク)やテンポやアゴーギクについて丁寧に述べられています。 この内容は完全に大人の読者を対象としているので、当時もこうした常識的なことも教師が生徒に口移し的に咀嚼しやすい形で少しづつ与えられるものだったようです。なのでそれらが一冊の本になったものが無かったとも言えます。 今も小さい子から始めた場合には、楽典の知識や譜読みに必要な知識は吸収しやすいものから少しづつやって、良くできる子にはそれなりに特別なメニューを与えるという感じだと思います。 大人になってから先生につかづに独学でピアノを練習する場合には、楽典の知識はもちろん、このチェルニーの本は必読。楽典の本には作曲家がどういう意図で用いるかは書いてあるものの、演奏家はどう解釈すればいいかについては触れていません。 後半は公衆の前での演奏の心得についてチェルニーの体験やおそらくチェルニーの師であるベートーベンやその他チェルニーが師事した先生から伝えられたノウハウも含まれるでしょうが、それらが克明に記述されています。 チェルニーから正統な運指法を教わったリストも、すでに父親に連れられて公衆の前で神童として演奏を行ってきたと思いますが、チェルニーから教わったことも含まれていると思われます。 この本は基礎が終わってバイエル以外の曲に取り組む際にまた読み返す予定です。 んじゃまた。 |
webadm | 投稿日時: 2018-5-5 2:28 |
Webmaster 登録日: 2004-11-7 居住地: 投稿: 3068 |
Re: ピアノ教本 ふう、だいぶ更新に間が空いたけど、練習は続けています。
手術の全身麻酔の影響はピアノの練習にはまったく影響がありませんでした。 昨年入院した時と同じで、退院後の最初の練習で入院前の感を取り戻すことができました。 「大人のための独習バイエル(下)」のステップ3も課題曲のすみれも含めてだいぶ安定してきたので、ステップ4に進んでいます。 ステップ3ももう少し磨きをかけたいので、ステップ4の譜読みと片手練習と併せてステップ3の通しのメドレーを弾いています。 毎日弾く度に同じ曲だけど新鮮味があるのは不思議。 基本の「Pianoprima exercise」の方もレベル0から3まで易しくなってきたので、レベル4に臨むことにしました。 レベル4はそれまでのレベルの集大成でもあると同時に、それまで片手弾き中心だったのを、両手同時弾きというバリエーションになった感じ。それだけでとたんに弾けなくなる罠(´Д`;) 右手と左手の独立ができていないのよね。得に長いスケールの両手並進行とか指くぐりのタイミングが右手と左手とで違うのが一緒になっちゃって最後ポジションがずれてしまう罠(´Д`;) あとつくづくこの段階に入ると、手指のフォームが安定していないと先に進めない(というか仕上がらない)のを痛感。 広い音域を弾く場合には、ポジション移動が不可欠なので、それを正確に行うには背中、腕による手首のポジショニングサポートが不可欠。 手のポジションは移動しても指による鍵盤のタッチはいつも同じじゃないといけない点。pのからFまでは指だけで弾けるようにならないとだめな感じ。どうしても手首を使ったり、腕のサポートで指を鍵盤に押し込む癖があると、速くかつ粒がそろった演奏の妨げになります。 手は鍵盤の上を速やかにホバリングしながら平行移動するヘリコプターみたいな想像するとよいかも。 指はそのヘリコプターからロープで降りてくるレンジャー隊員みたいな感じで、ヘリが安定していないとレンジャー隊員も安定して地上へ降りられないと(鍵盤を安定してヒットできない)。 指だけでデュナミークをコントロールするには、背中から肩、腕、手首の支え(サポート)が不可欠、そうしないと指で鍵盤を押し込むと反作用で指と手首を上に持ち上げようとする力が発生するので、それを抑え込む必要があります。 決して手首だけで支えようとしないことね、悪い癖になります。昔のテレビアニメで巨人の星というのがあって、主人公の星飛雄馬が大リーグボール2号のコントロールを手首と指だけで行う投法のため腱に負担がかかり最後は突然断裂するというエンディングだった記憶。腱鞘炎なんて生易しいレベルじゃないよね。 長くピアノを弾くには手首がかくかくとならないように、しっかり腕と肩と背中でサポートするのがよさげ。 ステップ3はもうかれこれ半年ぐらい弾いているかも、長く弾くと曲想に関する新しい感触が生まれてくるよね。 80番とかは右手が親と小さい子の会話みたいな感じがしてきた。親がその子供と初めて会話らしい会話ができるのはいつの段階だろうと想像してみたら、子供が最初に覚える、「パパ」や「ママ」に親が「なに?」、「どうしたの?」というのじゃないかなと。 それは親子の会話の最初の始まりだよね。バイエルも二人の息子が居たので、その息子との初めての会話の喜びを曲にしたのかも。 ドイツでは現代では「パパ」、「ママ」らしいけど、バイエルの頃は、「Vater]、[Mutter」だったと思われます。 装飾音がついた中間部の上声部のメロディーは子供が「Vater」、「Mutter」と言っているように聞こえてきます。またそういう雰囲気が出るように弾くべきだと思うようになりました。 あと関係ないけど、テンポをどれだけ早く弾けるか試してみたりしているけど、曲によっては上限があることが判明。 84番は、左手が先行して右手が追っかけるコラールだけど、右手と左手は1オクターブ違いだけど、後半の12小節目で左手が直前に右手が弾いたのと同じ鍵を弾くことになるので、アップライトピアノでは鍵が完全に戻った後でないと音が出ないので八分音符の音価は鍵が完全に復帰するまでの時間より短いテンポでは演奏が困難だということに。エスケープメントのあるグランドピアノならアップライトよりも早いテンポで弾けるかも。 さて、「大人のための独習バイエル(下)」のステップ4の譜読みをしてみて感じたのは ・ステップ3より曲の演奏時間は総じて短い(譜面が1ページ) ・ステップ3より曲数は少ない ・典型的な十六分音符の連符を伴う音型が出てくる ・典型的な付点音符のを伴う音型が出てくる ・右手より伴奏の左手が難しい曲がある という点。 早々にこれは最初から両手弾きは無理だと感じたのは ・十六分音符の連符を伴う音型が、右手と左手で同じテンポで弾けない(右手に比べて今まで優秀だった左手が今度は速く弾けない) ・付点音符を伴う音型のリズムが最初読み取れないし、譜面通り弾けない ・左手の伴奏のコード進行が今までになく複雑で暗譜しないと弾けない これ無理やり両手で練習し始めても、片手で満足に間違えずに弾けないのに、両手合わせるのは時間の無駄だと痛感。 ピアノの連弾でも二人がそれぞれちゃんと自分のパートを練習して合同練習に臨まないと練習にならないのと同じ。 ピアノの両手弾きは、右手と左手の連弾だと考えたほうがいいよね。 それぞれがちゃんと練習して間違えないようになっていないと合わせて練習しても練習にならない。どちらかが必ずへまをして演奏を台無しにするだけ。 さてステップ4で登場するバイエル曲の感想をば、 86番 C-dur Moderato これは下巻のステップ1にも出てきた、この後の曲で使われる音符のオールキャストみたいな感じの曲。 ポジションが異様に右寄りなのは、元々バイエルはこの曲を4手連弾(同じピアノで二人で演奏する)曲として作曲してあるためで、Secondが中央を使う都合上、Primaは右端寄りの高い声部となるため。 音符は基本バイナリ方式(2のべき乗分の1単位)なんだけど、それだけでは記譜できない三連符(基本音符を3つの音符に3等分)とかがあるので、そのすべてを正確に弾く演奏能力を養う必要があります。 二分の1づつならわかりやすいけど、12小節目で三連符が出てくるとガタガタになるのよね(;´Д`) つくづく拍感覚が重要だと思うよね。3連符も曲の4拍子の感覚を保つように3分割して弾けばいいだけなんだけど、自然にそれができるまではステップ4は卒業禁止ということに、いつまでかかるやら。 模範演奏としては、やはりオリジナルの4手連弾曲の演奏をひとつあげておきます。 左のSecondの腕毛がきもいですが(´Д`;) 右のPrimaの演奏もなかなかのもの、3連符のところもきれいに決まっていますね。 87番 C-dur Allegro moderato これは典型的な十六分音符の連符を伴う音型の練習曲。右手と左手はオクターブ違いのユニゾンだけど、前の曲と同様に異様に右寄りの位置を弾くようになっていますが、これもバイエルが4手連弾曲として作曲してある都合のため。 4拍子なので拍に乗って軽快に弾く感じ。 無理にインテンポで弾くと十六分音符が均等にならない(転ぶとか滑るとか言う)で後続する長い音符を弾くことになるので、曲想が台無しに。 手が鍵盤から一定の高さを保ちかつ、指だけですべての音を指定されたデュナミークで鳴らすように心がける必要があります。 最初はゆっくりでも正確に丁寧にを心がけて毎日弾けばだんだんテンポを速くしても滑らなくなるよね。 模範演奏は先と同じyoutuberのものを、 88番 G-dur Moderato 十六分音符を伴う付点リズムの練習曲。 付点音符を伴うリズムは以前にもあったけど、十六分音符が入ってくると、以前にも書いたけど、一小節中の情報量が八分音符までの時と比べ最大で2倍にまで増えるので、一小節にこれまでの2小節分が凝縮されていると考えたほうがいいよね。 でもこの曲はまだ一小節を2分割してみることができるので、一小節の前半と後半の音型の違いを読み取ればたぶん易しいかも。 中間部で十六分音符だけのフレーズが出てくるので、これも試練かも。 指くぐりとかがスムーズにできないとミスるよね(´Д`;) 拍感覚を損なわずに正確に弾くのには練習あるのみかも。 後半はC-durに転調して最後にはG-durに戻ります。 左手の伴奏のコード進行は単純で、G C しか出てきません。 右手が大変だねこの曲は。 模範演奏としては、いつものアイオワ大学のビデオを 89番 C-dur Andante アウフタクトで始まる、十六分音符と八分音符をそれぞれ伴う2つの付点リズムのある3拍子の舞曲。 ひとつの小節に2つの付点リズムが入っているのに注意。前半は十六分音符を伴い、後半は八分音符を伴うもの。音価は2倍違うので、小節全体では逆付点リズムということに。 アウフタクトなので、前の小節の最後の音がフレーズの始まりなので音価を正確に弾かないと曲想が変わってしまいます。 左手の伴奏のコード進行は比較的単純で、C G C G G7 C と7thコードが出てきます。 中間部でG-durに転調し、最後C-durに戻っておしまい。 上声部の歌うような旋律が印象的で好きな曲。 模範演奏は、定番のアイオワ大学のビデオから 90番 C-dur Allegretto 八分の六拍子だけど、典型的な二分の一拍子の行進曲(マーチ)だね。 上声部はピアノというよりも、金管楽器(トランペットかトロンボーン)の演奏を模したものと思われます。 中間部で声部交代でバスがメロディーを担いますが、これも低い音域の金管楽器(チューバとか)を模したものと思われます。 オペラや歌劇の曲を易しくピアノ用に編曲するのが得意だったバイエルだけあるよね。どこかWeberの歌劇曲を彷彿させます。 金管楽器の音を想像して弾くとよいかも。 手元のデジタルピアノにはストリングスの音源はあっても金管楽器の音源が無いのが残念。 模範演奏はやはりアイオワ大学のビデオより 91番 a-moll Allegretto イ短調の器楽曲。典型的な十六分音符の四連符と八分音符の音型。この音型はバロックや古典の名曲に頻繁に出てくるから、必修ともいうべき音型。 小学校で歌った「黄金むし」を思い出すよね。あれも、同じ十六分音符の四連符で始まる二短調の曲だったね。 二拍子の拍感覚を大事にして練習するのがこつかも。 これも十六分音符の長いフレーズが出てくるので練習あるのみ。 左手の伴奏のコード進行は、Am Amsus4 中間部で並行調のC-durに転調して、C G C、最後に a-mollに戻って、コーダのところで、Am Bsus4 Am とAmsus4の代わりに借用コードBsus4が使われています。 模範演奏として、アイオワ大学のでもよかったのだけど、以前にも紹介したことのある、国籍不明サロン風のピアノ教室での若い生徒の模範演奏をば 92番 F-dur Comodo へ長調の歌曲。 上声部は歌うように自然なフレージングと息遣いで丁寧に弾くとよいかも。 左手の伴奏のコード進行は F B♭ F C C7 F B♭ F という感じで7thコードが使われています。最後のコーダー部分では、F C7 F という感じ。 シの音が♭なので黒鍵を弾くのを間違えないように(´Д`;) 左手は四拍子を三連符で弾くことになるけど、ポジションは変化しないので、鍵盤からの高さを一定に保って指だけでデュナミークをコントロールする感じ。 以前に弾いたバイエルの別の曲の変奏曲だね。 模範演奏と挙げるとすると、この曲に関してはアップロードが何故か少なくて(陳腐な感じがして聞き映えが良くないためか)、アイオワ大学のビデオはバイエルの曲以外への差し替えの多いペーターズ版を使っているので違う曲だったりするし、結局、大人が弾いているのとまったく違わないこの子の演奏に決定。 P.S. 良く最後まで聞くと最後のコーダ部分が自分が弾いている「大人のための独習バイエル(下)」と決定的に違うことが判明。 最初に聞いた時に最後ちょっと違和感があったのはそのためだったのね。 バイエルの初版本は見たら上の動画と同じで、それ以前に出てきた音型とは変えてあるのが正解。「大人のための独習バイエル(下)」の譜面ではどういう意図か参照した版がそうなっていたのかどうかは不明だけど、それ以前に出てきた音型を繰り返す形になってしまっている。聞き映えとしては後者の方がいい気がするけど、オリジナルと違っているのは明らか。他に購入してあった「子供のためのバイエル」もバイエル初版本と同じだった。 良い子は注意。 93番 a-moll Moderato 八分の六拍子だけど、二分の一拍子な歌曲。 付点リズムはあるにはあるけど、装飾音ぽい十六分音符の使われ方をしている変則リズムな曲。 上声部のリズムも難しいけど、左手のバスも今までになく煩雑なコード進行で所見で間違えずに弾かなかった(´Д`;) 左手の和声進行は、Am E Am C G Am な感じ、最後のコーダの部分では、 Am Bm Am Esus4 Am という感じかな。 最後のコーダに長いフレームがあるけど、ここが一番難しいかも。 手ごわいけど、短調で曲想が印象的で聞き映えもあります。練習し甲斐があるね。 模範演奏は結構豊富です、アイオワ大学のはペーターズ版なので残念ながらロシアの民謡に差し替えられてしまっていますので、いくつか印象に残るものを紹介します。 男性が黒いピアノで演奏。どこのピアノメーカーかなと良くみたらRolandじゃないですか、やっぱりローランドは音がいい感じ(アンビニエンスエフェクターが効いているだけかも)。最近のカワイのデジタルピアノも鍵盤や音もいい感じらしいよね。 ピアノ独奏じゃない編曲ものけど、名演奏。 バイエルの原曲は演奏時間30秒足らずと短いけど、交響詩的な曲想を秘めているのを感じ取った作曲家が協奏曲に編曲したものを2台のエレクトーンとグランドピアノで演奏したもの。中間部に原曲を置いて、前奏と後奏が加わっています。なかなかの名曲。 他にも以前紹介した三枝成彰の「バイエルであそぼう」の中にも連弾編曲「おもいだしてごらん」があるのですが、こちらはアップロードがほとんどない、ひとつだけ発表会前の練習風景を途中から録画したのがあるだけ。本番の録画がアップロードされていないのは、本番でおおこけしちゃったのかな、残念。確かに音楽的に仕上げるのは難しいかも。セコンドの前奏はオリジナルの主題をオリジナルのテンポで更にハーモニーリッチにしたアレンジで始まり、中間にプリモがオリジナルの主題を半分のテンポ(オリジナルの一小節を二小節にした感じ)で奏で、後半は三枝氏オリジナルの第二主題が入って最後はバイエルの主題で終わる感じ。 こちらの編曲は曲想に含まれる悲しい要素を強調し葬送行進曲風にアレンジしたもの。遊びとは言え、才能の無駄遣い( ´∀`) 個人的には最初にこの曲の譜読みをした時に、昔プレイしたスクウェア・エニックスのFF Xのエンディングに歌入りで登場するこのエンディングテーマ曲を真っ先に思い出したのは内緒。 植松伸夫の数ある名曲のうちの一つだよね。作詞はFF Xの脚本を書いた野島一成、オーケストラ編曲は作曲家の浜口史郎。歌っているのはRIKKI(中野律紀)。 課題曲アラベスク a-moll Allegro scherzando ブルクミュラーの25の練習曲の中でポピュラーなもの。 古典的な十六分音符の連符音型が印象的。その練習には好都合。 模範演奏としては以前にも紹介したチャネルから、 んじゃまた。 P.S. その後ブルグミュラーのアラベスクの仕上げ段階になって、上の動画を再び再生してみたら、エンディングの右手のポジションが自分のと違うという驚愕の事実が判明(;´Д`) 別に買ってあったブルグミュラー25の練習曲の譜面を見たら、「大人のための独習バイエル(下)」の譜面とエンディングが決定的に違っていた。 「大人のための独習バイエル(下)」では最後右手と左手が重なって弾きづらいなとは思っていたのですが、原曲とそこだけ違うのね。 なんだよ〜(;´Д`) どういう意味があるんだか、意図的なのか原稿執筆時点での誤りの可能性大。 よい子は注意しましょう。 |
webadm | 投稿日時: 2018-9-9 20:31 |
Webmaster 登録日: 2004-11-7 居住地: 投稿: 3068 |
Re: ピアノ教本 ふう、ご無沙汰でちゅ(´Д`;)
だいぶ日中の基音も過ごしやすくなってきたね。 前回のお便りから既に4ヶ月過ぎましたが、ピアノの練習は毎日欠かさず続けています。 うんとね、STEP3はだいぶ仕上がったのでよしとして、STEP4に課題が残ります。 STEP4は16分音符が出てきたので、既にピアノ初級(バロック時代の曲が練習できる段階)の最初に入った段階ですから、気を引き締めてかからないと、ここで挫折という人も多いぽい。 特に86番と87番の三連符や四連符はなかなか滑らかに弾けないよね。 ユニゾンなので左手と右手が歩調が合わなかったり、これは一長一短では解決しないので日々気を付けてゆっくりなら揃うように心がけることで。 16分音符の登場で同じ演奏時間でも音符の数がSTEP3に比べ倍近く増えた感じになるので、新たな問題があることに気づきました、 ・演奏中、弾いている指が隣の鍵盤に触れる事が多々有り、ミスは無くても後味が悪く弾き心地が良くない たぶん弾いている本人しか気づかないことだけど、指が隣の鍵盤の角に接触するのはとても気になるし、怪我こそしないけど、これがずっと続くとタコができるんじゃないかと思う程。 手のポジショニングとフォームが不適切なのが原因なのは明白。 楽器を練習するとどこかしら、それまでやったことのない手のフォームやポジショニングを習得する必要が出てきます。自然体のままではいつまで経ってもうまく弾けないよねよ。 ギターなら弦をフレットボードに押さえ込む利き手とは反対の手は、妙に手首をひねった(手の平が自分の方に向ける)姿勢を保つ必要があります。 ピアノでも腕と指先が鍵盤の向きと平行に一直線に伸ばしたままでいいポジションは一カ所しかなくて、それ以外は自然体のままでポジショニングすると指と鍵盤の向きは平行でなくなります。 なので、まっすぐ伸ばしたままでいいポジションから離れたポジションでは指が鍵盤となるべく平行に向くように手首のところで補正してあげる必要があります。 つまりどういうことかというと、自然体であれば、左手の手先をまっすぐ前から更に体の外側(さらに左)に向けた場合には、指先が斜め方向を向いてしまいます。これだと一つの鍵盤だけ触れるということは不可能なので、手前の鍵盤をかすって弾くことに。 隣の鍵盤に触らないでどのポジションでも一つの鍵盤だけ押さえるようにするには、 ・ポジションがまっすぐ前の位置から離れれば離れるほど、手首はそれと逆に指先が鍵盤と平行になるように向ける必要がある これは良く考えると不自然な動きだよね。でもそうしないと理論的には、隣の鍵盤に触れずに一つの鍵盤だけを押さえることは困難。 この点を意識して練習の最初にやっているPianoprima exerciseの手指の練習をすると見違えるように良くなってきました。 バイエルの練習曲も断然弾き心地が良くなって練習もはかどります。 まだまだ三連符と四連符には課題が残りますが、ある程度時間の問題もあるし、下記の優先度の高い基準をクリアしたら、最後のSTEP5に進んでもいい気がしてきます。 ・拍感覚を失わない(これをしないとこの時代の曲は音楽にならない) ・デュナミークは譜面通り(解釈の自由度はあるけど、メリハリが出る程度に弾けていればよし) ・課題曲ブルグミュラーのアラベスクで登場するアゴーギクのリタルダンドではテンポ落としすぎて曲が止まってしまわないように(自動車の運転で言えば、交差点のコーナーを曲がる際にコーナーに入る前にブレーキを踏んで減速するけど、コーナーから出る前にアクセルを踏み初めることでコーナーでスピードが落ちてエンストしないように注意) 16分音符の連符を軽やかに等間隔で弾けるのは理想だけど、短期間でそれが出来るようになるとは思わないほうが正解だよね。 力んでもだめだし、手指がフニャフニャの状態でもだめだし。緊張感がある程度弾いている間維持しないと続かないし。 16分音符が登場する前は優秀だった左手君も16分音符は苦手ぽくて、元々指がフニャフニャなので、素早く弾こうとすると音がはっきりしなくなる傾向が(´Д`;) 右手君は固いせいか、パリパリという間隔で軽やかに弾けます、これが対照的過ぎて右手と左手の性格がまるで違うと。タイミングも合わないことが多いし。 step4最後の93番と課題曲のアラベスクもまた別の意味で難しさを感じます。 ブルグミュラーのアラベスクもだいぶ弾けるようになったけど、演奏が安定しないよね。 とてもわかり易い(楽譜通り弾くだけで特別解釈とか不要)けど、気楽に弾けるものではないよね、子供や初心者が弾く曲だからといって侮るべからず。大曲の要所で必要なエッセンスはしっかり垣間見ることが出来ます。 さて、話は変わって、最近読み始めた面白い本をご紹介。 著者はチェロ演奏の優れた先生ですが、チェロや弦楽器奏者に限らず、ピアノも含めて楽器演奏者も想定して書かれた、楽譜の解釈や練習方法や個性的な表現に関する優れたアドバイス集。 どこから読んでも良くて、読者が一番今関心があるテーマが扱われている章から真っ先に読んでも得るものがあるでしょう。 個人的にはまだ解釈うんぬんを論じるのは10年早い気がするけど、気持ちはピアニストな大人なら誰でも興味深く読めると思います。 もちろん楽典の教科書に書かれている様々な基本的な音楽用語については知っていることが前提だけどね。 今までもピアノの演奏方法や演奏テクニック、練習方法の高度な本を読んで来たけど、一読しただけではまだ経験が足らなくてまた後で読む形になっていたけど、この本や今すぐ役立つことが書いてあります。 特に譜読みをすると経験する様々なデュナミークやアゴーギクの指示やその他アーティキュレーション指示に関して、ある程度解釈の自由度に関する困惑に関して的確なアドバイスが書いてあります。 要は正解が一つなんてことは何もなくて、自由度の許される範囲で自分が納得する演奏を自分の耳で聞いて選べばいいということ。 バイエルの前半(ポジション固定)の練習曲は練習すればするほど、ちゃんと楽譜通り弾けるようになればなるほど陳腐でつまらないと感じるのはそれなりに理由があったのね。 つまり機械的にあるいはメトロノーム的に楽譜通り弾くと良い曲もなんか味気ない、つまらないものになってしまうということ。 下手なりに自然にテンポ揺らぎながら弾いたほうがまだ音楽的にはましだったというわけね。 といっても本書ではテンポを意図的に変える場合には、基礎として一定のテンポで弾ける力を持っていることが前提としています。そうでないと、意図せずして揺らいでしまったり、意図して揺らすべきところがカチカチに機械的に弾いてしまったりということが出てしまうわけで、演奏にならないですね。 原題はずばり「interpretation(解釈)」ですが、邦題は「楽譜を読む力」となっています。 Youtubeのピアノ動画とかのコメント欄を読むと外人さんが必ず、interpretation が気にいったとか気にいらないとか書いていたりします。 ショパンコンクールのビデオでも中国人のユンディ・リが一位を獲得した時の師匠の言葉にも、「中国人の解釈が評価された」と言っています。 解釈ってなんだろうという疑問はあったよね。 この本を読むとその疑問が晴れて、どう曲を仕上げるべきかがわかってくるよね。 読譜というと練習の最初の部分と思いがちだけど、解釈なら最初から最後まで終わることが無いんだよね。 んじゃまた。 |
webadm | 投稿日時: 2018-9-30 22:06 |
Webmaster 登録日: 2004-11-7 居住地: 投稿: 3068 |
Re: ピアノ教本 ふう、前回のアップデートからすでに1か月近く経過してたのね(;´Д`)
練習開始から2年経過したことに。あと半年でバイエル卒業できるといいな( ´∀`) まだ「大人のための独習バイエル(下)」ステップ4全曲OKもらえてませんが...orz ほとんどの曲はOKがもらえたけど、a-mollの2曲と課題のアラベスクがね(;´Д`) どれも a-moll という共通点はあるけど、それぞれ難しさが違うという。 それ以外の曲は攻略するのにかなり専用の練習方法を考えたりすることで、短期間で仕上げることができた気がします。 思い出してみると、 ・86番 これは拍が一定せず苦労したよね。どうにか前半は安定するようになったけど、後半の帰りでバタバタに...orz 行きはよいよい帰りは恐い 三連符が出てくるあたりから、指が忙しいという事情もあるけど、それを意識してしまうと拍がどうでもよくなってしまうという悪循環。 攻略方法としては、きっぱり全部の音符を弾くのをあきらめて、以前にも紹介した「間引き奏法」というのをやることに。 つまり、4分の4拍子だから、一小節4拍、その拍のタイミングだけ正確に弾くことを練習。 そうすると最初の方は1拍目だけとか、奇数拍だけとか弾く音符が無いので、4分音符に分解して、4拍分に水増し。これで最初から拍ははっきりするよね。 一小節の音符数が拍数より多くなるところは、拍のタイミングの音符だけ残してそれ以外は休符扱い。短い音符と拍のタイミングでポンと弾くだけ。 これで最初から最後まで4拍きっちり弾く感じになるので、もう拍が安定しない理由は無くなります。 それで安定して弾けるようになったら、原曲を弾いてみます。 あら不思議だいぶ良くなったよね。 それでもまだ安定しない場合は、拍感覚がしっかりするまで、間引きしたり音符増やしたりして感覚を思い出します。 ふう、これでようやく最初から最後まで安心して聴ける状態に持っていきました。 ・87番 これは最初にmfとだけしかデュナミーク指示は書いてないんだけど、あとは奏者にお任せというバイエルから奏者へ一任するという意図かな。 だからといって最初から最後まで棒引きというのも難しいよね。 どうしてもこれまでのパターンで、小節の最初の拍を強く弾きたいけど、そうすると後の16分音符が続かない罠 この時点ですでに演奏解釈というのが必要になってくるよね。 この曲は元々連弾曲なのでセコンドに比べプリマのパートはアウフタクトでかなり複雑。 初版の頃から2つの4連符とそれに続く4分音符にはスラーがついています。 たぶんにこのスラーはフレージングというよりボーイングのスラーという感じ。 滑らかにつなぐのを優先するため、小節の最初にアクセントをつけるのは禁止で。 といっても難しいので、音列の中で一番高い音にピークを持ってくる感じ。 実際弾くときにも行きはよいよい帰りは恐いで、2泊目の一番高い音が不安定になって全部台無しになるという経験を何度もしている。 むしろ二拍目の一番高い音をしっかり弾く感じにすると降りていく時がスムーズになって決まる感じ。 あと注意は、3拍目の4分音符は音価通り弾いて短くなったり長くなったりしないように注意。4拍目の休符でしっかり止めるように。 そうするとだんだんリズムらしきものが浮かび上がってきます。 4連符の後スタッカート記号がついた8分音符と8分休符が続く音型も、2拍目のスタッカート音にアクセントを置くように滑らかに弾く感じ。 ・88番 これは比較的簡単だけど安定して弾けるまでには期間がかかった記憶が。 左手は典型的なオルゲルプンクトが大半。その部分の拍はしっかりとれると思います。 問題なのは左手のオルゲルプンクトが止んで、右手が音階的旋律を奏でる部分。 右手に拍が一任されるので乱れる乱れる( ´∀`) これも間引き奏法で拍のところだけ弾いて先に感覚をつかみます。 そうすると、「なんだ簡単じゃないか( ´∀`)」と思えてくるのがみそ。 あとは埋め草を戻して練習するだけ。 間引き奏法で練習すると意外な事実が判明します。 左手だけかなと思っていたオルゲルプンクトが、実は右手にも保持音があるということ。 拍の音符だけ弾くと、最初のテーマで同じ音が3拍続くことに気が付きます。 これを大事にすれば聞き映えはもっと良くなるよね、という予感。 ・89番 3拍子だけど、アウフタクト。 第一音にアクセントをつけないように注意。 一応大部分は小節の白頭にアクセント指示があるけど、そんなに意識して強く弾かなくても音価が長いのでそれだけでも目立ちます。その代わり第5指(小指)で弾かないといけないので、ポジショニングを適切にしてしっかり不安定にならないように弾くことを心がければよいと思います。 途中に、第三拍目にアクセント指示がある音型が出てくるのでそれも間違わないように。予め先を見ながら次これだなと思ったら第一拍は目立たないように弾いて3拍目を目立つように。これで繰り返しのマンネリ感を一掃する感じ。 左手は同じパターンが続くので、リズム感覚を失わないように第一拍を心持アクセントする感じ。 ・90番 八分の六拍子だけど、二分の一拍子のマーチな感じ。 アウフタクトだけど第一音がfでかつスタカート指示。否が応でも目立つように弾きなさいということかな。 そしてフレーズの最後は2音のディミニエンド。どうやって弾くのよこれ? 付点4分音符の長い音価の減衰曲線の延長上でそれに続く8分音符を鳴らす感じかな。 たぶんに歌声や弦楽器(バイオリン、ビオラ)、トロンボーンとか音程がリニアにシームレスに変えられる(ポルタメント)のを模擬したい感じかな。 そう考えるとこの曲の曲想がはっきりしてくるよね。 中間のマルカート指示のある左手パートも、管楽器の息遣いを感じるよね。 昔小学校でリコーダーを弾かされていた時もタンギングというのを練習させられたよね。管楽器では必須のテクニックだけど、それをピアノで模擬している感じ。 アクセント指示が普通の拍頭ではないところがあるのも注意。もともとp指示があるのでアクセント指示がある音が目立つように、他は更に控えめに。 ・91番 来たよ最初の a-moll 難題。 これも左手はオルゲルプンクトなので拍は取りやすいけど。 右手の4連符をどう弾くかがキー。 慣習的に第一拍目にアクセントを持ってくるのは厳禁で。 これも87番と一緒で一番高い音にピークを持ってくると弾きやすく、聞き映えも良くなります。 あと16分音符が続く音型は滑らかにシームレスにが基本。途中に小節線が入ってもそれは関係ないから。 一番難しかったのは、後半の fの後の右手のディミニエンドの部分。 以前紹介した模範演奏動画の中には、バイエルの運指とは違う指使いをしているのがあります。 バイエルの運指では指くぐりを使うのですが、これが慣れないと難しいというか、滑らかに弾くのもできないのに、更にディミニエンドで強弱を変化させないといけないという二重の難しさ。 運指を考える場合、なるべく指くぐりを避けるというのが最近の教授法の傾向らしいので、以前紹介したビデオはそれに沿ったものだと思います。 運指法としては、以下の2通りがあるということに ・バイエルのオリジナル通りに、4連符の最初を第一指(親指)で弾いて、残り親指越えで4, 3, 2 と弾く ・指越えの代わりに、ポジショニング(跳躍)を使って5, 4, 3, 2 と弾く 後者は指越えが無いので途中でもたつくことも無いですが、1オクターブもの跳躍が発生するので、跳躍の時間を稼ぐのに前音を早めに切り上げる(短くする)必要があります。 たぶんにバイエルの意図としてはクレシェンドからディミニエンドまで滑らかに音が切れないように弾いてほしいというものだったと思いますが、手が小さい子供にはかなり難しいかな、大人でも難しいぞ。 ということで昔からバイエルのここの部分は小さい子供には難しい指使いと指摘されていたのかも。 そこだけまだうまく弾けないけど、それ以外は良いのでOKを出すことに。 ・92番 これは16分音符が出てこないけど、デュナミークに焦点をあてた練習曲。 バイエルの場合、特定のテクニックだけに焦点をあてた練習曲にはそれ以前に出てきたのと似た音型の変奏という形をとる場合が多いので、これもそのパターン。 つまり、一度弾いたことのある易しい曲をベースに、それまで習ってなかったより高度な演奏テクニックに焦点をあてて練習させるという意図。 でも簡単そうだと思えて、バイエルのそうした意図を無視して自分勝手に弾いてしまったら練習にならないんだけどね。 2小節を一単位として、似たような音型が変奏しながら続きます。 似たような音型でもアクセント指示があったりなかったり、デュナミーク指示が違ったりしているので、譜読みの際にこれらの違いを見出して演奏に反映する能力が求められます。 後半の9小節目から同じ音型のフレーズが繰り返し記号を使わずに繰り返し現れますが、これにはバイエルの明白な意図が感じられます。 バロック時代の曲とかでは暗黙の常識として同じ音型の繰り返しの際には演奏表現を変えるというのがあります。 バロック時代の曲はテーマが一つだけの単純な構成であるため、演奏時間を長くするために繰り返しが用いられるものの、同じように弾いてしまうと、聴者がすぐに飽きてしまい演奏が台無しになってしまいます。 なので繰り返しの際には奏者の腕の見せ所というか、アーティスティックな個性の発揮しどころで、違う弾き方をしなければならなかったのでした。 バイエルにも当然ながらそれを承知で、初心者がそのまま同じ演奏を繰り返し兼ねない繰り返し記号を使わずに、同じフレーズを異なるデュナミーク指示をつけて(演奏譜の形にして)いるのだと思われます。 なのでそれを無視して同じ演奏を繰り返さないようにね。 あと最後のコーダ部分が、「大人のための独習バイエル(下)」では意図的か偶発的なのか、前半のフレーズのコピーになっていますが、これは明らかにバイエルの原曲とは異なっているし、バイエルの意図にも反していることになります。 コーダの部分はオリジナルでは、G, d, G, d とG, dの2音が繰り替えしつつ、デュナミークは逆方向に変化するという直感と異なる指示になっています。 普通は音型だけ見ると同じデュナミークで繰り返してしまうのですが、それだとつまらないのは確か。 なので前者は第一音より第二音が強め(これは自然)、後半の第三音と第4音はそれと逆に最初が強く、最後が弱く。 高い音にアクセントを持つ練習をしていたら、それとは逆のパターンも練習しないといけないということに気づきます。 バイエルの後の方の曲にはやはりそういうパターンも出てきます。音階的に下るのに、クレッシェンド指示があるとかね。それはそういう曲想を要求しているということかな。 ・93番 a-mollの難曲。 演奏時間は30秒足らずだけど、無限に長い気がするよね。 どんだけ情報が詰まっているのかと。 一見すると前のa-mollの曲のようにオルゲルプンクトは見られないけど、同様のテクニックでフィンガーペダルがさりげなく使用されているのに気づきます。 それは間引き奏法をするとはっきりする。 右手の拍の音だけ弾くと二音が同じ音を保持しているのに気づきます。 これが左手の3連符と重なって和音になるので響きが発生します。 オルゲルプンクトと同様にある音を保持したまま、同時に短い音型を重ねることで独特の響きが出るのはバロック時代の曲だけでなく、それ以前の中世のearly classic音楽からの常套手段。 93番が独特な響きで短い曲なのに印象が残るのはそれも理由なのかも。 なので演奏時にはこのフィンガーペダルをしっかり意識しながら弾くことになります。 けれども右手と左手の運指やポジショニングが大変。 なかなかデュナミークやアクセントとかを演奏に反映するまでには時間がかかりました。 まずは別々におさらいして、ゆっくりのテンポで合わせていくしかないよね。 ここでも16分音符が続く音階的な音型は滑らかにシームレスに弾くように練習します。 最初は力を抜いて、指を下げるだけで指を持ち上げるのは鍵盤の自己復帰力を使う感じ。そうすれば、余分な力をかけなくなるので、滑らかに弾けるようになります。 この段階で16分音符を鍵盤の力を借りずに指の運動だけで弾く癖がついてしまうと、いずれ腱鞘炎で躓くことになります。 大人の場合は特に、腱や筋肉の弾力性が衰えているので、柔道の柔らの心得のように、必要な力だけを必要なタイミングに使うだけにして、それ以外は相手(ピアノ)の力に任せないと長い時間は練習できないと思います。 ・アラベスク これも良くみたら a-mollだったわ(;´Д`) アラベスクはアラビア文様という意味とかだけど、ブルクミュラーは、どうもアラビア文字から曲想を得たのではと思うよね。 アラビア文字は話し言葉の子音文字だけを記載する省略記法から始まったみたいで、文字は連続書体で書くのが特徴的。 しかも子音ばかりなので、途中に跳ねが頻繁に出てくるし、アクセント記号みたいな点もその上についているのも必ず見かけます。 これはアラベスクの譜面のそっくりだよね。 小節の途中にアクセント記号の点が毎回出てくるし、跳躍で音は刎ねるし。 まあ、そんなこと考えるのは自分だけだろうけどね( ´∀`) でもそれはこの曲の特徴的な部分なので、そこをしっかり弾かないと台無しになります。 16分音符の4連符は軽やかに弾き始めてそれに続く8分音符にアクセントをつけてスタカートなので、音価半分(16分音符相当)で早々と見切り発車して次の音を準備する感じ。 なので全体的には2拍目が目立つ感じかな。 中間部で声部交代でバスで16分音符の4連符を弾き始めるところが難所かな。 利き手が右手だと、左手は同じようにきびきびとはコントロールできないので、練習が必要でした。 やはり最初は間引き奏法( ´∀`) 拍の音だけ弾いて、アクセントも加えて、だいたいの感じを体と耳で覚えます。 それで安定して弾けるようになったら省略していた埋め草を戻して弾く感じ。 バイエル93番と同じく、アラベスクでも後半に指くぐりを伴うディミニエンドが出てきます。 これはさすがに前の音が8分音符なので代替手段はなさそう。その代わりというか、リタルダンド( poco rall)指示があるのが不幸中の幸い。ゆっくり弾いていいのね。 あと最後のコーダ部分が大変だよね。 「大人のための独習バイエル(下)」にある、アラベスクのコーダ部分の最後のカデンツ(Cadence)の右手が1オクターブ低いのは意図的なのか偶発的な間違いなのか謎。 16分音符の4連符と8分音符のアクセント+跳躍のための休符の音型で階段状に音階を駆け上った後に、一気に2オクターブ下に跳躍して、最後1オクターブ上に跳躍して最後の音を弾いて終わるの。 これはここだけ練習しないとシームレスには弾けなかった(;´Д`) でもそんなこんなでデュナミークに注意して練習していくと、日に日に聞き映えが良くなっているのを録音した後チェックで聞くと感じるよね。 弾いている間は頭いっぱいで、弾き終わった直後は、自分が何をどう弾いたのかすら覚えていないというので、録音して客観的にチェックするのは大事。 デジタルピアノは録音機能を内蔵しているのでそれは便利だよね。 さて、そろそろ最後のステップ5に移っていいですか。 メカニック的とかテクニック的な部分はこなれが必要なのでまだまだ時間がかかるし、時間の問題なので、長い目で見る必要があるよね。 んじゃまた。 P.S. 「大人のための独習バイエル(下)」の92番と課題のアラベスクは最後のコーダ部分がオリジナルと明らかに異なっていることが判明しています。 これは意図的なのか偶発的なミスなのか謎ですが、たぶんに出版社の意図的なものだと思われます。 PTNAのステップに対応する形でバイエルの練習曲をグループ化するというのは、この本で初めて試みられてことであり、それは大人向けには成功していると思います。 実際ステップ内の全曲を同時並行して練習することは可能であり、著者もそれを意図していると思います(各ステップの総演奏時間が10分程度になるように、メトロノーム値指定で各曲のテンポが調整されている)。 出版社にとってはそれがオリジナリティであるため、同様の本を他の出版社から安易にコピーして出版できないように、一部の曲はオリジナルから意図的に改変していあるのではと考えてしまいそう。 明らかに譜面を丸コピーして他社が似たような本を出版したら、意図的に間違えているところまでコピーされていたら裁判でコピー行為を立証できるからかな。 コピー判別のためのシグネチャを予め譜面に組み込んだということかも。 |
webadm | 投稿日時: 2018-10-7 14:58 |
Webmaster 登録日: 2004-11-7 居住地: 投稿: 3068 |
Re: ピアノ教本 ふう、10月に入って台風が来たり、台風一過で猛暑が戻ったり大変(´Д`;)
台風が過ぎた後電車止まったりして、帰りの電車来ないし、やっと来たら満員御礼、何ですかこりは状態。 まだ高温多湿に戻って鬱になりやすいから、みんなも気をつけようね。 さて、あれから「大人のための独習バイエル(下)」のSTEP4は見違えるようにぐんぐん仕上がって、全部okということに。 やはり毎日良く寐て睡眠を取ると違うよね。 思った通りの演奏が出来るという自身が付いてきた感じ。やれば出来るじゃないか(´∀` ) さて、指の練習で併用している「Pianoprima exercise」の leve 4もこなれてきて、最初は絶対最後まで弾けないよと思っていた両手のスケールの並進行、反進行、並進行の練習がある日を境に出来るようになって、それからは微調整して目をつむっても弾けるようになりました。 棒弾きだけではなく、デュナミークをいろいろ変えたり、音価を変えたりしながら練習するとそれが積み重なって普段の曲の練習の下地になる感じ。 それで level 5 を初めてみようかということになって譜読みを始めたら、驚愕の事実が発覚。 level 4ではオクターブ練習は両手のユニゾンのスケール往復だけだったので、最初は指が開かなくて苦労したけど、これもある日を境に楽になって弾けるようになりました。 しかし level 5 では、level 4と オーバーラップする練習があるのはいいとして、新しい練習として、怒濤のように色々なオクターブの練習が登場するのでした。 恐る恐るなぞってみたけど、弾けないことはないけど、無理すると手を壊すかも、また親指の付け根が痛くなったら怖いな。 ということでオクターブの部分は体調の良い時だけにして、とりあえず以前もやったように、前の level 4 と level 5 を経過処置的に取り組むことに。 「大人のための独習バイエル(下)」の最後のSTEP5に進むことになり、譜読みを始めました。 STEP4の練習の時には暗譜はしているけど、譜面を見て弾くようにしていましたので、だいぶ譜面には慣れてきました。 当初弾けたらいいなと目標にするため購入してあったコンテンポラリーな曲の楽譜を読み直すと、今なら弾ける易しい部分とまだ弾けない難しい部分の見分けが付くようになっていました。 結論として中級レベルに入らないと仕上がるのに時間がかかるというのが容易に予想がつくので、一端はお蔵入りに。 少なくともバッハのインベンションぐらい弾けるようにならないと今テンポラリの曲を短期間に思うように弾けるようにはならないと思います。 まあ、それの一曲だけ弾ければいいというなら、取り組むのは導入段階でも可能だと思うけどね、メカニカルな面で課題が多くて一曲仕上がるのに数年かかるのは覚悟しないとね。 テクニック面で導入段階のままだと、表現力とか無いに等しいので、棒弾きに毛が生えた程度にしかならないよね。 やはり自在にデュナミークやアゴーギクをコントロールできないと自分でも納得できる演奏には届かないし。 プロの演奏家を真似るにしても、それは必須になるよね。 というわけで急がば回れで、回り道になるけど初級レベルの力を付けることを優先して、それからその先の目標到達までの道のりを考えることにしています。 ご高齢な方の場合、数年もかかったら途中で死んじゃう可能性もあるので、下地は作らずにゆっくりでいいから安心して聞けるレベルまで好きな一曲に取り組むというのもありだと思うけどね。 私の場合は、1年目で入院するほどの大病をしたので高齢ではないものの、あと何年生きてるかとか人ごとではないんだけどね。 何の話だったっけ? ああ、STEP5の話ね。 STEP4の練習を続けつつ、STEP5の譜読みを始めたところ、 ・譜面のページ数は見開き2ページと多いものが出てくるけど、演奏時間を計算すると従来通り1分未満か1分前後(最後の106番を除く) ・左手のアルベルティバスが終始16音符なのが出てくる ・二重全打音が出てくる ・アウフタクトで付点音符リズムが出てくる ・右手で16部音符の長いフレーズが出てくる ・B-dur, 二重付点音符が出てくる ・ゼケンツが出てくる ・半音階スケールが頻繁に出てくる ということに気づきました。 詳しくは以降で、 ・94番 F-dur Allegretto STEP4でたびたび登場した F-durですが、今度は二拍子の曲。 軽快で速い曲というのはわかるよね。 演奏時間も30秒未満。 左手はおなじみのアルベルティバスですが、16分音符なので細かい。 構成としては A-A'-B-A' という感じ。Bの部分はAのフレーズの後半部分を繰り返す感じ。 dolceで始まって、上昇音階をクレッシェンドで登った後に、同じ音型を p と f とでデュナミークを変えて変奏し、A'を再現して終わる感じ。 コード進行は、Aが F C F, A'が F C7 F, B が C7 F C7 F という感じ。 緊張感を与える部分に7th コードが使われている。 アクセント指示が拍頭出ない点に注意。シンコペーションしているので自ずとそうなるんだけどね。 月並みなアルベルティバスでコード進行も複雑ではないのもあって、棒引きすると陳腐さが蔓延するよね。 Youtubeで模範になりそうなビデオを探すと、どうしても定番のチャネルになってしまいます。他の練習ビデオや、ピアノの先生らしき人の演奏は典型的な初級の域を脱していない棒引き演奏なので模範とは呼べないものが多いのが難点。 バイエルの最後の方になると、悪い意味でのバイエルらしい演奏が蔓延しすぎている感じ。ちゃんとした模範演奏を探すのは大変。 以前から紹介しているアイオワ大学のビデオは、安心して模範教材として使えるレベルだけどね。でもバイエルではない曲への差し替えの多いペーターズ版に基づいているので違う曲になっていることがあります、100番台では特にそれが目立ちます。 これはセーフでした。 あと、以前から紹介している個性的な演奏の国籍不明な音楽教室のチャネルから この2つを聞くと、他はちょっと聞けないわ。 本当に同じ曲演奏しているの、イマジネーション足りてる?と心配になりそうなビデオが多いです。 ・96番 C-dur Allegretto 久々に6度の重音が出てきます。 右手が弾いている間は左手はお休みか控えめ。逆に右手が控えめな時は左手がオブリガートになる感じ。 フレーズは結構長めなので、緊張感が続きます。 演奏時間はその分短めで30秒足らず。 和声的にはテンションコードとしてsuspend 4が使われている感じかな。 右手は難しくなさそう。右手と左手を合わせた時の雰囲気をまず頭の中でイメージしてから練習に臨むとよいかも。 お手本になる演奏はこちらしかない感じ。 ・96番 F-dur Allegro 右手と左手が交互に声部交代するちょっと長めの曲。 これも95番と似て、バスがオブリガートな感じ。 音型も音階的で難しくはないものの、テンポが速いので(一小節当たりの演奏時間が1秒未満)、その感に声部交代やらデュナミークやらを考慮に入れて演奏するのは頭いっぱいになって大変。 息つく暇は無い感じ。 まあ演奏時間が短いから取り組めるんだけどね。 模範演奏はやはり前出の2つのチャネルから。 ・97番 c-dur Allegretto 今度は右手が3度の重音音型、左手は第一主題部分はオルゲルプンクトで常にベースの基音の弦が開放状態でフィンガーペダル効果で響きを作り出しています。 中間部でG-durに転調し主題も変わって雰囲気も変わります。 左手バスの音型は今まで出てこなかったリズム。 最後はC-durに戻って第一主題を再現して終わり。 終始和声的な響きを大事にする演奏が求められている感じがします。 最初のうちは16分音符の難しいタイミングを回避するため拍の音だけを弾く間引き奏法で全体の流れや雰囲気をしっかりつかむといいかも。3拍子だと一小節3音だけ弾けばいいし、曲想がそれで失われることはないです。 どちらの演奏も、これが本当のバイエルだよねと感じます。 あと、以前から紹介しているこちらのチャネルも上の2つは無理としても最初に目指すお手本には良いかも。 仕上げるなら少なくともこのレベルまでは目指したいよね。 ・98番 F-dur Allegro またしても3拍子で、しかもアウフタクトで変則リズム。 左手はスタッカートで3拍子を刻むので、右手も短い音価の音符はより短く、長い音価の音符はより長く弾くことでメリハリを出す感じ。 和声的にはテンションコードに7thコードが使用されているのがわかります。 これも演奏時間は1分足らず。 難しくはないですが、のんびりとは弾けない(どれもそうだけど) 定番の模範演奏2つの大人の演奏を聞き比べてみてください。 あとこちらもお手本になるかな。 ぷりんと楽譜のビデオは全部が全部じゃないけど、当座のお手本にはいいかも。一部は棒引きに近い演奏もあるので、それはお手本にしないほうがいいかも。 ・99番 B-dur Adagio 初めて出てくる変ロ長調(B-dur)と、右手の二重前打音。 左手はバイエル前半に出てきたような分散和音でもないトレモロ的なもの。 たぶんに右手がむつかしいので左手は易しくした感じかな。 二重前打音は初登場だけど演奏方法に関しては「大人のための独習バイエル(下)」は一切触れていません。 単前打音ですらタイミングに苦労するのに、2つも打つのは更に頭を抱えます。 たぶんに前の音の音価を食うのはすでに八分音符で短いので無理。 ということは普通に装飾される主音のタイミングで前打音を弾き始めるのがよさげ、その分主音の音価は減る感じ、そうしないと次の音符のタイミングがずれて結果的に拍がずれてしまうので。 実際には試しで演奏してみて、全体を調整する感じかな。 最後のコーダの部分には長いスケール音階の後に重音のカデンツ(Cadence)で終わるので、これをきめるには別途練習が必要。 テンポはこれも初めてかも、Adagio指示になっています。 なので、演奏時間は長めで1分を超えます(繰り返し部分を含めて)。 棒引きや単調にならないようにデュナミークだけで変化をつけるのは大変かも。 こちは模範ビデオは、アイオワ大学はペーターズ版で差し替えられてしまっているので曲違いで没。 何故か曲想が陳腐なためか、国籍不明の音楽教室サロンの先生のビデオは99番が欠番。 いろいろ探したら、テンポは少し早めだけど、こちらがよさげ。 他はこれといってよさそうなのは見つからなかった、テンポ指示どおりだと音楽的に演奏するのはむつかしそう。 楽譜通りのテンポでの模範演奏になると、こちらかな 音型が単調なだけに、ゆっくりなテンポだと陳腐さが目立つね。 ・100番 F-dur Allegro 三拍子で右手は前打音あり。左手はオルゲルプンクトで常に基音が開放弦状態でフィンガーペダル効果を作り出しています。 和声的には中間部でC-durに転調、後半はF-durに戻ってテンションコードに7th や sus2 が使用されているのがわかります。 右手の波打つような上昇音階はたっぷりデュナミークをつける必要がありそう。 前打音がつく部分はメリハリがつくようにかなり強調して演奏する必要がありそう。 左手は目立たない程度に。響きを保ってリズムを刻み続ける感じ。 模範ビデオを3つ挙げます。 ・101番 C-dur Allegro moderato イントロは右手16分音符と8分音符の波打つようなな音型、左手は8分音符のトレモロパターン、中間部で声部交替して右手は重音の全音符、左手がメロディになり、後半元に戻り、コーダ部の最後は両手で16分音符のユニゾンを弾いて終わり。 テンポは速めなので、小節数は多いけど演奏時間は1分。 これも予めしっかりと全体構成とデュナミークのパターンを頭に入れて「自分ならこう弾く」という信念を持って弾かないと聞けない演奏になる感じ。そうならないと弾けたとは言えないよね。 音型が簡単だからと言ってバカにしてはいけない。 模範演奏はいつもの2つ ・102番 F-dur Moderato またしてもへ長調、バイエルはへ長調が好きなのかな。 右手に二重付点音符が登場します。変則リズム。 左手はオルゲルプンクト、基音が常に開放弦状態でフィンガーペダル効果を作り出します。 中間に半音進行のコーダぽいフレーズが出てきます。そこだけ前後と異なります。 それが偽終始になって、再び元の主題が表れます。 最後の本当のコーダ部分は長い上昇スケールから成り、最後カデンツで終わります。 コーダの途中は何度もsus4コードで緊張と解決が繰り返されるので、緊張度合いはその都度増して最後どどーんで終わり。 中間の半音階と偽コーダは、最後のコーダの予告編みたいな感じかな。 半音階スケールは調整がニュートラルなので、それ以前の調整を聴者の記憶から消してしまう効果があるので、転調を繰り返す場合には都合がよいですが、この曲のように途中で先に起こることを予告するのにも使えるという感じ。 想像を膨らませたところで、さて模範演奏を聴いてみますか。 ちょっとテンポはModeratoより速い感じで演奏時間も40秒。 アイオワ大学の方はペーターズ版で別の曲で差し替えられているため没。 指示通りのテンポだと、以前紹介した腕毛がきもい先生のチャネルから、 なるほどゆっくりだと、コーダの部分が明確になるね。 演奏時間も1分で、ぴったり。 ・103番 C-dur Allegro moderato 3拍子で、右手は八分音符の分散和音、左手は16分音符のアルベルティバス。 中間部の変奏で右手に16分音符の旋律が出現。その間は左手は控えめな音型の後に、繰り返しの前に休符を挟んで右手はアウフタクトで主題フレーズを再開。 最後も同じパターンで繰り返しなしで終わる感じ。 実質的には同じフレーズを一部変奏しながら繰り返しているので共通部分は全体の4分の1だけ。なので練習量は少なくて済む感じかな。 全体構成を忘れないようにしないとね。 アイオワ大学のビデオは、例によってペーターズ版が曲を差し替えているので別の曲で使えず。 国内だとこれかな、 このチャネルの演奏は全般にデュナミーク指示無視して、棒引きしているのが難点。 ・104番 F-dur Allegretto 前半はF-durで右手は付点リズム、左手はアルベルティバス。 中間部でC-durに転調し右手は16分音符のメロディ、左手はオルゲルプンクトで基音が常に開放弦状態に。 その後はf-durに戻って主題を再現し、最後に中間部の変奏で終わり。 中間部に出てくる右手の16分音符の音型が、最後にF-durに転調して再び出てくる感じ。 テンションコードはsus4が使われている。 難しい部分は無いけど、最初から最後まで気が抜けないのと、デュナミークをはっきりさせないと、陳腐な音型の繰り返しに感じられるので注意。 全体構成を理解するのが大変かも。 テンポが速いので休む暇ないし、頭はフル回転状態。 演奏時間は一分未満。 最初の目標は次の模範演奏を目指す感じで、 こちらもいつも通り色気が無い棒引き演奏だけど合格レベル、この水準に達するだけでも大変だと思う。 もっと音楽的かつ個性的で説得力のある演奏をするには以下演奏を研究する必要があるかも。 聞き手を納得させる説得力のある演奏をするには、まず演奏者自身が自分を納得させるだけの説得力のある演奏解釈を手にいれる必要があるんだけどね。 ・105番 C-dur Allegro moderato 右手が最初から半音階進行のゼケンツで始まります。 ゼケンツというのは英語でいうと Sequenceという意味で、同じ音型が音程を変えて繰り返し現れるパターンの事。 同じ音型が繰り返すので、表現は変える必要があるものの、すでに音程が違うので、デュナミーク程度を変えるぐらいで、それ以上の目だった意図的な変奏はしないほうが良い感じ。 でも決してまったく同じように弾いていいというわけではないからね。そしたら聞いていてもつまらない。 かといってその時の雰囲気で変奏の仕方を変えていいというわけでもない、もし変に変えたら全体の構成のバランスが崩れて演奏が台無しになってしまうかも。 半音階進行のゼケンツの合間にはふつうのメロディラインが入るインターリーブ形式になっています。 ちょうど写真や絵画のコラージュ(切り貼り)手法みたいで、合間合間にちょっとづつ同時進行するもう一つの曲が見え隠れする感じ。 電車でトンネルに入ったり出たりするときに外の景色がちょっとだけ見え隠れする雰囲気。 いろいろと使える作曲技法だよね。 半音階スケールは調整がニュートラルなので、その後にどんな調に転調しても聞手は驚かないといメリットも。 トンネルを抜けたらそこは雪国だった、というシーンも再現できるよね。 この曲では半音階進行後に中間部でG-durに転調しています。最後は半音階のゼケンツを経て長い半音階スケールのコーダでC-durのカデンツで締めくくります。 では模範演奏を聴くことに。 どちら必ずしも譜面通りじゃないけどね。ゼケンツのところはデュナミーク変えていないし(その方が聞き映えがいいという解釈なのかも)。 自分で弾く時にはデュナミークにメリハリをつけてみるつもり。 実験して良い効果がなければ同じように演奏するけどね。 そういえばこの曲が最後に繰り返し記号があるけど、最初から繰り返すのかな、みんな繰り返しせず一回しか弾いてない気がする。 ・106番 C-dur Allegro moderato これが最後の練習曲だけど、どうせなら108番まで作ってほしかったよね、煩悩から逃れられるかも( ´∀`) これお半音階スケールと転調を繰り返すパターン。 両手同時の半音階スケールが圧巻だよね。 今までやっている「Pianoprima exercise」のlevel 4 には片手づつの半音階スケールがあるので、一応片手づつなら弾けるけど両手同時はどうかな。練習しないとだめかも。 半音階スケールを弾くには、鍵盤の奥の方に指先を置く必要があるので、なるべくその位置でいろいろ練習したほうが後々いいのかも。 ホロビッツとかは白鍵だけ弾く時も黒鍵を弾く時と同じように鍵盤の奥を弾いている。たぶんタッチの感覚などが、鍵盤の奥と先っちょでは違ってしまうので、一定にするためそうしているのかも。 普通のピアニストは黒鍵弾く用事がある時だけ手を奥のほうへ差し出す感じにしているよね。だから長いスケールとかだと手が前後に移動しているのがわかります。ホロビッツにはそれが無いぽい。 さて課題が見えたところで、模範演奏を聴いてみますか。 たまには違う人の演奏を。 よく仕上がっているよね、しかも暗譜でえらいね。 どれも似たようなもんですな。繰り返し部分をいかに飽きないようにしないかが課題かも。 定番チャネルはどちらも106番が無かった...orz やっぱり音楽的に弾くには解釈が大変そう。 「大人のための独習バイエル(下)」の最後は課題曲があります。 ・「エリーゼのために」より(ベートーベン作曲) きましたか「エリーゼのために」、初心者が弾いてみたい定番のコンサートピースですか、でもコンサートでこれを弾くピアニストは少ないかも。 元々はベートーベンが弟子用に作曲して献呈したものが、ベートーベンの没後に発見されて知られるに至ったらしい。 昔から良く耳にするポピュラーなピアノ曲だけど、譜面を読むのはこれが初めて。 譜読みして初めてしった驚愕の事実。 ・右手、左手ともにひとつの音型の音域が広い(1オクターブ越えはざら) ・左手の方が右手より音型の音域が広い(2オクターブに達する) 噂に聞いていたけど、ベートーベンはピアノ即興演奏の名手で、若い頃はピアノ即興デュエルで勝ちまくったほど。それだけに片手の音型の音域の広さなどベートーベンにとっては普通かもしれないけど、普通の人には弾きにくいことこの上ないということ。 いやこれ最初の部分だけでも初級者にはきついわ(;´Д`) 油断すると指が届かない、ポジションミス、ありそうだよね。 それとペダル記号が初めて出てくる。 ピアノでペダル機構が一般化したのはベートーベンの生きた時代だったから、ベートーベンはそれを喜んで活用した感じ。 でも当時のピアノと今日のピアノでは構造や設計が異なるから、鍵盤のタッチの重さも音の響きや残響時間も違っていたらしい。 それで現代のピアノで弾く場合には、その違いを考慮しないと譜面通り弾いても逆効果だったりする指示もあるぽい。 とりあえず著者が推奨するこの曲(抜粋)に取り組むことに。 この曲は調性記号が書いてないけど、ベートーベンは調整記号を書いても必ずしも最初からその調で始めるわけではなかったみたいだね。そうした古い縛りが音楽の可能性を制限していたのは明らかだし、ベートーベンはそれを破ることで新しい時代を作ったのかも。 とりえあず模範演奏を貼っておきます。 これは最初の部分の抜粋だけなので、オリジナル全曲演奏はこちら デジタルピアノでの演奏もあるよ。 お弟子さんがたくさんいるピアノの先生のチャネル 手元にあるデジタルピアノと同じYAMAHAのP115、ポータブルなステージピアノだけど、屋内据え置きもできる機種の中位モデル。 その後この先生は同じ機種の最上位のP255にアップグレードしたみたいで、だいぶ表現しやすく良くなったとか。 最後の動画は関係なかったけど、それでは練習に戻りますか。 んじゃまた。 P.S. いつか書こうと思って書き忘れたので、バイエルも最終段階に入ったので、手元にあるバイエルの模範演奏CDが一枚だけあります。 今もまだ再販されているので入手性も良いと思います。 ユニバーサル・ミュージック「バイエル・ピアノ教則本[第44番〜第106番]」クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ) カバーがねむの木学園のながしやすこさんが描いた「リンゴの小鳥ちゃん」があしらわれていてとても特徴的です。 演奏も丁寧でオリジナル譜に忠実でありながら音楽的にも申し分ないものです。 Youtubeとかで好みに合う演奏を見つけることは難しいので、安心できるこうした模範演奏CDは独学には欠かせません。 ユニバーサルからはエッシェンバッハの演奏で他にもチェルニーの30番、40番、バッハのインベンションとか全部15巻(CDの前のレコードの時代ね)が出ていたと思います(それらが今CD版が入手可能かどうかは不明、日本国内限定販売だったので海外のピアノ教師とかは喉から手が出ても手に入らないみたいなことをAmazonのコメント欄で見た覚えが)。 個人レッスンを受けていても、先生がまじめにお手本を弾いてくれているとは限らないので(youtubeとかで演奏を披露している先生方の演奏はミスこそないものの音楽的かという問われると疑問符がつきます)、やはり音楽的に優れた模範演奏CDは一枚は手に入れるべきです。 他にも国内で日本人のピアニストによる模範演奏CDも出ていたのですが、少子化が進み、ピアノお稽古ブームも去った今では絶版になっているようです。 |
webadm | 投稿日時: 2018-12-23 22:37 |
Webmaster 登録日: 2004-11-7 居住地: 投稿: 3068 |
Re: ピアノ教本 ふう、前回のお便りから2ヶ月以上経過したね(´Д`;)
まだSTEP5仕上がってませんが、というよりやっと両手で弾き始めたところだし(;´Д`) 最初の1か月は併用している「Pianoprima exercise」のlevel5の攻略にほとんどの時間を費やしていました。 今はオクターブの各練習メニューについては弾けるようになったものの、どうしても今でもまだ満足に弾けない練習メニューがあります。それは両手でCのコードの基本形と第一転回、第二転回を順番にポジションを変えて複数オクターブ域で両手でユニゾンで弾くというアルペジオの練習メニューですが、これが難しい(;´Д`) 最初に躓いたのが、記載されている運指番号が適切ではなかったという点が挙げられます。普通は以下の制約の下で運指が決まるはず。 ・隣合う指の組み合わせで1−2以外でとれる最大インターバルは3度 ・唯一1−2を用いて4度までとれる そうしないと指が届かなくて弾けない(間違った音を弾いてしまう)ということになります。 しかし楽譜の運指を確かめると上昇と下降で指使いが対称になってないところがあるばかりか、1−2以外の4−5、2−3で4度のインターバルをとるような無理な運指番号が振られていることが判明。 まあ「Pianoprima exerice」はあまり紹介されていない本だし、最初のlevel 0の練習譜からして音符の黒丸が一部欠けていたりして、著者校正は実施されたのか疑わしいのは事実。それを除けば取り組み易いし練習譜も短く、機械的ではなく飽きないものになっているので良いのでえすが、この譜面だけは文句が言いたくなりました。 まあ、弾ける運指番号を書き加えてみたものの、無理が無い運指にはなりましたが、依然として安定して弾けない状況は変わりません。 基本形、第一転回、第二転回と基音を押さえる指が順番に移っていくだけだと頭ではわかっていても、手の方は毎回同じフォームで弾こうとするので、届かないパターンが出てしまうと(;´Д`) これが両手で安定して弾けるようになったら level 6に進んでいいかな。 前回譜読みが終わったところで下記の練習方法を取ることに決めました。 ・初見で弾けない部分から優先して手元を見ないで弾けるように部分練習 ・ゆっくりテンポでもうまく安定して弾けない部分は弾けない原因を探り、解決方法を考えて、改良した弾き方を練習 ・曲の構成を良く見直して、転調箇所、コード進行、デュナミーク、アクセント、アーティキュレーションの意味を分析して演奏中に次の変化を予測できるように譜読みし直し ・右手と左手がそれぞれ譜面だけ見て(手元は見ないで)弾けないところがあればその前後を含めて部分練習 そんなことをしていました。 まずは演奏上の難易度の凸凹を平らにしないといつまでも平易には弾けないし、躓きが無くならないしね。 やっぱりSTEP5の全曲を同時並行にというのは無理があったかも(;´Д`) それでもなんとか難所とその克服方法が見つかって両手で練習を始めたところでちゅ(´∀` ) 今譜面を見ると、「なんだ短いじゃん(´∀` )」とか「簡単じゃん(´∀` )」とか思えるけど、最初もそう見えたけど、実際には弾けなかったし(´Д`;) STEP5の難しさは下記の点につきるよね ・右手と左手の独立性が以前に増して要求される(右手も左手も小節単位もしくは半小節単位でコード進行が独立に変化する) ・付点リズムや、アウフタクト、シンコペーション等の複雑なリズムが頻繁に出てくる ・半音進行や黒鍵を伴う頻繁に音型が出てくる(良く似た黒鍵を伴わない音型と伴う音型が同じ曲に出てくる) ・16分音符の長い、指くぐり(TU/TO)、黒鍵を伴う音型が必ず出てくる ・16分音符での長い半音階スケール音型が出てくる まずもって16分音符の長い音型については最初手が固まって弾けなかったのを告白します(汗 固まってしまってはどうしようも無いので、ゆっくり指番号を全部の音符に書き込んで順番に指使いの難所を確認しながら攻略を進めました。 そこで解ったのは、後で紹介する本にも出てきて「やっぱりそうだったのね(´∀` )」と納得した攻略方法でした。 長い音階(スケール)的な音型を弾く場合には指くぐり(TO/TU)が必然的に伴うのですが、そこでまず固まるよね。 併用している「PianoPrima Exercise」でもずっとスケールの練習はしているけど、そっちはスムーズに今は弾けますが、どうして弾けるようになったのかは気づいていませんでした。 でも同じスケール的な音型では躓くので、全然基礎が役にたっていないわけで、スケールは弾けるけど、曲の中に出てくるスケール的音型がさっぱり弾けないのでは役だってないのは明白。 これも後で紹介する本に出てくるけど、「Aが成り立つならBも成り立つ」が事実だとしても、「Bが成り立つならAも成り立つ」ということは言えないということ。 つまり「上手に曲が弾ける人はスケール練習も上手」なのが事実でも「スケール練習が上手に弾ければ、曲も上手に弾ける」とは必ずしも言えない。 数学を知っている人ならこれはあたり前だよね。 うまく弾けない理由を分析すると、 ・指くぐりを開始するタイミングがいつも遅れ気味(ゆっくりテンポなら発覚しない) という結論に達しました。 解決先としては、予め先を読んで、第一指(親指)が自由な間(別の指が鍵盤を押さえている間に)次のポジションへ第一指だけ先に移動を開始する。 これが簡単なようで難しいだよね。今まではお呼びがかかる頃(次に第一指で弾かなければならない音のひとつ手前の音を弾いたタイミング)に移動していたけど、16分音符で軽快なテンポでは前音の音価が短いのでタイミング的に移動が間に合わないということに。 音楽演奏の種明かしとしては、楽譜が先にありきで、これから弾く音が全部もう決まっていることをうまく利用しない手はありません。 これは予め演技プログラムが決まっている他のスポーツ(フィギアスケート、機械体操)にも言えることで、次に何をするのか予め知っていなければならないわけで、その知識を有効に用いて演技するのは当然。 お芝居とか台本が先にありきの世界も似ているよね、予め進行が決まっているので、いつ自分の台詞が発生するか、どういう状況でそれが登場するかも知っているはずなので、遅れたり、とちったり、場違いなニュアンスや声色だったり、棒読みだったりするとどんなに良い芝居だったとしてもそこで台無しになるよね。 コンピュータシステムでも性能を上げるために、プログラム命令やデータの先読みという方法が用いられるのは今ではあたり前。 初期のコンピュータは、今実行している命令が終わるまでは何もしない設計で、命令読み込み(フェッチ)、命令解釈(デコード)、命令実行(エグゼキューション)、結果の格納(ストア)、の4サイクルを繰り返す仕組みだったので、命令実行以外の時間が大半を占めていて性能向上の妨げになっていたんだよね。 現在では可能な限り上の4サイクルが同時並行(パイプライン)処理されることでコンピューターは可能な限り常に命令実行を繰り返しているように見えるようになったけどね。 それと同様に演技も予め与えられた台本(譜面)を先読み(記憶の再生)しながら常に演奏(実行)を絶やさないのがあるべき姿。 そんなこんなで難所を振り返ってみるね。 ・94番 左手がずっと16分音符のアルベルティバスで忙しいよね。 右手はそれとは対照的に簡単でゆっくり。でも前半と後半のコーダで16分音符の音型(しかも指くぐりありのスケール)が出てくるんだけどそれがこの曲の学習のポイント。 右手の16分音符のスケール音型の攻略では、先に述べた第一指の移動のタイミングを可能な限り早めることで見違えるように滑らかに弾けるようになります。 前の音型を弾いたポジションで指越えで2を弾いて,1,2,と弾いたところで、第一指が自由になるので、そこで先読みした次のポジションへ第一指を移動開始します。この時手は2,3,4の指を軸に手首を回転させて第一指を移動し易くします。 4の後に移動したポジションで1を弾いたら手は直ぐ元の状態に戻して後続する2,3を弾くことに。 まだこの音型は2,3,4と弾いている間に1を移動すれば間に合うので少し遅れてもいいけどね。実際弾いている自分でもいつ移動しているかまったく意識せずに弾いている感じ。 上手に弾ける人も大半はそうなんじゃないかな、自分がどう弾いているか認識していないので、他に人が弾けないのを見ると「どうして弾けないの?」と逆に疑問に思えるところ。 ・95番 これは16分音符は出てこないけど、右手の6度の重音と左手のオブリガートが学習のポイント。 て、それすべてじゃん(´Д`;) 重音は常に二音同時に鳴らす必要があります。どちらか遅れたりすると曲は台無しになってしまいます。 イメージとしては、弦楽3重奏かな。高い方からバイオリン、ビオラ、チェロという三声構成。 バスはまさにチェロという感じ、他の声部が弾かないコードの基音を担当して、オブリガートも弾く感じ。内声と上声部は息を合わせてバスの基音と重なってハーモニーが醸し出す感じ。 実際デジタルピアノなら、ストリングスの音源で弾くとぴったりな曲。 ・96番 右手、左手で互いに16分音符の音型を模倣し合う感じ。 F-Durなので黒鍵混じりなのがポイント。 前半のコーダ部分(16分音符の長い音型)に指くぐり(第一指の先行移動)も出てきます。 ・97番 右手は終始3度の重音。レガートとスタッカートのコントラスト付き。 左手はオルゲルプンクトで始まりG-durに転調する中間部で16分音符を伴うリズム音型に切り替わり、C-durに戻るとまたオルゲルプンクトに戻ります。 アーティキュレーション指示とデュナミーク指示にも忠実に。中間部が弱くなると曲が台無しに。 始めちょろちょろ中ぱっぱな感じ。 中間部の前後で構成上のコントラストを明確にするとよい感じ。 ・98番 右手はアウフタクトかつ付点リズムで譜面通り弾くのが大変。得にコーダの16分音符の音型はかなり精神集中して繰り返し練習が必要でした。 左手はスタッカートでの分散和音。ずんちゃっちゃという感じ。 イメージとしては日本ではなじみが薄いけど、ドイツや西洋のお祭りとかで今も演奏されてそうなアコーディオン伴奏の舞踏曲かな。 手元のデジタルピアノにはアコーディオンの音源が無いのが残念、ぜひとも欲しいよね。オルガン音源で我慢かな。 右手の休符もちゃんと音価通りとらないとせっかくの弾むようなリズムが台無しに。 良く見るとで中間でちょっとだけ並行調のB-durに転調しているけど、すぐまたF-durに戻っているので気づかなかった。 そこも曲を印象付けるポイントだね。 全体的に陽気で楽しい感じ。 ・99番 テンポはゆっくりだしコーダ部を除いては8部音符音型のみなので所見で弾けそうだけど、コーダで躓く罠(;´Д`) コーダ部分は音階的音型だけど指くぐり(第一指先行移動)を速い段階で始めないともたつきが避けられません。 1,2と弾いたところで1を次のポジションに向かわせないと間に合わないかな。でもゆっくりテンポだから良い練習になるよね。 あと黒鍵も頻繁に入るので間違わないように。 ・100番 100番を超えるあたりから難しくなると良く言われるよね。 これはちょっと謎の曲。 バイエルの曲には親子の対話が主題と思われる曲が今までも登場してきたけど、これも中間部のC-durとF-durの転調の繰り返しはそんな感じ。 高い音は子供?、それに応じる低い音は大人?かな。 どんな会話をしているんだろうね。 最初の子供からの長音階の問いに対して大人も長音階で答えているけど、短音階な問いに対しては大人も短音階で答えています。 中間部は左手はCとGのオルゲルプンクトだけど、右手の短音階の時には左手とは違うコード(短三度下降を伴うsus2コードや7thコード)を弾いています。これはしっかり覚えないと毎回間違う(;´Д`) 前半の右手の16分音符の音型は、良く言われる重心移動を使って滑らかに弾くことを心がける感じ。拍感覚も正確に。黒鍵が途中で入るのを忘れずに(;´Д`) 右手が固くならないように、かといって鍵盤から指が離れないようにしっかり安定した手の空中ホバリングを腕と肩と背中で支えます。 普段の生活で繰り返される何気ない親と子の会話ややり取りをイメージして弾く感じかな。 元々はバイエルは正式なピアノ教育を受ける前段階として音楽の素養のある家庭で親と子で予備練習をするためにこの教本を書いたので、曲のテーマとして親と子の会話が題材になっているのは容易に予想がつくよね。 100番は2ページと長いので演奏時間も1分を超えます。 後半に右手で16分音符の装飾音付きの短い音型が出てきますが、これも一度正しい演奏を聞かないと譜面通り演奏するのは難しい感じ。 著者(編集者)はこの曲の装飾音は拍より前に演奏すると弾きやすいとアドバイスしていますが、本当はどう弾くかについては言外。 装飾音の主音より前(つまりその前の音の音価を食う、拍頭ならアウフタクト気味)に弾く演奏方法は古典派以降に登場したので、バイエルの時期では一般的だったとも言えます。バッハの時代やそれに習って作曲されたショパンの曲などは装飾音がかかる主音の音価を食う(装飾音が主音のタイミングで弾いて主音はそこから更に遅れて弾かれる)が普通。 どっちが良いかは両方を実験して弾いてみるのがお勧め。 アウフタクト気味に弾くほうが難しい気もするよね。 後半に出てくる右手の16分音符のパッセージは指越えの練習。4を弾き終わったら3,2,1を重心移動しながら弾くのと並行して手首を回転して4をポジション移動する動きが滑らかで軽快な演奏には不可欠。 これができないといつまでも弾けないことに。 100番あたりで挫折する人はそれも原因のひとつかも。 ・101番 右手と左手が声部交替しながら16分音符の長い音型を弾き続ける終始軽快な曲。 これも音階的な繰り返し部分はしっかり安定した手のホバリングを保って指の重心移動で滑らかに弾く感じ。 しっかり空中ホバリングを腕と肩と背中に任せないと指に負担がかかって固くなり不自然になります。手先は柔軟に重心移動できるように保つ練習がポイントかな。 パッセージは長いけどポジション移動は頻繁には無いのでポジション移動を挟んだフレーズ単位で区切って練習して後で糊付けする感じ。 左手は右手は忙しい間はアルベルティバスだけど、声部交替すると同様の音型を弾くので忙しくなります。 軽快で転がるような感じ。 .P.S 100番を越えたこの最初の曲は、後でクレメンティの100曲からなる全三巻の練習曲の集大成であるグラドゥス・アド・バルナッスム(GRADUS AD PARNASSUM)の中からリストの愛弟子タウジッヒが29曲を抜粋して編纂して出版した版の最初の曲と良く似ていることを知った。 バイエルは既に出版されていたクレメンティのグラドゥス・アド・バルナッスムを意識していたのかもしれない、100曲を越えたところで敬意を表して101番にそのテーマをオマージュとして使ったのかも。 もっともクレメンティの曲の方は小節線の無い、3/1拍子という変わった拍子(全音符を一拍とした三拍子)なので、1.5拍子のヘミオラより珍しい拍子。 ・102番 2重付点リズムとして譜面は書かれていますが、たぶんにバイエルが読者が誤解しないように装飾音記号ではなく二重付点を使って演奏譜として書いたと思われます。 本来は先行音の音価を食う装飾音として第二音が書かれるのが今日では普通だと思いますが、そうすると誤解されてしまう(装飾される主音の音価を食う演奏をしてしまう)ので、子供や親が誤解しないように二重付点を使って記譜したと思われます。 まあどちらでも弾くのは面倒なのは一緒ですが。 第二音を除いては拍タイミングなので弾きやすいといえば弾きやすいかも。 左手はオルゲルプンクトで拍を正確に刻んでいるのでそっちを基準に右手を弾く練習をしてもいいかも。 勝手なリズム(不正確で譜面と異なる意味)で右手を練習しても左手とマッチしないのはお約束。 右手にはすぐに休符を伴った16分音符の短い音型が出てきます。 これも休符を正確に、音型の頭が拍頭からずれないように注意。 かといって慎重にし過ぎて固くなっては台無し。 それに続く音階的な音型もアウフタクト気味なので左手と連携して不自然にならないようにつなげる感じ。 後半も右手は似たような音型がせわしく繰り返されますが、左手は少し違う感じの分散和音なオルゲルプンクトになります。 テンポは速くなくていいので、リズムを正確にデュナミークを焦らずに丁寧にゆったり弾く感じ。 全体を通じてリズム感が優先するので、テンポはゆっくりでしっかりリズム感のイメージをつかむのが良い感じ。 ・103番 右手は前半と後半に出てくるコーダの16分音符の音型を除いては4分音符で易しい感じを受けますが、コントラストが激しいとも言えます。 左手はほとんどが16分音符のアルベルティバスなので忙しい。 左手のタッチを揃えるのが大変。 著者がワンポイントアドバイスに書いているように左手の拍頭にアクセントをつけないとリズムが失われてしまいます。 右手の16分音符の音階的音型にはお約束の指くぐり(第一指の先行移動)が伴います。第一指のポジション移動タイミングに注意して滑らかに弾けるように経過的なフォームを研究して練習する必要がありました。 この曲は無理の無い範囲で軽快なリズムで弾かないと聞き映えが悪い気がします。 ・104番 これも2ページの曲ですがテンポが速めなので演奏時間は1分に満たないですが、内容は濃いです。 最初は右手の付点リズムを除けば左手は3拍子の分散和音なので所見で弾けそうですが、すぐに16分音符の長いパッセージが登場して頓挫します(;´Д`) 前半のコーダ部分と後半のコーダ部分とでは音型は似ていますが、前半ではC-durに転調しているので黒鍵が出てこないのに対して、後半はF-durに戻っているので黒鍵が伴います。似て非なる音型なので注意。 難所の部分に共通するのはやはり指越えと指くぐり(第一指の先行移動)です。一回だけでなく3回も続きます。 それと並行してデュナミークも変化させないといけないんで、同時にやろうとすると手が固まります(;´Д`) 指が回るようになったからと安心してデュナミーク忘れるとちょっと物足りないだけではすまない、つまらない演奏になってしまいます。 この16分音符のところはこの曲の聞かせどころだし印象的な部分にもなるんだよね。 既に名人芸(ヴィルトゥオーゾ)の世界に足を踏み入れている感じがプンプンするよね。 ・105番 バイエル最後の105番と106番はそれまでの曲と明らかに曲想が違います。 半音階進行があるというのも理由だけどね。 105番はこれまでも登場した親子の対話を主題にしたものと思われます。 曲は親子が終始交互に半音階音型で短い言葉を交わす形で、最後コーダでハッピーエンドな感じ。 低い音程が親で終始フォルテで力強い言葉を発していますが、子供の方はピアノで弱弱しい感じ。 もしかして子供は熱を出して寝ているのを親が元気づけているのかな。 それとも子供が何か悪いことをして、親が叱っているところかな。 左手はオルゲルプンクトで分散和音を刻み続け、経過する時間を表しているように思えます。最後は装飾音がついて、なんちゃんて終止(女性終止)で終わっていますから、大事には至らずにハッピーエンドな感じ。 コーダの右手の半音階音型のクライマックス部分では一小節中に5回も指くぐり(第一指の先行移動)が発生します。 これも普段の練習時間30分を延長して1時間以上繰り返し集中練習してようやく弾けるようになりました。 .P.S その後朝目覚めた時にふと、この曲のテーマは人間の親子じゃなくて、猫の親子なんじゃないかと思った。そういえば、途中で猫の鳴き声ぽい音型があるよね。そう考えると謎が解決。いたずら好きで冒険好きな子猫が、親猫の心配をよそに家の中を探検しまくっている様子が目に浮かんできます。最後は親猫につかまって咥えられて連れ戻されハッピーエンド。 人間の親子の対話というのは大人目線であって、バイエルは子供目線で猫や犬の親子の対話をテーマにしようと考えたのかもしれません。そうすると105番が猫の親子だとすると、前やったstep3の80番は、犬の親子?、そういえば犬が吠える声に似た音型が出てくるね。 そうだねきっと。 そうすると他にもペットをテーマにした曲がありそうだね、100番なんかは小鳥の鳴き声ぽい、インコか何かお話しそうな小鳥。 そうだよきっと。それなら小さい子供も喜んで練習するよね。 ・106番 バイエルの最後の練習曲です。 右手と左手のユニゾンでの半音階進行のスケールの合間に右手のオルゲルプンクト(フィンガーペダル)を伴った主題が続きます。 半音階はほぼ標準的な指使い(白鍵は第一指と第二指、黒鍵は第三指)でよく、コーダ部分の最後だけ滑らかに弾くために例外的に一部黒鍵も第二指で弾きます。 半音階スケールの練習は併用している「Pianoprima Exercise」でだいぶ前から練習しているので得に練習の必要は感じませんでしたが、コーダの部分は集中して1時間練習する必要がありました。 105番のコーダでは半音階上昇スケールでの指くぐりの練習が必要でしたが、106番のコーダは半音階の下降スケールなので、指越えの練習が必要でした。 指越えの場合には、指くぐりと違って先に移動するということができないため(鍵盤を軽く押さえている第一指を軸にくるっと手首を回して第三指ないし第四指を移動しないといけないため時間がかかる)、バイエルはコーダ部分を8部音符で書いています。105番より時間的な余裕が生じるようにするためでしょう。 この曲のテンポは最後のコーダ部分が弾けるテンポで決まってしまいます。 なので最初からあまり飛ばし過ぎないようにテンポには注意(;´Д`) スピード出し過ぎて最後のコーダでクラッシュしては意味が無いので。 初見で最後のコーダがテンポ通り弾ける人は少ないかも。最後を除けば初見で弾けそうな気はしたけどね。 .P.S 一番最後に左手で前打音が出てくるのを見落としていました(´Д`;) バイエルは一貫して前打音は現在の短前打音記号(小さい8分音符に斜線が引いてある)を使っていますが、最初に登場する80番のところで初版本にはその前打音記号の解説が載っていますが、ドイツ語でNorschlag, イタリア語で Appoggiaturaと書いてありますが、その後に丁寧に奏法譜による弾き方も書かれていますが、他にバイエルで登場する前打音を見ても必ず主要音にアクセント記号が漏れなく記載されていることから、どうみても現在の短前打音(イタリア語でacciaccatura)なのは明らか。これ前にもどっかで書いたかも。 なのでバイエルの奏法解説にもあるように、前打音は主要音のタイミングで短くならして主要音にアクセントをつけるというのが正解だと判明。 長前打音(Appoggiatura)の場合はそれとは逆で、前打音にアクセントがあって、主要音は申し訳程度に後付けする感じ。これも前どっかで書いた気がする。 長前打音の方が歴史が古いけど、19世紀ロマン派の時代に短前打音とか前の音の音価を食う奏法とかバリエーションが増えた感じ。 たぶんバイエルが生きた19世紀はまだそうした新しい短前打音の名前がなくて、昔教わった古い呼び方をそのまま解説に使ったのかな。 斜線が引いてあるなら短前打音で、そうでないなら古い前打音(長前打音)ということに。 ・課題:エリーゼのため 右手と左手別々に練習していたけど、両手合わせたら意味なかったと痛感した次第。 実は左手と右手の音型はつながっていて、数オクターブのアルペジオになっているのよね。 なのでそれをまた両手で練習しなおし。 それと譜面にペダル記号があるけど、まだペダルの練習はできていません。 作曲者はペダルを使うことを前提に記譜しているので、譜面通り弾くと音がポツンポツンとした感じで良く聞く演奏とは程遠いのがわかります。 ペダルを使うとポツンと短く弾いてもずっと押さえているのと同様に長く響くと同時にダンパーが外れて開放弦状態になった高音弦でハーモニック共振が発生するので、響板と弦との間を振動エネルギーが行ったり来たり激しく交換しあうようになり、響きが想像以上にリッチになります。 最近の新しいデジタルピアノではストリングレゾナンス機能が加わった機種が登場してきているので、それらではペダルを踏まないオルゲルプンクトやフィンガーペダル奏法でも生ピアノと同様に開放された弦同士がブリッジ(駒)を介して響板との間で振動エネルギーを交換し合ってハーモニック共振する効果が得られます。 手元のデジタルピアノはそうしたストリングレゾナンス機能が実装される前の時代の設計のため、オルゲルプンクトやフィンガーペダル奏法を使用しても生ピアノのようには響かないんだけどね。 簡単に手元のディジタルピアノがストリングレゾナンス機能が備わっているかどうか確かめるには、オクターブ上の鍵盤を音は鳴らさずに押した状態(生ピアノではダンパーが上がって開放弦状態)にして、オクターブ下の音鳴らしてみることで、上のオクターブの音が共鳴で聞こえるかどうかで判明します。生ピアノでちゃんと調律してあれば、倍音のオクターブ上の音も鳴るのです。 このストリングレゾナンスがあるか無いかが昔はデジタルピアノと生ピアノの決定的な差異(デジタルピアノの重大な欠点)と言われて久しかったのですが、デジタルピアノ専門メーカーが真っ先にその問題を解決したので、後発のピアノメーカーのデジタルピアノも新しい設計のものはその機能を備えるようになっています。 まあ、演奏が下手くそならストリングレゾナンスがあってもなくても関係ないんだけどね( ´∀`) 導入時の練習から生ピアノを使うのをピアノ教師が進めるのは、やはり生ピアノでないと得られない(生ピアノなら簡単に得られる)多様な響きを体験できないからなんだと思う。 音の響きに関してだけ言えば、経験したことが無い(聞いたことが無い)響きを人間は想像(イメージ)することすら出来ないというのも事実だから。 例え聞いたことがあっても、その響きが再現できない楽器でそれを再現しようとしても困難だということも事実。 ショパンは夢で良く今まで聞いたことが無い素晴らしい響きを経験して、それを目覚めてから手元のピアノで再現しようとしてできなくて苦悩していた様子をジョルジュサンドが書き残しています。 ショパンはきっと未来の響きを夢で体験していたのかもしれません、それは今日我々が普通に聞いている音楽の中にあるのかも。 それだけ想像力が並はずれていたということですね。 さて、STEP5が仕上がったら、予定していた「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」に取り組むことになります。 今日のピアノ教授法では、導入と基礎段階が終わったら4期の作品に同時並行して取り組むのが一般的だそうです。それが一番早道で効率がいいというのも確かだろうと思います。 けれども、吸収力が強くて速い子供ならいいけど、頭も体も固い大人の場合は、時間も無いし同じアプローチは取りたくてもとれないのも事実。 大人向けのピアノ教室だと、導入と基礎段階などと言わずにいきなり本人が弾きたい曲に取り組むというところもあるようです。弾きたい曲の中で遭遇する難所を導入と基礎レベル要素に分解して部分練習して全体を攻略するという最短コースをとるわけです。 といってもいきなり超絶技巧大練習曲とかはかみ砕くのも大変だし、難所が多すぎて何年もかかることが予想されます。 弾きたい曲が弾けるのに何年も攻略にかかるなら、導入と基礎をしっかりやっても遅くはないということで、子供の教材から始めた次第なので、まだしばらくは子供が弾く教材をやることにします。 時々は弾きたい曲の譜面とかを弾いて、自分にとっての難易度を測りなおしていますが、バイエルを消化する中で明らかに易しいところと難しいところの見分けがつくようになってきたことは確か。 弾きたい曲はまだ演奏時間が長いので(今まで消化してきたバイエルの各STEPの全曲の総演奏時間よりは短いですが)、そう簡単には取り組んでも弾けるようにはならないと思われます。 第一バイエルのSTEP5でこんな進み具合ですからね。 バロック期の曲をやるのはヨーロッパでは19世紀まで定番コースだったようです。 バロック期にはまだペダルのある現在のピアノは一般には使われていなかったので、鍵盤楽器(クラビア)と言えばペダルの無いフリューゲル(ハープシコード、チェンバロ、クラヴサン)やクラヴィコードだけでした。 なのでバイエルではペダル記号は出てこないので、19世紀の正式なピアノ教授法に沿ってペダルを使用しないバロック期の曲に取り組むのがバイエルもそれを想定していたのと思われます。 バロック期の練習曲としてはバッハ自身が弟子や息子達のために作曲したものと、アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳に写譜した当時の練習&鑑賞用に最適な短い曲を使っていたことから、それらが19世紀にも一般的に使われていたと思われます。 独学の難点は、自分が弾いたことも無い、弾けないそれらの曲を練習して弾けるようになるように自分で自分をコーチングしなければならないという点につきます。 でも現在のインターネット時代やデジタル化時代では、過去の名演奏音源をいくらでも入手可能であり、模範演奏を耳に入れることが可能です。 あとは演奏困難な部分や演奏解釈が分かれる部分をどうするかという点が残されます。 レッスンで先生から教えてもらえる場合は何も問題ないように思えますが(盲目に従うことが良いとも思えないけど)、最終的には自分で解決や選択ができないといけないのは一緒。 日本やアジア圏では昔からチェルニーとかでしごかれるのが定番でしたが、チェルニーの100番は今見てもバイエルより難しい(音型が小節毎に変化するし、指使いも面倒)と感じます。30番はまだ初見でも弾けそうな部分があるし作曲様式もしっかりしている感じがするので、後々古典時代の曲に取り組む時には取り組んでも良い気がします。チェルニーの100番とか第一教程とかは初見演奏練習譜としてとっておく感じで。 古典期からはペダルの使用が暗黙の了解になるので、使わないとその時代の曲ではなくなってしまいます。これは別途練習方法を独学の場合考えることにします。 さて、長々となりましたが、最初の方で紹介する予定の本は以下のものです。 「ピアノ演奏芸術 ある教育者の手記」ゲンリッヒ・ネイガウス(著) 森松 皓子(翻訳)音楽之友社 ロシア人のピアノの先生とかが良く口にする有名なネイガウスの言葉とかからどんな人だったのだろうかと興味がありました。 ピアニストとしても優れていたと同時に教育者としても優れていたということも伝え聞いていました。 また著書があることを知って是非とも読んでみたいと注文。 かなり厚い本で、読者の感想として読む進めるのに時間を要したとあるように、確かに内容が濃く読み砕くのに最初時間が必要と感じたのは確か。 でも驚いたのは、著書からその人柄の誠実さと謙虚さまた豊富な経験と分析に裏付けられた持論に圧倒されことです。 誠実な人柄という点においては、誰もがネイガウスと言えば歴史に残る名ピアニストであるスヴャトスラフ・リヒテル(入力が難しい)の師匠として知られていますが、本書ではリヒテルが22歳でモスクワ音楽院の門を叩いた時のことを書いていますが、試演を聞いて即座に圧倒され「もはや教えることは何もない」とまで隣人につぶやいたと書いている点が挙げられます。 既にネイガウスの門下になる時点でリヒテルは完成していたのでした。若い優れた演奏者にありがちの多少鍵盤を叩くことは目をつぶっても。 音楽教師なら誰でも類稀な才能の弟子を教える幸運に恵まれたいと願うでしょうから、もし弟子の優秀さが世間に認められれば誇ってもよいと考えるのが普通の気がしますが、ネイガウスはそんなことはしませんでした。 そんなことをしなくても優れたピアノ演奏芸術の生き証人として後進を教える自信に満ち溢れていたとも言えます。 本書の最初では、若い教師の頃の苦い経験や普通のできない生徒をたくさん指導した経験とかが語られていますが、どれも独学している人には目から鱗的な内容を持っています。 中でもスケールの演奏方法については、いろいろな本や記事を読んできましたが、ネイガウスが書いている以上にピンポイントで具体的なものは無かったのは確かです。 自分でもすでに気づいてはしていましたが、指くぐりのポイントは指をくぐらすのではなく、第一指のポジション移動のタイミングにあるという視点転換でした。 指をくぐらすという視点からはどうやっても解決の糸口は見つからないのです。 問題の焦点は、意図するタイミングに第一指がしかるべき鍵盤の上に位置していなければならないという演奏上の必要条件を満たすためにどうすればいいのかという点でした。 それにはできる限り早いタイミングで第一指を移動させる必要があったのでした。 他の指や手の向きや形は、上の必要条件を満たしかつ演奏を滞らせないという条件で決定すればよかったのです。 それ以外に基礎的な内容も前半は続きます。 ここまで読んで感じたのは、今まで読んできたピアノ演奏法の本はどれも文系的な感じでしたが(芸術や音楽は理系とは誰も言わない)けれども、ネイガウスのこの本は、ネイガスはもしかして理系な人なのではと思わせるほど、理系を感じさせるのです。 それもそのはず、子供の頃にネイガウスは音楽教育以外にも数学教育を受けていたと書かれています。数学は好きではなかったと言っていますが、跳躍の仕方の説明で「非ユークリッド幾何学」を持ち出す的を得た解説は流石という感じ。ソ連の数学は当時は世界最高でしたから、かなり優れた教えを受けたのだと思います。 なので理系の人にも一読をお勧めします。 譜面の上で曲に関する情報として損なっていけないのは、音程だけではなく、リズムも含まれる点です。 正確に意図されたリズムを再現することが演奏者に課せられた義務なわけで、それを損なったり変えてしまうと編曲や別の曲になってしまうというわけです。 当たり前のことですが、ようやく譜面通りの弾けたという時点でリズムがオリジナルのまま再現できているかどうかは自ら問いただす必要がありそう。 得に譜面上から意図したリズムが想像できない場合には、なおさら検討が必要になります。 ネイガウス自身は特に恵まれた手の持ち主であったわけではないことが書かれています。リヒテルやラフマニノフのように12度も楽に届く大きな手(高い身長)の持ち主ではなく、平均的な大きさの手だったようで、またもっと小さい手の女性徒も多く指導して良い結果を出してきた先生だったようです。 そうした意味では平均的な手や小さい手の悩みを知っており、それを克服する方法も知っているという強力な味方なわけです。 確かに背の高い人は身長に比例して手も大きく指も長いので、現代のピアノはそうした稀な優れた身体の持ち主に向いた仕様設計なのは確かです。 同じ小柄で手の小さかったホフマンは鍵盤の幅が標準より小さい特別仕様のピアノを特注して作らせたという話も聞いています。 リストやリヒテル、ラフマニノフらはどちらかというと巨人族に属すると思われ、普通の平均的な人とでは世界の見え方が違うと考える必要があります。 ということでまだ前半を読んでいる途中ですが、ピアノ演奏独学には必読の書のひとつです。 .P.S 書き凝らしたのですが、この本で著者は同時代の他の音楽学校教師のもっともらしい指導方法を理由を挙げて批判しているのも興味深いところ。 その中には現在でも「ロシアピアニズム」として紹介され教授されているものもあるように思えます。 確かにロシア発祥のピアノ教授法なら海外から見れば全部ロシアピアニズムなんですが、ネイガウスが否定するインチキなものもあるということは注意したほうがいいかもしれません。 以前紹介したカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの「正しいクラヴィーア奏法 第一部」でも著者が同じように同時代の他のインチキ教授法を批判しているのは興味深いところ。 やはり盲目的に「ロシアピアニズム」と称するものを信じるのは良くないようで、自分で冷静に分析する必要があります。 |
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