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webadm | 投稿日時: 2017-3-21 3:37 |
Webmaster 登録日: 2004-11-7 居住地: 投稿: 3084 |
Re: ピアノ教本 ふう、だいぶ暖かくなってきたね(´∀` )
先日はまだ冬将軍が地表に居る感じで超寒かったけど。 まだ安心できないよね、春一番の大風が吹きまくって冬将軍を北に追いやるまでは雪が降るかもしれないし。 このところ土日もお仕事で出勤で疲労困憊ですが、出かける間と帰宅後にピアノの練習は欠かしていません。30分あればメニュー消化できるし。 朝は手が悴んでいるし体も強ばっているのでピアノを弾くコンディションとしては悪いけど、悪い状況でこそ弱点が出やすいので、それを解決していけば自ずと弾けるようになるよね。 さて練習の進捗方向は後回しにして、先に前回以降電車の中で読んだ本をご紹介しまちゅ。 「シャンドールピアノ教本」ジョルジ・シャンドール著 岡田暁生 監訳 佐野仁美、大久保賢、大地宏子、小石かつら、筒井はる香 共訳 この本は帯に書かれているコピーが本質を言い得ており、ピアノ演奏を学ぶ上で目標とすべきことが網羅して書かれている。 特に初心者向けのピアノ教本には具体的な演奏方法については運指番号とその他わずかのヒントを除いては解説されていないのが普通であり、それはピアノ教師からそれぞれ直伝されるものだとされてきた。 最初の導入レベルの5度圏の二声までの練習曲なら誰にも教わらなくても自己流でなんとかなるものの、初級レベルのポジション移動を伴うコード進行、アルペジオ、オクターブ、それに三声以上のポリフォニーになると困難に遭遇する。 著者は、冒頭で以下の様に言い切っている 引用: 演奏技術とはピアノの特性に合わせて諸動作をコーディネートすることである これは以前紹介したアレキサンダー・テクニークの基本的な考えと一致している。 上手に演奏できるということは、上手に自身を使うことが出来るということである。 ピアノの練習方法については、沢山の本があるけど、「反復練習(Over and over again)」、「脱力(Relaxation)」を掲げる抽象的なものがほとんどである。 反復練習に関しては、それは部分練習とかでは確かに有効だけど、著者はそれに関しても以下の様に注意を促している、 引用: 練習は意識的にしなければならず、機械的に行ってはならない 幼くしてピアノ演奏に関して抜きんでた能力を持つ神童と呼ばれる人たちは、自分で自身の体の使い方を意識しているわけではないし、理解しているはずもない。 神童達は生まれながらにして、自身を意図した通りにコーディネートする能力が抜きんでているのかもしれない。 普通の人は、なかなか思うように自身を使うことができないので練習が必要なんだけど、自身の使い方を意識せずに漫然と間違った弾き方を繰り返していても自然に改善されるのは奇跡に近いかも。 もちろん著者が述べているように、膨大な練習時間を費やせば、その人なりに、間違ったなりに自身を最適にコーディネートする能力が身につくかもしれないけど、普通の人はそんな時間を費やせないし、もっと短時間で済むのに無駄で天任せの方法で時間を無駄にする必要はない。 幼児の場合には、自発的に自分の練習方法を考えたり工夫するということは無理かもしれないので、教師が肩代わりすることになるけど、いつまでも肩代わりしていてはいずれ壁にぶつかる。 やはりある程度自分で考えられる年齢になったら、自発的に自分の練習方法や方針を決めて、短時間集中で結果をチェックし一定の期間で成果を踏まえて練習方法や方針を見直す自助努力が必要になる。 また間違った練習方法や方針で漫然と練習すると身体が故障するリスクについても著者は予め警告している。 引用: 筋肉の緊張が持続すると疲労や故障の原因となり、痩せた音が出る 大人向けのピアノ入門書とかは、熱錬歓迎ムードの内容が盛りだくさんだけど、幼児のように柔らかい体ではないので、練習によって身体が故障するリスクが高い。 私も初期の頃にハノンを弾くだけで、指の屈筋と伸筋が同時に緊張するという意図しない身体の反応で右手を痛めた経験がある。その原因も自分で演奏時の手指の身体的な動きを良く観察できたことで練習方法を工夫して最終的にはその悪い癖を消すことが出来たのだが、漫然と続けていたら、早々にピアノが弾けない右手になっていたに違いない。今では凝り固まっていた筋肉もほぐれて、元来の華奢な手指に戻りつつあり、左手と同じに元はフニャフニャだったことが解りそれはそれで残念。 未だにまだ謎の背中の痛みが長時間練習すると発生するので、それもおそらく身体の使い方がまずいか、背中の筋肉が緊張したままの可能性が高い。 痛みが生じるのはその部分の筋肉が弱いためで、鍛えなければならないとする古い教え方を否定し、代わりに弱い筋肉を酷使するのではなく、隣接する部位の強い筋肉とコーディネートして負担を減らすようにすべきだと説いている。 確かに指や手の周りに痛みを感じたら、それは指や手の筋肉が弱いからだとしたり、音が痩せているのは筋肉が弱いからだと断定するのは根拠が無い。 まだ指や手が小さく柔らかくフニャフニャな幼児ならともかく、大人の場合に筋肉が弱いというのはあり得ない。むしろ身体のコーディネートがうまくいっていないので、指や手だけに負担させているとかアンバランスな負荷状況でピアノを弾いているためだと説明された方が納得が行く。 Youtubeとかで幼児がピアノを弾いている様子と、大人の初心者がピアノを弾いている様子を見比べてみると、前者は背中から指先まで全身を使って一生懸命弾いているのに対して、大人は余裕で指先だけで弾いているという印象が多い。故障が発生しやすいのは後者の方であるのは確かだ。 冒頭では説明しきれない、ピアノ演奏技術の詳細が本書の大半を占める。特徴的なのは、身体の可動範囲を解剖学的に明らかにした上で最適な身体の使い方を図で示している点である。 個人的には若い頃に工業用の6軸ロボットの開発に従事したことがあり、その時に工業用ロボットが人間の身体の一部(主に胴と腕周り)の構造を簡略的に模倣していた。 ロボットの関節部に相当する部分で腕が回転運動をするようになっていたのを覚えている。 ロボット制御で難しいのは関節部の回転運動だけで、腕の先の物を掴む部分(チャック)を最短時間である位置から別の位置に移動させる場合、直線運動させるのがそう簡単にはできないということである。 そのためにベクトル計算を駆使して、それぞれの関節部の回転運動の速度をリアルタイムに制御して、手の先が直線運動をするようにするわけである。 人間の場合も同じで、単に指を下げるだけだと指先は指の根元の関節を中心に回転運動することになるため、円弧を描いて鍵盤を押すことになる。それだとベクトル的には効率が悪く、いくら速く指を動かしても円弧を描いて指先が移動するので、垂直方向への鍵盤を押す力と速度の成分が少なくなってしまう。 鍵盤は垂直方向に指で押すのが最も効率が良い。 著者も大きな音量を出すタッチの方法に関して、常に垂直方向に鍵盤に向けて指を下ろすようにと図解している。 前腕から先だけで鍵盤の上から振り下ろすだけだと、肘関節で手が円弧を描くことになるので手首や指先でそれを直線運動に直すのは容易ではない。むしろ上腕を回転させて肘の位置そのものを変化させて指が直線運動をするようにコントロールした方が容易である。 更に読み進めると、気になるアルペジオの弾き方について述べた部分にさしかかる。 そこで驚愕の内容が書かれていることが判明。 著者はこう言い切っている 引用: 親指は決して掌の下に持ってこない! 工エエェェ(´д`)ェェエエ工 アルペジオだけでなくオクターブのスケールでも、ポジション移動に伴ってレガート奏法の故に親指を掌の下になる指くぐり(英語Thumb Under)や指越え(Thumb Over)が当たり前だと思ってたけど、そうじゃない弾き方もあるのね。 この部分を更に引用すると 引用: 技術上の大きな過ちの一つは、親指を掌の下に持っていく習慣である。音階やパッセージを弾く際には大抵の人がそうするが、こうした広く行き渡った間違った習慣が、ピアノ演奏における問題の大部分を引き起こしているのだ。ムラのあるパッセージ・ワークや思わぬアクセント、手が痙攣するような感覚、ぎこちなさ、不確実さは、次のことによって引き起こされる。つまりひとたび親指が掌の下に置かれると、手の構えに違和感が生じるだけでなく、親指を垂直に下げるための筋肉を利用することがまったく出来なくなってしまうのだ。こうなると、手首で鍵盤を押し込むか、前腕で急いでなんとかするかせねばならず、そうすると必然的に衝突が−−つまりアクセントやむらのある音が出てきてしまうのである! 自分のケースでは、指くぐりの予備練習として親指を小指の根元まで持っていく反復練習をなんかで読んでまねをしようとしてみたら、他の指を曲げないと出来ないのに気づき、なんとか指を通常のフォームの状態で親指だけ小指の根元まで押し込もうとしたら親指に激痛が(´Д`;) 良く考えたら親指を曲げる腱は手首を通して前腕の肘の近くにある屈筋とつないでいるので、どうやっても腱が通っている手首の手根管を越えては曲がらないのでした。無理に曲げようとすると引っ張ろうとする屈筋腱を更に張力を加えることになり、結果として腱の付け根の部分に急性の炎症が発生したのでした。 急性の炎症なので、親指を掌の中に曲げる運動をしなければ屈筋も使用されないのでその状態で安静にして回復を待つしかありませんでした。1ヶ月ぐらいしたら炎症部位の腫れも解消して指くぐりも指越えもまた出来るようになりましたが、再び小指の根元まで親指を持って行く勇気はありません。 著者は演奏上の不都合な理由を挙げて、親指を掌の下に持っていく習慣を止めるようにと、それに代わる方法を詳しく教えています。 右手はド(1)→ミ(2)→ソ(3)と上昇方向弾く時に3の指は鍵を押さえたままで、1の指をその先にある上のオクターブのドまで持っていかないといけないけど、ソと次のドのインターバルは4度、左手で指くぐりするケースでは、逆方向のミ(3)→ド(1)のインターバル3度だけなので、短い距離で済むのよね。指越えはどちらも4度までなら平気で問題にならない。 確かに親指を決して掌の下に入れないという模範奏法を示しているYoutube動画がいくつもあることを発見。 こちらの先生は、スライドで詳しく方法を解説しています。 もう一人の最近の若いYoutube先生でも特別に Thumb Under を回避しているとか言っていませんが、模範奏法を見るかぎり、指くぐりしているようには見えません。 また別のYoutubeの先生も、指超えは使っているけど、指くぐりはしていないね。 指くぐりが面倒なのはどうやら右手固有の事情みたいだね。左手はアルペジオのアクロバットな指くぐりとかしても平気だけど、右手と見比べてみたら、右手と左手とでは事情が異なるのね(´Д`;) Youtubeではいろんなピアノの先生がアルペジオの弾き方を紹介しているけど、中には言っていることとやっていることが食い違っている先生が居たり(特に素早くアルペジオを弾く時にはゆっくりと解説しながら弾く時とは明らかに違う弾き方をしている)。 こちらの先生は割と実用的で納得のいく感じの解説。 ポイントは手首を柔軟に使うことだね。手首を柔軟にして指くぐりと指越えを身につける練習方法も教えてくれています。これに似たアプローチは下の日本人の重松正大先生のビデオでも見た覚えがあります。 それでも素早くアルペジオを弾くとかの場合はまた別の難しさがあるのですが、それに関してヒントを与えてくれるのがこちらのビデオ。 こちらの先生は、スケールを弾く時も親指は絶対に掌に入れちゃだめ、伝統的に教えられている訓練や練習も間違いで必要ないと力説してします、 英語が分からなくても大げさなアクションで意味は伝わってくるよね(´∀` ) 次の先生のビデオでは速いアルペジオの「投げる(Throw)」という弾き方を解説しています。なんか北米にはカエルが繁殖時期に道路を横断して車に轢かれてぺしゃんこになって、太陽の熱で焼かれておせんべいみたいになったのをフリスビーみたいに投げて遊んだりという思い出を枕に解説を始めています。 今まで読んだピアノ奏法の本でも、「投げる」という表現が出てきたのを覚えています。やってすぐに身に付くというもんでもないんだろうけどね。毎日ちょっとずつ何ヶ月も続ければ変化が出てくるのかな。 以前にもペダルの使い方で紹介した、 Ilinca先生のロシアンピアノスクールプログラムの宣伝ビデオから、スケールとアルペジオの重要性について紹介するものがあります。いつもながら、鮮やかな演奏には毎度のことながら聞き惚れます。最後の方でアルペジオを速く弾く場面が出てきますが、上から撮ったカメラでは親指は掌の下に全然入っていないように見えます、まか不思議。 名曲の数々で登場するスケールとアルペジオの紹介ですが、オクターブのアルペジオとかも入ってますよ先生(´Д`;) 最後の方でミスタッチはある種のシグナルだから自分でそれに気づいて精進するようにって言ってるね。 そんなこんなで本書の前半部は演奏の基本動作(身体の使い方)の詳しい解説で大変勉強になります。 後半はそれらの基本動作を演奏表現にどう結びつけるかの詳しい事例解説。 バッハ、ハイドン、モーツアルト、ベートーベン、ショパンやシューベルト、シューマン、等名だたる名演奏家であり作曲家の作品を事例として、特徴的な基本動作の使いどころを解説してくれています。 まだそんな曲弾けなくても、後学のために読んでおくべきでしょう。 とても簡単に内容をかいつまんで紹介することは困難なほど、内容が広範囲かつ深すぎます。 まったくもってピアノ演奏は奥が深いというのをまざまざと今から思い知らされます。 最後の方では公開演奏でのマナーや心の関係についても触れています。まったく至れり尽くせり、帯の表題にあるように百科全書そのものです。 訳者の解説もまた、大変勉強になる内容ですので、最後の方まで読まれることをお勧めします。 おそらく一回読んだだけではない、以前紹介した奥千絵子「ピアノと向き合う」、金子一郎「挑戦するピアニスト」などと共に曲に取り組む時には読み返すことになると思います。 次に紹介する本は、ちょっと趣向の異なるピアノの本です。もしかしたらピアノにこだわらず器楽の演奏とか共通すること。 「ミスタッチを恐れるな」ウィリアム・ウェストニー著 西田未緒子訳 ピアノ練習者から目の敵にされているミスタッチを恐れるなという意味にとれる邦題は、原題「The Perfect Wrong Note」の意訳ですが言い得て妙です。 練習中にミスは誰しも遭遇し、また公開演奏の場でもやらかす恐れがあります。練習中には大失敗してそこで止めてやり直しもできますが、公開演奏ではそれは公演の失敗を意味します(Showstopper)。 ちなみに Showstopper という言葉は若い時に読んだ、以前はDigital Equipment社の開発者でPDP-11用の同社のOperatin Systemソフトウェアである、RSX-11Mや、32bit 仮想記憶マシン VAX-11用のVMSなどのIOシステムを書いたカリスマプログラマで、後にマイクロソフトで現在のWindows-10に繋がる最初のWindows-NTの開発に関わったデビット・N・カトラーを主人公とするノンフィクション「戦うプログラマ」で知った。ちょうど演劇やダンスの舞台で事故をやらかして公演そのものが台無しにしてしまうような類いのソフトウェアに潜むバグは最優先で解決しなければならない類いのもの。ピアノ演奏でのちょっとしたミスは時と場合によっては、演奏停止のShowstopperになり得るので最優先で原因を究明し解決しなければならないわけである。 危険予防の観点からすると、大事故が発生するのには訳があって、それに至らないまでも普段から小さな事故が起きている場合には、それがいつかは大事故につながるというもの、所謂マーフィーの法則ですね(起こりえることはいつか起こる)。 導入段階でよくやるのがミスしたら、その演奏は無かったことにして、最初から弾き直すという悪い習慣。最初のミスは2度目でなんなくやり過ごせれば本人としては解決したものとして忘れてしまう。 Youtubeとかでいろんな個人の先生が共通して取り上げている練習でやらかす大間違いの一つに、ミスを見過ごすというのがあります。 公開の演奏の時にミスタッチしたからといって、そこで演奏を止めるのは大失敗を意味するので、とにかく最後まで弾き通すのが鉄則ですが、そのままそれを忘れてしまっていいということではないのですね。 初心者の心理として、ミスはあってはならないもの、無ければこしたことにないもの、というわけで何回か最初から弾き直していればそのうちノーミスで最後まで弾けるかもと願ってしまうわけです。 本書を読むことで読者は、著者の体験を通じてこれまでレッスンの場や個人の練習の場で当たり前のように思われていたミスに関する考え方を根本的に変わる追体験をすることになります。 ミスは忌むべき存在ではなくなり、自身の演奏技術や表現力の弱点を身体とピアノが共同して鏡の様に映し出した結果であるととらえ直すと、それは完成へと向かう貴重なヒント、示唆、啓示へと変わる。 ミスを恐れないことは、ミスを快く迎えそこから妨げになっている自身の弱点を明らかにして更なる研鑽の最短の目標とすることができるわけで、逆にいろいろな新しい表現の試みをすることが懸念なく出来ることになり、それを台無しにしているのはミス自体そのものではなく、それを引き起こす自身に内在する弱点の存在である。 本書の後半では、著者のライフワークとなった、アンマスタークラス(これも従来良くしられた伝統的なマスタークラスのアンチテーゼに基づいている)の内容の紹介。 著者がアンマスタークラスを主宰するに至るきっかけは、ピアノ教師であるエロイーズ・リスタットの世にもユニークな演奏指導ワークショップに参加したことであった。 本書の巻頭には、「エロイーズの魂に捧ぐ」の一文が添えられていることから、どれほど著者が彼女から多くの示唆を得たか想像できる。 エロイーズから著者が受けたレッスンは、伝統的なマスタークラスの方法とはまるで違っていて、演奏で表現したいことをピアノを使ってではなく、ダンスで手振り身振りで表現し、それを指導者がミラーリングと言って身体でそっくりそのまま真似をするというもの。 この体験についても著者は詳しく情景を記述しているので、その効能が従来のマスタークラスでは到底得られないものであることがわかる。 アンマスタークラスでは、ピアノ演奏の上級者が自分らしい表現を得るために壁にぶつかる際のブレークスルーをグループで互いにミラーリングを行うことで今まで得られなかったまったく別の感覚や視点での示唆を得ることができる。従来のレッスンの場では自身の殻や指導者の殻から抜け出ることは一切できなかったのが、出来るようになるという魅力がある。 本書は従来型の伝統的なピアノ演奏教授法にある潜在的な問題を明らかにするとともに、それを打開するひとつのアプローチとしてアンマスタークラスを紹介しているとも言える。 もちろん昔からピアニスト自身が壁を打ち破り成長してきた例も数多くあるだろう。それは恵まれた例であって、本書ではそうした何も心配の要らない人ではなく、従来型のピアノ教育の型にはまってしまって、牢獄から抜け出れないで居るその多大勢の人を対象にしている。 まずはミスを嫌って無視しないこと、あらゆる感覚や自身の反応が現状打開の鍵となる情報になるということに目を開くことから始めようというのかもしれない。前半部分は、それらのとてもよくまとまった解説になっているので、上級でない人でもとても参考になる。 著者は要所で、様々な興味深い本の引用をしていて、それらの本も読んでみたくなった。特に、米国人ピアニスト、エイミー・フェイの1880年出版の回顧録「Music-Study in Germany」にはフランツ・リストを始め彼女が師事したヨーロッパの巨匠の事が生き生きと当時のままの様に書かれている。リストは意外にもとても優れた指導者だったように読み取れる、確かにリストの愛弟子は、それぞれ皆個性があっても、共通の何かを持っている点でリストは自分の持っているものを教えるのではなく、弟子の個性を活かすことに腐心していたようだ。 さて、これまで紹介した本はすべからく海外の著者によるものだけど、日本にも同じように解剖学的な観点からピアノの演奏方法を研究した人は居ないのかと疑問に思ってしまう。 ところがふとしたことから日本人にも研究した人が居るというのを知った。 「幸せの旋律」石川康子著 話は時間順とは逆になるけど、この本を読んで日本にも解剖学的な観点を踏まえてピアノ演奏方法を見直したピアニスト、ピアノ教師が居るということを知った。 本書は現在もご健在な御木本澄子先生の伝記とも言える本。著者は、医学博士で医学研究の現場でひょんなことから先生とつながりを持つことになった、「原知恵子 伝説のピアニスト」の著者でもある。 御木本というと真珠で有名で、さぞかしセレブな内容なんだろうと勝手な推測と思い込みで読むのを躊躇していたけど、他に読む本が無くなって仕方なく読み始めたら、印象はまったく違った。 とても良く内容が構成されて無駄の無い御木本メソッドの発祥から現在までの経緯、そして先生の驚きに満ちたピアノとの出会い、そして大戦による帰国後の厳しくも御木本という類い希なハイソな境遇ならではの人間としての正しい生き方が描かれている。 以前に紹介したアレキサンダー・テクニークの本でも、良い演奏の前に、人間として正しく生きることが先にあるべきであるという内容を紹介したけど、まさに先生はそれを実践してきたのでした。 御木本メソッドが今日知られるようになった経緯も本書に脈々と書かれており、おそらくそれが本書の筋だろう。 時間順では逆になるけど、この本を買う前に見つけて買ったのが、次の本。 「正しいピアノ奏法」御木本澄子著 表題だけ見て買ってしまったのだけど、先に紹介した「幸せの旋律」を読まずにこれだけ読んでいたらきっと後悔していたに違いない。 2つの本は合わせて読むべきだ、先に「幸せの旋律」を読み御木本メソッドに興味がわいたら、本書を手にすべきだろう。 何故「正しいピアノ奏法」だけ読むのではいけないのかというと、それは本書の内容が極めて専門的な内容に終止しているからである。 本書は、先に紹介した伝記の中でも最後の方で出てくるけど、月刊誌「ムジカノーバ」に連載した記事を編纂して単行本にしたものである。 2004年に初版が出版され、2008年には第13刷と増刷されているので、とても良く読まれているということになる。 需要がある理由としては、ピアノの弾き手の身体は各人各様であり、大抵の人は演奏上で何らかの身体上の問題を抱えており、むしろ問題の無い恵まれた身体を授かる方が極めて希であるということにある。 先生が若い頃に心酔したコルトーも著書に自身がおよそピアニストには適さない手を持って生まれてきたと書いている。先にピアノを始めた姉の熱心な助けがあって、ピアノの道を諦めずに済んだと述回している。それだけに、コルトー版のショパン譜とかは演奏方法を隅々まで決して良い手ではなくても演奏する方法を研究した成果だと思われる。 同じように先生も音が弱いとデビューコンサートでの評論家の批判を生涯心に刻んでその克服の方法を求め続けたことが幸いしたと言える。 普通にアマチュアなら音が弱いと言われても、実際そうなのだから、それで良いじゃんとなりがちだけど、そうじゃなく更に良い演奏を目指すという上向き思考が、人間として正しく生きる道なんだよね。 さて、本書の内容に戻ると、先に紹介した、「シャンドールピアノ教本」のように解剖図とかが引用されて、手や指、前腕、上腕の動きに関する筋肉や腱の存在に関して説明されている。 これだけでも解剖学用語が沢山でてきて頭が付いていけないので、更にそれらの構造を踏まえた上で、ピアノを離れて自身の弱点を緩和する練習方法が紹介されていますが、長い経験と数多くの生徒を実験台にした膨大なデータに基づいているだけに、説得力はあるのですが、いかんせん言葉と静止画だけでは練習方法の詳細を読みとるのは容易ではないと実感します。 やはり御木本メソッドの教師に直接教わらないと間違って解釈して間違った方法で練習してしまう可能性も。 先生ご本人も単行本化の際に、最新の成果を盛り込んで構成や順序をわかりやすく変えて書き直そうとされたようですが、そんな時間もなく出来なかったと詫びられています。 今日なら、おそらくDVDとかで動画の方が伝えるのに適した内容も多いのではないかと思います。 中盤には、先生自らが考案し特許も取得してある、トレーニングボードの使用方法の詳しい解説があります。 実は時間順は逆になりますが、本書より先に購入したのが、「トレーニングボード」ですた(´Д`;) 箱には木製のトレーニングボード本体と付属の木製ボッチ(ネジで固定する異なる高さの2つと、付属の接着材でネジ穴が無い本体の表面に接着する6つ)と取り扱い説明書が入っています。 まずもってどう使えばいいのか取り扱い説明書を読んでもピンと来ません。 とりあえずオクターブが出来るようにするにはボッチは使わずに側面だけで出来るみたいなので当面はいいのですが。 練習の目的によって本体の使い方も様々のようです。特に右手と左手とでもネジ止め式の高低の違いのあるボッチの取り付け位置が逆になるので、右手用と左手用にそれぞれ一台ほしい気もします。 それと各指の矯正にはネジ止めではなく、接着材で自身の指の大きさや指先の位置に合わせて本体表面に専用のボッチを接着する必要があります。 すぐに解ったのはそこまでで、実際に各指の強化とかの仕方は取り扱い説明書に記載されていますが、読んでも良く解りません(´Д`;) 「正しいピアノ奏法」に書かれている内容を一読すると、目的とかそれをすると改善する理由とか理屈を理解できるので、トレーニングボードを使う際には、予め御木本メソッドそのものを理解している必要があるようです。 トレーニングボード自身の形状はピアノ鍵盤で標準化されている鍵盤の位置に合わせているので、ピアノを離れてもピアノと同じオクターブの距離を持ったトレーニングボードでオクターブのための指拡張の訓練が出来ることになります。 ピアノに向かわなくても自分の手や指の状態が良いか悪いかはトレーニングボードに手を当てていればはっきりする点がいいよね。 親指の関節が内側に凹むことがある仮性まむし指なので、それを長期的に解消できればいいなと使っています。 さて、ここまでで最近読んだ本のご紹介は終わり。 最後は目下の練習進捗報告(別に要らないんだけどね) 「大人のための独習バイエル(下)」のステップ1を先月終えて、今月からはステップ2に入りました。 ステップ2はさぞかし難しいのだろうと思っていましたが、ステップ1をしっかりさらったお陰か、意外に簡単そうに見えました。 見えただけなんだけどね(´Д`;) 実際初見で、片手だけだと弾けるけど、両手合わせると無理。 いつも通りゆっくり片手づつ通しで弾いて、両手で難しい箇所を個別練習。 今回もステップ2全曲をメドレーで練習するので最初は全部で45分ぐらいかかりましたが、2週目には30分になりました。 ステップ2ではステップ1までがんばったご褒美みたいに弾くと楽しい曲ばかり。 それもそのはず、ポジション移動が本格的に導入されたことによって、以下の作曲技法が練習曲に含まれるようになったことによります。 ・転調 ポジション移動を使って任意の調の基音のスケールを弾いたりパッセージを弾けるので、転調を使った曲が入ってきます またこれまでは右手と左手はそれぞれ同時期に一音しか弾かなかったので、和声の曲も2声まででしたが、片手で重音を弾けるようになると、もう片方が単音でも合わせると3和音を弾いたことになり、コード進行が弾けるようになります。 実際ステップ2では重音を使った曲が大半で、今まで登場することが出来なかった様々な和音やコード進行が登場します。 重音を弾くのは単音と違って同時に2つの鍵盤を押さないといけないので、馴れないと疲れます。身体のコーディネートが出来ていないので疲れるのね。後々3和音とかを片手で弾くようなったら大変。 それと曲の練習前に行っている基礎練習も、以前紹介した「Pianoprima Excersize」のlevel 2に入りました。 Level 2ではまるでバイエルの進捗と合わせるように、重音のパッセージや、3和音とアルペジオの簡単な登りと下りの組み合わせ、まだバイエルには出てこないけど手の交差とか。最初は難しくてできそうにないように思えたけど、ちょっと練習したら簡単ですぐ出来るようになりましたが、不安定なので level 0 や level 1の様に易しくできるようになるまでは期間が必要かと。 そういう意味では、バイエル以外の曲でも練習次第では弾ける曲が増えて来たのかも。そろそろ中断していた、「みんなのオルガンピアノ2」やバーナビ本とかも再開してみるかな。 詳しい練習曲の感想は仕上がった後に書くね。 んじゃまた。 |
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題名 | 投稿者 | 日時 |
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ピアノ教本 | webadm | 2016-9-19 5:59 |
Re: ピアノ教本 | webadm | 2016-10-23 22:12 |
Re: ピアノ教本 | webadm | 2016-10-30 8:03 |
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Re: ピアノ教本 | webadm | 2017-2-19 0:49 |
» Re: ピアノ教本 | webadm | 2017-3-21 3:37 |
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Re: ピアノ教本 | webadm | 2019-5-4 5:01 |
Re: ピアノ教本 | webadm | 2019-5-4 23:11 |
Re: ピアノ教本 | webadm | 2019-5-16 12:44 |
Re: ピアノ教本 | webadm | 2019-5-26 19:33 |
Re: ピアノ教本 | webadm | 2019-7-5 10:32 |
バイエル卒業(´∀` ) | webadm | 2019-8-5 0:50 |
Introducing Pianoprima EXERCISES | webadm | 2020-8-11 6:27 |