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webadm | 投稿日時: 2011-10-6 13:41 |
Webmaster 登録日: 2004-11-7 居住地: 投稿: 3107 |
古書:高木貞治「代数学講義」 過渡現象解析で常微分方程式の解き方がわからなくてまたしても嵌ってしまった。ここにきてやはり数学の基礎知識が欠如しているのを痛感し、いくつか手元の本を目を通しているところ。
その中で直接微分方程式論とは関係ないが、だいぶ前に手に入れてあった高木貞治の「代数学講義」の古本を何気なく開いてみたら、新たな発見があった。 戦前に出版された古本であるが保存状態が良く、紙面はだいぶ黄色に変色し文字も一部かすれているが、十分読める。 なによりも戦前の書なので旧仮名づかいが嬉しい。こちらのほうが不思議と親近感がある。著者の言葉遣いが蘇ってくるような感じがする。 序文には1年目の一般教養数学の講義内容に基づいたものらしい。なので代数学概論というわけでもない旨が書いてある。 この本は第一章から複素数が登場する。代数方程式論を学ぶには不可欠だからだ。方程式論の最後には有名な「不可能の証明」が登場する。著者はAbelの方法を解説している。 後半は戦後になって行列と行列式として数学カリキュラムの定番となった現代の線型代数学の紹介にあてられている。 残りは著者の専門である整数論の紹介がされているが、すべてを収録するにはページに限りがあることから、「初等整数論講義」という別の本になった故が説明されている。こちらは最近復刊されて大型書店の書棚に並んでいると記憶している。 謝辞に登場する最初の彌永昌吉という人は高木貞治の下で類体論を研究していた数学者で近年100歳を迎えた後他界されている。故人を知る上で佐武一郎氏の追悼文が大変参考になる。 彌永昌吉先生を悼む もう一方の菅原正夫という人は近年ノーベル物理学賞を受賞して注目を浴びたシカゴ大学名誉教授の南部陽一郎先生がインタビューに一高時代に数学を教わった時のエピソードに登場する有名な数学者とある。しかしWikipediaの日本語版には該当ページがまだ無い。ヘルマン・ワイルの著書の翻訳を手がけている。大型書店で目にすることがあり、オークションにも頻繁に出る「スミルノフ高等数学教程」は彌永昌吉・菅原正夫・三村征雄他翻訳監修である。雑誌「数学セミナー」の1971年1月1日版に追悼文が載っていることから既に故人であることは確か。 目次に目を通すと、旧漢字が所々にあるのでその都度躓くが前後関係からだいたいわかる。スツルムの問題というのはどこかで見た憶えがあるが記憶にない。 対称式や判別式というのは記憶にあるが、終結式というのが記憶にない。英語ではResultantsというらしい。判別式はDeterminantsね。どちらも日本語の式という意味の単語は含んでいない。 第7章に不可能の証明が出てくる。 行列式の後は、二次形式でガウスの整数論の世界へと誘う。再びスツルムの問題が登場する。 本格的な整数論入門には入らずにページ数の制限からここで終わっている。時代を考えればこれだけでも大著である。 今日まで気づかなかったのだが、あちこちを拾い読みしていたら、元の持ち主と思われる人に宛てた当時のはがきがしおりの代わりに挟んであるのを発見。 おそらく宛先はこの本の持ち主で、消印が昭和24年7月11日とあるので、Wikipediaを見るとこの3ヶ月後に湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞して物理学ブームになった年でもある。はがきの下にある、英語で逆さまになったスタンプはなんだろう、進駐軍の検閲印であろうか。どうやらそうらしい、C.C.Dで検索すると民間検閲支隊のWikipediaページが出てきた。Civil Censorship Detachmentの略らしい。 一体文面には何が書かれていたのだろうかと興味がそそられる。裏面を見ると、「ですから通れます」という縦書きの一文が最初に目に入る内容で、残りは横書きで直角コーナーを自動車のような物が通れるかどいう問題について書かれていて驚いた。 長崎と名古屋の間でこうした内容のやりとりがはがぎで行われていたというのは驚きである。大変な時代だが、ゆとりは今よりあったのかもしれない。文面に出てくるクレレというのは19世紀の天才数学者Abelと同時代を生きたドイツの技術者で、Abelの論文を掲載した「クレレ数学雑誌」を刊行した歴史上重要な人物である。このことからはがきの差出人は数学にめっぽう詳しい人物か数学者もしくは大学の恩師なのかもしれない。 現代なら差詰めメールかTwitterなんだろうけど、こういう自由度はないね。自由に絵と文章が書き込めるという媒体はインターネット上にはまだ存在しない。現代人は何やってるんだか、コンピューターソフトウェアの奴隷みたいになっているのに気づかされた。 第七章の不可能の証明の最初方のページだけを覗いてみよう。 今日的には"五次以上の方程式は代数的には解けない"という一文で終わりなんだけど、昔は最初の年に証明の内容まで教わったのね。 Abelは"あーべる"、Gaussは"がうす"、Jacobiは"やこーび"とすべてひらがな表記になっているのは、日本語の漢字以外がカタカナ表記であるための便宜である。現代表記とはちょうど逆であるが笑ってはいけない。 このあたりは高木節が感じられる部分。複素数が代数的に閉じている最も数学的に扱いやすい対象であることを説明している。数学の命題で体Kとあればまずは複素数体を想像すればよいというのも頷ける。 第一章で複素数をいきなり登場させながら、虚数単位i=√-1が数学界で受け入れられるまでのいきさつが説明されている。 実際に高木貞治の数学の講義を受けたことのある現存する数学者のインタビューによると、高木貞治は黒板に向かいながら小声で講義をするので聞きにくかったらしい。あまり講義はうまくなかったと見える、それで講義本が出版された時は学生も喜んだらしい。 巻末の方には歴史上重要な数学者のリストが載っている。こちらは現代的なカタカナ表記であるが、一部"グラスマン(父)"とある。ということは息子も有名な数学者なのだろうか。だいたい何を残した数学者か判ってきたがまだまったく知らない名前もある。 最後に著者検印を見ると、初版は戦前だが、この本自体は戦後、挟み込まれていたはがきの二年前に出た十二版であることが判明した。ということは持ち主は学生か大学を卒業したばかりだったのかもしれない。恩師とその後もはがきでやりとりをしていたのかもしれない。なんだか今よりもずっと精神的には豊かな時代だったような気がするのは気のせいだろうか。 こういう予期せぬ出会いがあると勉強を続けていてよかったと思う。 |
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