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webadm
投稿日時: 2011-3-13 3:22
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3068
東北地方太平洋沖地震
別スレッドにも既に書いた通りに、今週は北関東地域にホテル住まいの出張に東北地方太平洋沖地震が発生。

その少し前の日にも地震があって、ちょっと揺れるね、という感じだったので、今回もそんな感じだろうと揺れが収まるのを見守っていたら、収まるどころか次第に大きくなって強震に襲われていることが判ると緊急避難場所に避難させられることに。

といっても社屋前の広場で、すぐに収まるだろうという甘い読みは見事に外れ、寒空の下避難所でまだかなまだかな、。・゚・(ノД`)・゚・。と待っていると余震が次々と。そして再び大きな余震に襲われ社屋が揺れ動くのを見ると全員ビルから逃げるように離れてすぐには収まりそうもないことをようやく知ることに。

こうした状況を受けて、業務は終了ということで徒歩で帰宅出来る人は帰るようにという指令が。帰れない人(帰宅困難者)は社屋の一階を解放するのでそこで一泊してよいということに。

かくして初めて経験する帰宅困難者生活のはじまり。地震発生直前までは土曜日も出てくれという話をしていたけど、月曜日からで良いということに。状況からして当たり前だけど。もう宿も引き払ったし。この状況ではもうホテルは一杯だろうし。

JRが運行していれば帰宅できる可能性があるが、当然ながらあれだけの地震があれば運転を見合わせているはず。出張先ではインターネットが使えないので使い慣れない携帯のiモードを初めて使うことに。

なんとか無料で交通機関の運行情報を知らせてくれるサイトを発見。それによるとやはり都内まで電車はすべて止まっているようだ。あとは本日中にすべてが運転再開するかどうか。

5時すぎても事態に変化はみられない。そればかりか弱い余震が繰り返し続いている。これでは交通各社も運転再開は無理だろう。

果たして7時すぎに構内アナウンスがあり緊急対策本部が入手した情報によるとJRは本日終日運休らしい。これで宿泊確定。

外で食事を取ってきてもよいということなので、いつもの中華料理屋で定食を食べて時間をもてあますので新聞やらお菓子、それに目が乾燥するのでドライアイ用の目薬を購入。

普通の応接室を一室貸してもらったはいいけど、寝るのには向いていない。応接のいすで寝ようとしても肘掛けが堅いし大きいので邪魔。動かしてベッドを作ろうとしても重すぎて動かない。

新聞を読んだり、持って来ていた本を読んだりしながら12時すぎたので目薬をさしたら、普段自宅で使っているのと感じが違う。同じもののはずが、粘度が薄い。全然高粘度じゃない。容器とかは一緒なのに。偽物か?あまり効き目が無く挿してもすぐ乾いてしまう。

応接の椅子で眠ろうとしたがやはり眠れないので、仕方なく床に横になることに。新聞を床の上に敷いて、持ってきた本を枕代わりにしてなんとか就寝。

翌朝もすぐには事態は変わらず、6時半頃に構内アナウンスでJRが7時頃をめどに運転再開する予定との情報が。しかしJRのことだからあてにならないので1時間ぐらい余裕を見て出ることに。

8時に応接室を後にして、入り口のロビーでテレビ放送をしばらく見て交通機関の運転状況を確認。その間に仙台や岩手、福島の沿岸部の悲惨な状況が映し出されていた。津波にさらわれたのだろう。震源地が近いので地震発生から津波が襲うまで短時間だったのだろう。今はもう犠牲者の冥福を祈るしかない。

7時運転再開予定としたJR京浜東北線に関してはその後運転再開したという情報が無い。こういう時は情報提供元が怪しいだけにインターネットもなにも役にたたない。実際にJRまで行って見るしかない。

意を決してビルを後にすることに。

駅前に近づくと沢山の人だかり、ホームには大量の人が、悪い予感がする。

やっぱりそうだ、まだ運転再開すらしていないし予定時間もわからないという状況。ホームに一度入った人もしびれを切らして改札を出てくる始末。

朝食を食べていないのを思い出したので、駅を離れて開いている店を探すことに。交通機関が麻痺しているので、従業員が出社できない店は閉店状態。駅前の店でうどんを食べて少し体を温める。後ろには待っている人が居るのでゆっくりもしていられず早々に退散。

再び駅の改札前に戻ってしばらくすると9時少し前に運転再開の知らせ。切符は買ってあるので改札を通ってホームへ。

都内方向の車両は既に管轄域内で停車していたらしく、すぐに乗車出来移動開始。

しかし通常よりも速度を落としているので、倍の時間がかかる感じ。特に陸橋や構造物の上を通過する際は徐行になるのでなおさら時間がかかる。

それでもようやく都内に入り、その時に山手線が運転を見合わせていることを知る。秋葉原駅で乗り込んで来た関西から来た女子生徒の会話からするとこれが今日初めて乗った電車らしい。

電車は蒲田行きだけど、都営地下鉄に乗り換えるために新橋で下車。

都営地下鉄の改札へ行くと異様な雰囲気。切符販売機がすべて販売停止になっている。運転を見合わせているかと思うとそうではないらしい。一部運休といっても泉岳寺から品川方面への電車だけ運休で五反田、西馬込方面は運転しているらしい。で切符はと思ったら、改札が開放されていて自由に入っていいらしい。気が利いているよね。

それでも間引き運転なので、混で居る。特に品川方面へ帰宅する帰宅困難者が大勢。泉岳寺で沢山の人が下りて品川駅まで徒歩で歩いた模様。

こちらは五反田をすぎると空いて来て、出発から1時間を経過してようやく椅子に座れた。

終点で改札を出ようとしたらこちらは開放ではなかったようで挟まれてしまったがおとがめなし。

早足で自宅へ向かい地震の被害状況を確認する必要がある。

マンションの外観は特に変わりなく、壁が壊れている様子も無かった。

いつも通りエレベータに乗って自宅のある階へ。ドアは鍵を閉めていったが、心配なのは地震で開かなくなっていないかどうか。

大丈夫いつも通り開いた。

トイレに入ろうとしたら電球が切れていた。最初の地震の影響で気づいたのはこれぐらい。

水道管が心配だったが部屋が水浸しという悪夢は避けられた模様。

ガスも問題なし。種火は出かける時に消したのでよかった。

物に重ねて置いてあった時計や加湿器が地震で揺れ動いた形跡があり、一部は床に落っこちていた。

ラックマウントサーバーPCをいかにも倒れそうな縦の状態で置いてあったのだが、予想通り倒れていた。あおりを食らって光りルータも押し倒されていたがサーバーPCが他のものに当たって完全には倒れて居なかったので破壊は免れた。

一番甚大な被害は、デスクトップPCが置いてある部屋のデジタルオシロ。その上に横にある物置ラックにあった古いPCが地震の揺れで脇からずり落ちてオシロの上に落下していた。

オシロの天板の上には陶器の皿に入れた自作万年カレンダー時計の基板やカメレオンロジアナやUSBPIC評価ボードとかが置いてあったがそれらが落下したPCの直撃を受けてクッションの役割を果たしたようだ。

哀れ陶器皿は真っ二つに割れ飛散、自作FLEX10K FPGAボードが最も物理的に変形して、ピンが一部折れ曲がってしまっている。当面使う機会は無いので影響は無い。もうひとつUSBPIC評価ボードは一見すると無事そうだが、インラインピンソケットに衝撃を受けて樹脂部分が一部変形していた。PICチップにもPCのシャーシーの塗装が残っている。一番痛いのがその横にあったはずの面実装の水晶発振子がそっくり無くなっていることに気づいた時だ。衝撃を受けた際に基板中央のソケットからPICチップをかすめて最後水晶発振子に力が加わり、そぎ落としていったように見える。良く見るとすぐ側のチップ部品もどっかへ行ってしまっている。

これでは動かないボードになってしまった。まあ、先週まで使っていたUSBPIC評価ボードは無事なのでいいけど。

デジタルオシロも衝撃から免れたわけではなく天板にあるプロッターの樹脂パネルが割れていた。電源を入れてみたら破損はそれだけで動作そのものには問題がないようだ。やれやれ。

地震の際には結構物がずれ落ちるというのを普段は予想だにしないのがまずかった。

良くみれば物置棚の脇はがら空きだし落ちて当然だった。

それ以外には本棚の上に積んであった古本が崩れていたぐらい。

あと、サッシ戸をロックをしていなかったのでこちらも地震で揺れ動いて開いてしまっていた。通りで異常に部屋が乾燥して寒いと思った。


相変わらず震災時には携帯電話は使えない。発信規制が地震がある度に行われるためだ。余震だとばっかり思っていたのは実は長野や別の場所で発生したものらしい。それで携帯電話には東北地方太平洋沖地震の時の地震発生警報は届いてないのに、朝の間に栃木とか神奈川とかで地震が発生したとかいう寝ぼけた警報メールが届いていたわけである。

東北地方太平洋沖地震の時に携帯に警報メールが来なかったのは設備が故障したためとかいう理由らしい。

地震計もかなり破壊されたみたいで地震の正確な観測が出来なくなったのも影響しているかもしれない。

その後姉からの留守電が入っていて、実家の福島の生家が遂に崩壊したらしいとの知らせ。もう築後半世紀以上立っていて一部傾いていたのでいつ倒れてもおかしくはなかったが、遂にそのときが来たか。どうすんだこれから>実家兄

とりあえず雨風がしのげるぐらいには残っているらしいけど。

仙台の姉夫婦の安否が心配である。全域停電しているからまったく連絡がとれない。住まいが沿岸地帯でないのが不幸中の幸い生きてて欲しい。

さて明日はまた出張先に移動しなければならないので体を休めるのが精一杯。今度は仕事場のすぐ側でインターネットも使えるらしい。
webadm
投稿日時: 2011-3-15 0:41
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3068
計画停電はまだかな
出張先に予定時刻出向いたら先方はまだ通勤途上(JRが運休しているため)でまだ到着していなかった。ほかの遠方にお住まいの人は通勤困難ということで自宅待機らしい。

ということで地元の社員の方に中へ入れてもらって作業を開始したものの、午後から計画停電があるらしいので午前で作業は終了ということに決定。

ということで半ドンでホテルへ戻ることになったが、どうやらまだ計画停電は実施されていないらしいことがテレビの報道で知った。

今日は外がぽかぽかに暖かいので電力需要が供給を下回ったためだろう。

それでも夕方になれば気温も下がるので、どうなることやら。

すでに交通各社は計画停電を見越して運休しているところが多いので、通勤状況は変わらないだろう。

それにしても原発の状況が気になる。なにか本当のことを隠していないか?

午前中にも大きな地震の直前に携帯電話の地震刑法が鳴りだした。こういうときはITの時代を感じる。
webadm
投稿日時: 2011-3-15 18:26
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3068
Re: 計画停電はまだかな
翌日は朝からホテル待機。出張先からの連絡待ち。

朝食をとってテレビ報道を見ていたら電話連絡が。

どうやら計画停電で9時20分から停電の予定らしい。

なのでホテル待機延長。

関東周辺は計画停電の影響をうけまくり。

ばっさり問答無用で電気断たれても困るけどね。

ところで、この状態は原子炉が治るまで続くのかな。
webadm
投稿日時: 2011-3-16 7:08
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3068
計画停電実施されたぽ
今朝出張先から電話連絡で予定通り9時30分から停電中とのこと。2時ごろには復旧しているので来られたしとのこと。

なんか連日ホテルでテレビ報道を見ていたので睡眠不足な感じが。

半日世の中で起きてることを忘れて集中してお仕事を。

連日半日だけの作業でこちらとしてはホテル代とか出張費の元がとれない気がするのだけど、こればっかりは仕方がない。

明日の作業予定も決まったので本日はいつも通りの時間に終了。

食事をするために店を探してあちこち歩くと、この街はなんだかパチンコ屋だらけ。どこもフル回転で営業しているし。都内とかでは閉店しているというのに。

田舎なのでファミリーレストランは街中にはないようだ。毎日食べるにはやばそうなラーメンとか中華がよさげ。とんかつ屋もいくつもあるけど消化に悪そうなので敬遠。

太平洋沿岸の地震計が軒並み津波で破壊されたので太平洋側で発生する地震だと携帯の警報が鳴らない。反対側の日本海側だと鳴る。

今度から地震計は海底に設置する方針だとか。そうだよね。

太平洋沿岸部では原子炉が大変なことになっているらしいけど、何も分かってない人が分かってない人に伝えているという印象が強い。それだからいろいろ不安が募る。

原子炉建屋に風穴があいたみたいだから放射性物質を含むガスが放出されるのは当然だし。ただ半減期が短いなら影響が及ぶ期間は短いけどそういう情報や説明が無いし。半減期が長い放射性同位元素とかは核分裂でのみ生成されるのでまだ燃料棒にとどまっているはず。チェルノブイユと炉の構造がまったく違うので爆発で簡単に飛散するものでもないし。今は炉心と圧力容器の溶解を絶対防がねばならないときだ。
webadm
投稿日時: 2011-3-18 8:01
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3068
はじめての計画停電体験
今日は出張先で6時20分から計画停電が確定したとの東電情報に基づいて全員が6時前から一斉退社。

停電前に夕食を済ませて、日用品を近所のコンビニで補充してホテルへ。

その時点で6時20分を過ぎていたがまだ停電は実施されていなかった。

ホテルの部屋でテレビ報道をみたりノートPCでウェブをチェックしていたりしていると、7時過ぎに停電、テレビの電源と部屋の照明が消えて非常灯のみの状態に。

インターネットは使えなくなったのでノートPCを休止状態に移行して非常灯の明かりで持ってきた本を読もうとしたが少し暗くてすぐにあきらめた。携帯電話のimodeをチェックしたらお待ちくださいの表示。発信は可能な模様。

ほどなくして非常灯も消灯。まっくら闇に。

しばらくは子供のころに体験した停電の時のことを思い出したり、好きな音楽やギターの演奏を思い出したりして、音楽はやっぱりいいなと納得。被災地の避難所でも生演奏とか聞けたら被災者のストレスも少しは緩和されるのではないかな。落語とかでもいいかもしれない。

そのうち寒くなったのでベッドに入り、携帯にワンセグ機能がついているのを思い出してつけてみたところ良好にNHKが受信できた。

携帯電話が鳴った。東京都内からの電話だったが、こちらが停電だと知らせると驚かれた。都内は停電はまだないらしい。

ほどなくして大きな揺れに襲われた。地震だった。NHKでも地震情報が速報されていた。津波の心配はないらしい。海底の深いところなら津波はないのだなと納得。そういえば今度の大地震はわすか海底数kmだった記憶がある。

その地震の報道中に別の大きな揺れを感じた。東北が震源らしい。もう最近は自分の体が揺れているのか余震なのかわからなくなってきた。

来週も出張が継続するならホテルを予約しないといけない、そんな心配からの電話だった。明日確認してみよう。

10時過ぎて電源が復帰。またいつもの世界に戻った。どっちが悪夢なのかどうかわからなくなった。本当は電気もガスも水道もないのが本当の自然なのだろうけど、現代はそうではなくなってしまっている。

これからもこうした計画停電が続くのかな。一日3時間ぐらい停電を経験して文明のありがたみを体感するのも悪くないかもしれない。断食みたいに。
webadm
投稿日時: 2011-3-20 8:01
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3068
一週間経過
出張も二週目終了。土曜日も出勤のため電車で通勤。

久々に都内に戻ったら近所のファミレスが閉まっているように見えたので、駅近くのそば屋さんで軽い夕食。結構混んでいて迷惑そうだった。

帰りにファミレスの前を通ったら中は営業していた。

計画停電の効果で節電が義務づけられているようで、無駄な電力消費は極力なくす方向に動いている模様。

それでファミレスも外の照明が全部消えてたのね。

土曜日にまた帰宅した際にやはり節電中のファミレスに寄ったら、メニューがいつもと違って計画停電メニューだった。

幸いパスタ類や飲み物があったのでそれを注文。

さすがに休業というわけにもいかないんだろうね。

一週間経過して鉄道とかは間引き運転を除けばいつも通りの感じに。

それに伴って通勤もそれなりに可能になって町の商店も朝から開店できるようになったように見える。

一見すると震災前に戻ったような感じもするけども、被災地に取り残された方々の状況はあまり変わってないと思う。

早くお風呂が入れる仮設住宅とかに移る必要があると思う。避難場所は長く居るところではないし。誰もそんなことを想定していない。

原発地域からの緊急避難もそうだけど、命令だけ下して避難は自己責任みたいな感じになっているのはあまりにもお役人的な仕事の仕方だからかな。

交通規制で緊急車両以外は被災地や危険区域に入れないというのも一方的な物の見方が染みついているからかな。

それのどこが国民目線なのか。

帰り道も国道の街灯が全部消灯していた。気の毒なことに計画停電で信号が消えているために事故にあって亡くなった方もいるようだ。そういう時にとるべき運転上の注意を忘れてしまっていたのだろう。黄色の点滅とかだったら違ったのかもしれない。そのために信号があるのだから。こういう時は保険が下りるのだろうか? 信号が消えていたのを承知で交差点に通常速度で進入したとしたら自殺行為であるから保険は下りないような気がする。

普段は大丈夫そうでもある確率で死線をまたぐことになる。もし保険をかけているなら交差点での自殺行為は普段でもやらない週間をつけておくべきだ。保険をかけていないならやっていいという問題でもない気がする。

石原都知事が我欲への天罰だと言って後で撤回していたけど、そういう気持ちはわかるような気がする。自分だけが良ければいいんじゃない、では済まされないのが人間社会。
webadm
投稿日時: 2011-3-21 5:39
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3068
Re: 一週間経過
出張から一時帰宅してばったり寝込んでいたら朝に留守電が。

今日が親戚の法要らしい。東北の兄姉は身動きとれないので欠席らしい。記憶では3月30日かと思っていたら記憶違いだった。

出張で体がガタガタだけど行って戻ってくればよいと覚悟して支度。

東急も直通列車が運休で昔ながらの二子玉川乗り換えで最寄りの駅へ。幸いバスは運行していたのですぐに到着。

先週とはうって変わって暖かく、コートを着ると汗ばむ感じ。

車で式場まで移動。その間に渋滞かと思わせる車の列を何度か見ることに。交差点に「ガソリン→」の看板を掲げた人が居るのでガソリン給油待ち行列だと判明。中には渋滞だと勘違いして並んで仕舞う車も多いとか。1kmぐらいあったかな。

法要の最中に何度か気絶しそうになったけど、辛抱してなんとか終了。朝食べてなかったので会食はおいしかった。

法要が終わると横になって早く休みたいので、挨拶も早々に帰路へ。

自宅に戻ったらバタンキュー。疲れで熱も出てきている様子。

そしたらまた電話が。

今度は出張前にちょっとやっていたUSB LEDコントローラーの仕事のことで相談が。実機が台湾から来たらしいがどうもうまく動かないらしい。

わけがわからないので、現物を借りるということに。

明日はまた出張に出かけなければならないので明日の午前中が問題解決のタイムリミットかな。

最近はこういうアルバイトしかないな。お金がもらえるかどうかわからないものばかり。

もう貯金もやばくなってきた。
webadm
投稿日時: 2011-3-22 5:26
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3068
Re: 一週間経過
今朝は雨降りで暗い寒いで蓄積した疲労がとれず午前中は起き上がることができなかった。

前日の夜にうけとったLEDボードをテストしたのは起き上がれるようになった昼からだった。

ちょっと変わったUSBデバイスだったけど、目的のUSBデバイスのベンダーIDとプロダクトIDが特定できたので、それでWinUSBドライバをインストール。

あらかじめ用意しておいたテストプログラムでLEDの点灯をテストする。

テストプログラムのほうのVID/PIDを実機のそれに修正するのを忘れてデバイスが見つからなかったがすぐ気付いて無事デバイスをオープンできた。

LEDを全点灯するようにプログラムを書き換えてToggle LEDボタンを押すと全部のLEDが点灯した。

なんだこちらの出した仕様通りできてるじゃないか。

ということでその旨情報を担当者に伝えてこの仕事は一件落着。

自作のLEDボードは出張が終わって時間ができたら仕上げよう。

寒い中をまた北関東まで出発することに。いつものパスタをメインとした夕食をとって移動開始。

無事ホテルにチェックイン。

ホテルの中で過ごす間にも何度も余震が襲ってくる。まだまだ予断を許せない状況が続いている。

福島原子炉では灰色の煙が出始めたというけど、炉心の直下にある黒煙の受け皿が燃えているのかもしれない。だとすると炉心と圧力容器の底が損傷して核燃料が下に落ちている可能性が高い。
webadm
投稿日時: 2011-3-23 6:20
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3068
Re: 一週間経過
再び出張先のホテルから。

今日は仕事場が計画停電確定ということで実験室のPCをシャットダウンして一斉退社。

日中もかなりの揺れを感じる余震があり、休憩中にも揺れを感じるという具合で余震の頻度が相変わらず。

前回同じ時間帯の計画停電は7時からだったが、今回も7時に停電。

1時間半ほど携帯のワンセグでNHKの報道を見ていたが電池切れでそれもおしまい。1時間半しかもたないのかワンセグ。

観念してベッドで寝ようと悶々としていたが前回より早い9時に復電。

被災地には米軍の機動力で支援物資がピンポイントで届けられているらしい。昔の進駐軍の時代にいるような気がする。

経済国日本だけど、こういう時には戦前のやり方しか思いつかないしできないというのが情けない。

被災地の役所によっては戸籍データが完全に失われたらしい。確か法律では地方自治体の情報は県外に保管してはいけないことになっているので災害にあうとそういうことになることは自明である。おそらく県外におけるようにするとセキュリティとかそういうのではなくて、データセンターをおける恵まれた自治体に集中してしまうとか、地元業者に利益が還元されないとかいう利権上の問題からだろう。これを機会にクラウドコンピューティングの売り込みがさかんになるかもしれないが、その前に法律の改正が必要だろう。

なにもやることがないので、食料品の放射能汚染の基準値がどのような基準で決められているか考えてみた(半分皮肉)。多分に統計学に基づいているのだと思われる。出荷されている全数をチェックすることは不可能なので一部をサンプルして計測した場合に、計測値が正規分布に従うとすると、母集団の中である危険領域より高い数値をとる個体の総数が1個未満となるにはたった1個のサンプル値がいくら以下でなければならないか?

こういう数学的な問題を考えると面白いかもしれない。

出張中もオライリー・ジャパンから出ている「エレガントな問題解決(柔軟な発想を引き出すセンスと技)」を暇さえあれば拾い読みしている。何度も読み直しているが面白い本である。

数学オリンピックに出てきそうだけど、日本人は和算学者がそういう問題を好き好んで説いて神社とかに奉納していた。数学オリンピックはもともとソ連とかの旧社会主義国で行われていたものが最近では世界的なコンペになっているらしい。日本人もかつての和算の歴史に立ち戻って活躍してほしいものである。
webadm
投稿日時: 2011-3-24 5:03
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3068
Re: 一週間経過
今日は出張先で午後4時から計画停電。

午前中にあらかたの作業は終えていたので、残った調べ物をノートPCで行っていた。

定時になったがまだ復電せず。そのまま退社することに。

外は曇天と停電でまるでプチ被災地のような感じ。すこし被災地体験を共有しているような感覚。いいことだ。

停電なのでコンビニも商店街もまっくら。営業中の看板を出したままキャンドルで客を待っている飲食店もあった。ガスが使えれば料理はできるからね。

駅前のファーストフード店の前ではあらかじめ用意して保温してある牛丼を販売していた。したたかである。買おうとおもったけど暗い中で食べても闇鍋状態だしおいしくないかなと思ってやめた。

駅だけは電気が来ているのでいつも通り。駅ビルから電源をとっている自販機も動作している。

原発関係で放射能汚染の規制値がなにを基準に決められているかについては、ニュースで1年間つづけて摂取した場合のトータルが危険値を超えない値ということを話していた。そうなの?

確率と統計で考えると最高値を持つ1個が現れる確率はもっとも低い数値の1個が現れる確率と対称性によって同じになるので、ワーストケースを考えると最高値を定めればそれが1個現れる確率と同じ確率で最低値を示す個体が1個現れる確率も同じになる分布がただひとつ存在すると予想される。

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