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webadm
投稿日時: 2007-5-24 0:05
Webmaster
登録日: 2004-11-7
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投稿: 3088
標準偏差にまつわる思い出
パルスジッターカウンターを手にいれて最初に目にとまったのがσというギリシャ文字。標準偏差である。

これにまつわる中学生の頃の思い出がある。

小学生の頃から学校の成績で唯一自慢できたのは理科の成績だった。いつの頃からか5段階評価の成績でずっと5を維持してきた。テストはいつも満点だった。

というのも既に3年生の頃にたまたま通っていた本屋さんでふと手にした「小学生理科自由自在」という虎の巻本を買ってからである。この本は小学校の講師がバイブルとしている国が発行している教育指導要領という本に書かれている内容を珍しい多色刷りで子供でも読めるように丁寧に解説した本だった。家に帰ってむさぼるように読みふけった。既に3年生にして6年までの内容をマスターしてしまったのである。

当時の理科の内容はまさに実学であって既に先駆者が発見して正しいとされている定理や考えを学ぶことが中心だった。自分から疑問を持ち発見するというのは重視されていなかった。

それが変わったのは私が中学生になってからのことだった。ある日もうひとり理科の成績が良かったライバル的な友達と放課後教室に残って話しをしていた時に、側を通りがかった理科の担当教師が立ち寄って漏らした。

「今度からいくらでも成績5を付けるわけにはいかなくなったよ」

二人とも理科の成績は5だった。テストで満点を取れば5が確定していた。どういうことだろうと二人は話しを聞いた。

それによると今度からは最も優秀な成績を付けることができる人数は学年の全生徒の数%に制限されるというのである。いわゆる正規分布に従うということだった。この頃から今に至る悪名高き標準偏差が導入されたのである。

これは教師にとっても難題である。理解力を判断する基準となるテストで満点者が沢山いては困るということである。全員が授業の内容を100%理解して100点満点とっても一定の割合で成績優秀者と中くらいと成績が悪い生徒とを分けなければならないのである。

またこうも漏らしていた。

「今までは理解するだけで良かったけど、今度からは自分で考えることを重要視する授業内容になる」

つまり成績の評価基準は理解度(もしくは暗記力)ではなく、いかに自分で物事を考えるかについての能力に重点を置くということらしい。

それによって今まで成績が良かった生徒がこれからも成績優秀だとは限らないというのである。

それを聞いて一瞬不安がよぎった。しかし学習指導要領がかわったとしても自分達は既にそうしたものから自由であると確信して気にとめることはなかった。

ただその後激しくなる受験戦争ではわけのわからない突然現れた偏差値という悪魔にだいぶ翻弄された。全国共通テストとかの成績として偏差値が印字された紙切れを渡されたもののこれの意味するものがなんであるかを知るのはずっと後になって数学で正規分布を教わった時である。

もともと何故能力に正規分布を押しつけるのか未だに納得がいかない。

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題名 投稿者 日時
 » 標準偏差にまつわる思い出 webadm 2007-5-24 0:05

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