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webadm
投稿日時: 2015-4-29 20:10
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3092
Re: 自分の数学を持つことの勧め
さて内積と外積とか実は光と影みたいな関係であることが判明したところで次なる謎が待ち構えている。

それは有向面積とか面積ベクトルとか、符号付き面積と呼ばれる概念であるが、そもそも面積に正と負の値があると言われた時点で混乱する。

小学生の時にそんなことは教わらなかったよね。

現実社会では面積というのは正の値しかないし。もし負の面積とやらがあったら、所有する土地の面積を合算で減らすことができて、固定資産税をチャラにできることになる。しかしそんなことは誰もできない。

これもどうやらHamiltonの四元数で考えた方がよくね?

例によってスカラー項は0で同一平面上にあるベクトル項だけの2つの異なる四元数Qa,Qbの積を考える。



ということになる。

すなわち同一平面上にある二つの四元数(もしくは同一平面に平行な二つのベクトル)の積はその平面と垂直な法線上にある四元数(もしくは法線と平行なベクトル)を生み出すことになる。

もちろん二次元ベクトルが存在する平面空間には平面以外の次元は存在しないので、平面に垂直なベクトルというのは定義できない。

そこでベクトル項の係数だけ着眼して、元の平面上の2つのベクトルから構成される平行四辺形の面積は2つのベクトルの成分値によっては正負どちらの値も取り得るので符号付き面積とか、有向面積という名前で呼ぶしかないわけである。

先の同一平面上の四元数のかけ算の順序を逆にすると



ベクトル項の符号が反転する。つまり複素数で言う共役複素数のような共役四元数というようなものが出てくる。スカラー項の値は複素数の共役複素数の実数部と同様に同じで共役複素数間では変わらない。

今日のベクトル解析では以下の様に同一平面上にある2つのベクトルa,bの積の順序を変えるとベクトル項の符号が変わるから、並行四辺形の面積の符号が変わることを意味する。



これは普通のベクトル積の定義そのものであるが、これから以下の結論が得られる



つまり面積に相当するベクトル項の係数に正負があるということになる。

大抵のベクトル解析の入門書では有向面積とかに関しての議論で、およそ数学的とは思えない幾何学的な説明の仕方で逃げているものがほとんどである。

例えば片方のベクトルを時計方向か版時計方向かどちらか少ない回転角度で回転して重なった時に時計方向だったら負で反時計方向だったら正とするとか。

もっともらしいのが、Flemingの右手の法則に習って右手系を正として左手系を負とするとか。

幾何学的には確かに図形の裏と表があるように、並行四辺形の場合も裏から見た並行四辺形と表から見た並行四辺形は、二辺の長さが違う場合には、同一平面上ではぴったりとは重ならない。重なるのはどちらか片方を裏返す必要があることから、面積に正負(裏表)が存在するというのは直感的には理解できる。

どうしてもベクトル解析の初歩を学ぶのは歴史的にも数学系ではなく物理系や工学系であるから代数には不慣れで、代数的に理解するということは期待できないのでそういう説明が伝統的になったのかもしれない。今日では線形代数をベクトル解析に先だって学ぶのが普通だから代数的な説明があってしかるべきだと思われる。こうしたところにも伝統の頸城から逃れ出ていない教育の一面がある。

代数的に考えた場合にはどちらを正にしても結果としては変わらないというのがわかる。それだと二通りの流儀ができて困るから統一的にどちらかを採択する必要がある。

どうすんだそれ(;´Д`)

考えてみるとベクトルを定義する空間そのものが有向でないと話が成り立たないことに気付いたりする。

二次元ベクトル空間では、二種類の向きの異なる空間が存在する。

幾何学的にはちょうど紙の裏と表みたいなもの。



どちらか片方の平面を裏返して重ねると一致するというもの。

ただしどちらの平面上でも先のベクトル積の定義は成り立つ。

裏と表の違いはひとつの座標軸の奥行きがちょうど鏡に映したように逆向きになる点である。

つまり上の平面の左側にY軸と平行になるように垂直に鏡を置くと鏡の中に写って見えるのがちょうど下の平面になる。その逆もまた真なり。

このどちらかを正の向きを持つ平面とし、もう一つを負の向きを持つ平面としなければならないことになる。

実のところ二次平面上でこの種の議論をしても徒労に終わる。

上の2つの平面空間ではベクトルa,bが張る平行四辺形(もしくは三角形でもよい)の面積は同値であるからである。

同じ面積を持つのに唯一違うのは、上の平面では原点に立ってベクトルaの指す方向に向いた場合、ベクトルbは左手に見えるが、下の平面ではちょうどその逆で、ベクトルbは右手に見える。

なので二次元平面でa×bの有向面積の符号を定める時の規則として、aの方向に沿って進む時にbが左手に見える場合を正とすると定めているわけである。そしてその規則が成り立つ平面を右手系と呼び、他方を左手系と呼ぶことになっている。左手系では右手系と逆にbが右手に見える場合が正になる。

何度も言うように代数的にはどちらを正にして構わないのだが、両方の座標系が入れ替わり立ち替わり現れると混乱するのでどちらか一方だけを登場させるように決める必要があったわけである。

これも実は二次元空間では説明が苦しくて、三次元空間で議論しないと混乱する。何故なら先の説明でaに沿って進んだ時にbが左手に見えるのに何故右手系とするのかという素朴な疑問が生じるからである。

今度は三次元空間で同じ議論をしなければならないが、知恵熱が出てきたのでまた次の機会にしよう(;´Д`)

P.S

互いに鏡に映したような持つ同じ組成で2つの異なる分子構造が実験室や自然界に存在する話は前にもしたよね。鏡像異性体というやつ。

これも前に書いたけど、学生の頃に化学の実験で解熱剤として知られるアスピリンを合成した際に、教授が「飲んだりしないように不純物が含まれているから」というように警告していたのが記憶に残っている。

何も工夫もせずに化学合成を行うと、同じ組成だが鏡像異方性によって異なる生理活性を持つ二種類の分子が均等の確率で生成される。片方は意図した通りの効能があるが、鏡に映したような構造のもう他方は意図した効能が無かったり害毒だったりする。

日本でも昔大変な被害をもたらしたサリドマイド事件も、原因はサリドマイドの合成時に効能がある方とは別の鏡像異性体が高い催奇性を持つことからサリドマイドを服用した妊婦から手足の指が未発達な奇形児が生まれるという被害が続出したことにより発覚した。

サリドマイドは良くも悪くも鏡像異性体に関して研究者は注意を払うようになったきっかけを生んでいる。それによって異なる二つの異性体の片方だけを選択的に合成する不斉合成技術の開発が急務となり、先日理研を止めた野衣さんはかつてその先駆的な研究でノーベル化学賞を受賞した人である。





webadm
投稿日時: 2015-4-26 21:43
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3092
Re: 自分の数学を持つことの勧め
ベクトル解析の入門書はいくつも購入して読んだものの、森さんの本を読んでも解ったようで実は良く解っていなかった。

やはり自分で考えるのが性に合っているかもしれない。

前回は斜交するベクトルが構成する並行四辺形の面積を考えたが、今度は同じ斜交するベクトルが構成するもうひとつの並行四辺形の面積を考えることにする。

え、斜交する2つのベクトルが構成する並行四辺形ってひとつだけじゃないのと考える方が多いがそれはもっともである。

今回はベクトルの内積について考えてみる。大抵の入門書では内積に関してページを割くのは1ページ以内で、外積についてはかなり慎重に説明しているのが普通である。なぜこうも扱いが違うのかというのを疑問に思っていたが、ベクトル解析の歴史を学ぶと理由がなんとなく分かってくる。

その前に、もうひとつの平行四辺形が存在する意味を明らかにしないといけない。

普通にベクトルの内積というと



とか、



などと書かれる。

最初のは定義だと言われても、代数的に見通しが良いと言われても釈然としない。二番目は確かに並行四辺形の面積を表していることは解るがθの定義が曖昧だと前の記事で出した外積のときの並行四辺形の面積と区別がつかない。

最初の定義になんらかの幾何学的な意味があってよさそうだ。

実は前の記事で出した外積の場合の並行四辺形の面積の式と良く似ていることに気付く。



つまるところ上に示されるように成分としてb2,-b1を持つもうひとつのベクトルcと成す並行四辺形がすなわち内積だとも言える。

このもうひとつのベクトルcは実はベクトルbを90度回転したものであることは以下の関係から明らか。



これは前回Hamiltonの四元数を再発見した際に出てきた直交変換行列の片割れ(時計方向に大きさを変えずに90度回転)である。

幾何学的に見てみると



という具合にもう一つの並行四辺形が存在し、その面積が内積として定義できることがわかる。

こんなへそ曲がりな視点で書かれたテキストは世の中に存在するはずもない、自分数学の独断場である。

この関係から、ベクトルa,bが最初から直交して居るときには、もう一つの並行四辺形はぺしゃんこにつぶれてしまう(ベクトルa,cが線形独立でなくなる)ため内積は0ということがわかる。また逆も真なりで、ベクトルa,bが平行なら、その内積であるもうひとつの平行四辺形は直角形になり最大値を持つことになる。

これで内積とが外積が同時に理解できるじゃないか(´∀` )

歴史的には19世紀のベクトル解析の暗黒時代にさかのぼる必要がある。

Hamiltonが四元数を見いだし、Maxwellが電磁気学の本を出版し、Heviesideがそれに魅了されて独学で研究を始めた時代である。

今日ベクトル解析で使われるスカラーやベクトルという用語は実はHamiltonが四元数を表した時に用いたのが最初である。後にベクトル解析学者はHamiltonの四元数を研究し、そして都合の悪い部分は捨てて都合の良い部分を採用したというまさにbootlegに限りなく近いことが行われた黒歴史がある。

ではHamiltonの四元数の何が都合が悪く、何が都合が良かったのだろうか?

Maxwellも初版では四元数を用いようとしたために、結局のところ関係式をベクトル成分毎に記述するしかなかったが、没後の第二版ではそこは改められてベクトル解析よりの記述になっている。我々が今日目にすることができるのは後者の方で、Heavisideなどの同時代人が読んだのは初版本である。

Hamiltonの四元数は実数項から成るスカラー項と、それと互いに直交する3つの直交基底からなるベクトル項で構成される。

まずはスカラー項は0としてベクトル項だけでベクトルa,bを四元数で表すとして、その積を計算してみることにしよう。



ということになり、ベクトル項だけの四元数を乗じるとベクトル項以外にスカラー項が出てきてしまう。スカラー項はベクトルの内積の形をしている、ベクトル項は外積の形をしていることがわかる。

ベクトル項のかけ算からスカラー項が出てくるのは、Hamiltonが見いだしたベクトル項の基底の乗法則から当然の結果である。

19世紀のベクトル解析学者は、ベクトル項だけで事は済むはずだと考えて、Hamiltonの乗法則を以下の用に変更し、それをベクトルの外積の定義とした。



つまり並行な(線形従属な)ベクトルの間の外積は0とすることによって、ベクトル項の積からスカラー項を抹消することにしたのである。

従ってベクトル解析では



というのが今日の定番となったわけである。

20世紀の後半になってようやくスカラー項が意味のある物理量を表すことが再発見されることになる。
webadm
投稿日時: 2015-4-21 10:25
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3092
Re: 自分の数学を持つことの勧め
電磁気学のテキストではベクトル解析の数学的な知識があることが前提としているものがほとんどだ(19世紀末とかまだベクトル解析が一般的ではなかった時代に出版されたものを除く)。

ベクトル解析の上に構築されているかのように見えて、電磁気学を学んでいるのかベクトル解析を学んでいるのか分からなくなってくる。

いつも躓くのはベクトル解析の常識が登場して、それに基づいて電磁気学の理論が解説される時だ。

このため最初の章で躓いて次ぎの章までたどり着けない。これは私だけではないだろう。

さて今日躓いたのは、たぶん常識的なことなんだろうけど、以前にも書いた並行四辺形の面積に絡んだ記述。

斜交する2つのベクトルa,bが作る並行四辺形の面積は



となることだ。

こんなことがすぐに解るやつは頭おかしい、と考えるのはそんなこともすぐに解らないやつは頭悪いと言われる種族であることは確かである。さて貴方はどっちだろう。

電磁気学だけではないが、数学というのはシームレスにつながってはいない。突然まったくかけ離れたところに話が飛んでいってしまってついていけない人は落伍者となる。

普通に並行四辺形の面積というと、底辺x高さというのが小学校で習った知識である。

底辺を水平に平行に置いて、それに隣り合う辺が傾いている図を想像すると、傾きの角度がθであれば、2つの異なる辺a,bの長さを|a|,|b|とすれば、平行四辺形の面積は



となるのは以前にも書いた。

幾何学的に表すと。



これと先の行列式で表された面積が等しいだなんてすぐには思いつかないし。

もちろん上の図で、ax=|a|, ay=0, bx=|b|sinθ, by=|b|cosθであるからして、行列式での面積の式と同値であることは確かである。

一般的な以下の並行四辺形ではどうだろうか?



補助線をいくつも引いた結果から、黄色の平行四辺形の面積と対角的に接する一番大きな4角形の面積は



大きな四角形から問題の平行四辺形に含まれない余分な部分の面積は



従って黄色い並行四辺形の面積は、ベクトルa,bの成分で表すと



ということでようやく理解できたことになる。

こんなの一瞬で解るほうが頭おかしい。

これ以外にも同じ結果の導出方法は沢山あると思われるが、それを確かめるのは読者の課題としよう(´∀` )

実のところここはベクトル解析で基本中の基本の勘所な気がする。

P.S

あとになって気付いたのは、積分の概念を知っていれば、もうひとつの見方で並行四辺形の面積が計算できるということ。



並行四辺形の外周の高さを並行四辺形の外周である閉路OABCOに沿って積分したものが平行四辺形の面積だと言える。

OABまではx座標が増加する方向にあるが、BCOは逆向きになるため積分結果の符号が変わる。

すなわちOABに渡って積分した値から、OCBに渡って積分した値を差し引けば並行四辺形の面積が得られるというわけである。



ということになる。

計算は面倒だが概念的にはこっちの方がすっきりする。
webadm
投稿日時: 2015-4-15 21:41
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3092
Re: 自分の数学を持つことの勧め
ふう、先々週の金土日と朝から終電まで合同デバッグと称する作業を強いられて集中力を使い果たして、今ごろその後遺症に悩まされ中(;´Д`)

ある種PSDTなのかも。緊張を解きほぐせるのは昼食時だけで、それ以降は夕食も抜きで緊張を強いられるというストレスを解放するタイミングがなかったのが痛い。みんな真面目な人ばかりだとそういうことになりかねない。

さて、だいぶ間が開いてしまったが、通勤途中とかではもっぱら自分数学の探究を続けている。

自分数学の何が楽しいかは、前回を例にすると、今も目の前に生きている数学的対象を観察してその正体を探求することにつきる。

数学書とかで扱われている数学的対象は、研究し尽くされた動物の剥製標本を眺めている感じがして興味が失われる。それが数学嫌いを生む原因ではないかと思う。

ちょうど子供に寿司屋でマグロのにぎりを前にして「お嬢ちゃんこれがマグロというものだよ」と説明するようなもので、確かにマグロの都合の良い性質だけとらえているけれども、その外観から本当のマグロが大海で泳ぎ回っている姿を想像することは困難だろう。

それと同様に数学書で扱われている数学的対象も、都合の悪い部分はそぎ落とされていることが多いし、それが現実に存在するのかどうかも怪しい。

以前に球座標系のLaplace方程式の解として現れるLegendre倍関数を学んだが、確かにそれは自然に出てくるのだが、現実世界でそれが存在している姿を想像するのは難しい。電磁気学では誘電体中の電界を考える時に微少な電気双極子がびっしり並んだ状態を想像すればなんとか存在する気もするけど、それは想像にすぎない。

前回の記事で単純な円周上の任意の点の法線ベクトルと中心軸からの距離ベクトルがなす平行四辺形の面積がまさにLegendre倍関数であることを再発見した。これは現実に目の前に存在して今も生きているのは明らかである。何故こんなところにLegendre倍関数が生きているのかは読者の課題とした。

生きた数学的対象を見ると、子供が動物園につれていかれて生きた動物の姿を初めてみた時と同じ衝撃がある。生きていない剥製標本の動物をみるのとは大違いである。

さて、他にも生きた数学的対象を見いだすことはできないだろうか?

テキストとかでは、ちらっとわかりやすい例としてそうした生きた数学的対象を持ち出す著者も居る。しかしそれは読者の興味を誘う手段であって、それを研究することが目的ではなく、次は研究しつくされた数学的対象の剥製標本について説明するだけである。

小学校の授業で今も記憶に残るのは、国語のテストで引用されている既存の小説の一節を読んで、設問に答えなさいという典型的な問題である。小説の一節があまりにおもしろいので(生き生きとした表現なので)その世界にすっかり引き込まれてしまい、あれこれ想像を巡らしてテスト用紙では割愛されている続きのシーンを思い描いたりしていて、結局問題には答えずにいつも0点を頂戴していた思い出である。

学習指導要領的には文章を読んでその内容を正確に理解するという能力を確かめるテストなんだろうけど、読む手には文章をいかようにでも解釈してよいという自由が与えられているはずだが、テストではその自由は奪われていて、出題者と同じまったく同じ解釈をしなければ0点ということになる。このことを子供ながら瞬時に察して、以降は国語のテストでは小説の一節を存分に味わって問題には答えないという姿勢を貫いた覚えがある。

自分数学も同様で、テキストに書いてあるのはその著者の自分数学であって、私の自分数学とは違う。他人の自分数学を理解するのは苦痛だが、自分の数学を探究するのは楽しい。

さて、自分数学の次なるネタを探そう。

複素解析を学んだ際に、最初に躓くのが虚数単位iである。

歴史的には√-1という形で二乗すると-1になる数という形で登場したが、長らくその数学界での定位置が与えられていなかった。

線形代数の行列表現を使用すると、虚数単位も行列の中の一つとしてとらえることができる。そうした比喩は理解を助けるためにテキストでも用いる著者は多い。しかし、更に深追いすることはなくて、読者の気をひきつけるためだけである。

例えば、実数値は以下の様に行列で表現できる



ここでrは任意の実数値である。

虚数単位iは二乗すると-1になり、三乗すると-iになり、四乗すると1になり五乗するとiに戻る。

これはちょうどベクトルを原点を中心に90度づつ回転させたような位置関係になることから、虚数単位iが位置する座標は実数軸と直交した座標軸上にあると考えることができる。

行列ではちょうど座標軸の回転させる変換行列がそれに相当する。



試しに二乗してみると



確かに実数の-1になる。

従ってテキストでは複素数は実数と虚数の任意の線形結合で表されることになると締めくくるのが普通である。

教科書ではそこまでしか書いてないが、ここに想像から生まれたのではあるが、生きて目の前に居る獲物を見てそのまま立ち去るというのは忍びない。

自分数学的には、虚数単位iのように回転作用のある数は他にはないのだろうかという疑問が沸く。

それはある程度Hamiltonの四元数が頭にあってのことだが、Hamiltonの四元数発見までの長い労苦を追体験したいというわけではなく、目の前の獲物をいろいろな観点から観察したいという自然の欲求である。

例えば、教科書では説明されない、以下の行列の表現は一体何を意味するのだろうか、もしくは何も意味しないのだろうか?



これは二乗すると



三乗すると



また元に戻るという変な性質を持つことがわかる。

どうも成分が4つの二次元行列では別の虚数単位に相当する数は出てきそうも無い気がする。

3次元行列にするか、立体行列に拡張しないとだめくさい。

3次元行列は当たり前過ぎなので、テキストには出てこない立体行列というものを想像してみよう。

ちょうど立方対の頂点にそれぞれ成分が位置するとして、6つの二次元行列で囲まれている感じ。成分は8つあるので、その中から4つの成分の組み合わせで二次元行列がいくつできるか考えてみると卒倒する。

さてその中には同じ成分の組み合わせだが二次元行列を回転したり、転置したようなものも含まれるわけで、それらが同じ行列と見なすべきかどうか悩ましい。

それらの中に果たして虚数単位のようなものは存在するのだろうか?はたまたHamiltonの四元数は構成できるだろうか?

それを調べるのは読者の課題としよう(´∀` )

P.S

4つの成分の二次元配列でも、成分を実数ではなく複素数からとれば四元数の基底に対応する結果が得られる。

先の二乗すると単位行列になる変な行列は要素が実数だったが、虚数単位√-1を乗じれば、二乗すると-1に対応する行列になる



ここで2つの二乗すると-1に対応する行列になるものが見つかったので、その二つを掛けるとまた別の線形独立な基底行列が現れる



これもまた二乗すると-1に対応する行列になる



掛ける順序を逆にすると結果の符号が変わる



i,j,kはそれぞれ線形独立であることは容易に確かめることができる。従って四元数はスカラー項に相当する単位行列と、i,j,kの三つの基底行列の任意の線形結合に対応する(複素数を元とする二次元行列)。



Hamiltonはこの四元数を発見するのに長い間かかってある日、橋の上で遂に発見に至ったという話は有名である。

上記の結果はWikipediaになにげなく書かれていたのを昨日見つけた。いいところまで辿りついていたのに、自分で発見できなかったのは残念だが、すぐ近くまでさまよっていたのでよしとしよう(´∀` )

このHamiltonの四元数は、後にベクトル解析や電磁気学に多大な進展を与えることになる。
webadm
投稿日時: 2015-3-17 9:57
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3092
Re: 自分の数学を持つことの勧め
円の面積や球の表面積を考え出すと、幾何学的にいろいろな遊びをしてみる機会が得られる。

例えば、円の面積を考えた時に円盤を描いたが、以下のようにちょっとへそ曲がりな計算をすると、とんでもない発見をすることになる。

円周の任意の点の接線に垂直な長さ1の法線と同じ点から円の中心軸までの距離を辺とする平行四辺形の面積を考えるとそれはr sinθcosθということになる。θは中心軸と任意の点と円の中心を結ぶ半径のなす角である。



また任意の点から中心軸に垂直に結ぶ線と平行な長さ1の線分と先の法線とで構成される平行四辺形の面積はsinθcosθである。

実はこれ前に研究したLaplace方程式の解である球調和関数(球関数)のひとつである。球を考えなくても平行四辺形の面積を計算すると球調和関数が出てくるのは不思議である。この式はいったいどんな物理量を意味しているのだろうか。

少し見方を変えて、今度は回転軸と直交する線と任意の点と中心を結ぶ半径のなす角をΨとすると



やはり球関数が出てくる。

球調和関数は定義域の両端で値0をとる(Legendre倍関数の性質による)のでMaximaを使用して極座標でプロットすると



という4つ葉のクローバーのような文様が現れる。

これを軸対称な球座標でプロットすると



4つ葉のクローバーを中心軸を軸に回転させたような形になる。小学生の時に国語の教科書に載っていた、ちびくろサンボの物語に虎が木の周りをぐるぐる駆け回っていると最後には黄色いバターだかなんかになったという下りを今も思い出す。その後差別用語を使っているということで発禁になり教科書から削除されたらしい。

これもLaplace方程式の解のひとつであり、静電ポテンシャルの一例である。

これが何を意味するか突き止めるのは読者の課題としよう(´∀` )

webadm
投稿日時: 2015-3-16 10:45
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3092
Re: 自分の数学を持つことの勧め
3月になると納品ラッシュが続いて、職場ではあちこちで火が噴いているのはいつものこと。

火消しに廻るので忙しくてこちらの投稿も開店休業状態で申し訳ない。

それでも通勤電車の中では解らないながらもいろいろへそ曲がりな視点で電磁気学を見直しているところ(といったら格好いいかも)

電磁気学の式では4πというのがよく登場する。というのも現代のcoulombの法則の式に出てくるわけだが、これは点電荷を中心とする半径rの球面の面積で中心電荷を割ったものが球面上の電位勾配(電界)に等しくなるように後に定められた定義だ。単位系の策定の歴史とも関係するので実は本質的ではない。

しかし半径rの球の表面積の式を導出せよと言われると実は困ったことになる。それ以前に半径rの円盤の面積(半径rの球を真っ二つに切った場合の断面の面積)の式を導出せよと問われても小学生の時に習った記憶しかない。実はそれ以降まともに導出したという記憶がないのだ。

これはさすがにまずいだろう。小学生の時の円の面積の導出方法は直感的だがよく考えられていて突っ込まれても大丈夫な方式だったはず。円盤を放射状にミカンの房のような部分に分割し、分割を無限に多くすればミカンの房のひとつひとつは半径rを二等辺とする無限小正三角形とみなすことができる。それをばらばらに分解して、平行四辺形状になるように向きを互い違いにして敷き詰めれば面積は底辺が円周の半分でπrで高さがrの平行四辺形(ほとんど長方形とみなしてもかまわない)になるので、面積は底辺×高さ=πr^2ということになる。

円の面積の厳密な証明というのは見たことがないが、ちゃんとやると小学生には理解不能なレベルだと思われるので、苦肉の策だと想像がつく。

ミカンの房がその中心角が無限小になれば、底辺が中心角×半径で2辺が半径の正三角形に近似できるというのはなんとなくわかる。これはr sinθをθを無限小dθに近づけた時にr dθに限りなく近づくというのは簡単に証明できるし、あちこちでよく見かける。

そうすると円の面積はこの微少の正三角形で円を埋め尽くしたと考えればよいので積分計算で求めることができる。

微少の正三角形の面積は底辺×高さ/2だから(1/2)r^2 dθ



dθを0〜2πの範囲で積分すれば



ということになる。

さて次は球の表面積だけど、小学生の時のように同様に今度は微少な正三角錐で球を敷き詰めたと考える方法を良く見かける。それは球の体積を求めるには都合が良いが、球の表面積を求めるのにはそこまでは必要ないかもしれない。


球の表面を微少な帯で敷き詰めればよいわけで、微少な帯の幅はrdθ、帯の長さは2π r sinθ dθとなる。従って微少な帯の面積は2π r^2 sinθ dθということになりθに関して0〜πまで積分すればよい。



これはすぐに計算できて



ということになる。

これでもぐりと言われないですむかもしれない。

同様に球の体積は上記の式をrに関して0〜rで積分すれば簡単に得られる。これはミカンの皮を球の中心からずっと敷き詰めて重ねていけば体積と等しくなると考えてよい。



ということになる。

なんだ簡単じゃないか(´∀` )

ただ自分数学ではおそらく微積分とか三角関数という概念を独自に再発見できるこは思えないので(再発見できたとしたら天才かも)ので、やはりちゃんとしたテキストを読んで一度は学ぶ必要がある。あのフィールズ賞数学者の小平邦彦ですら微積分の概念は学校で教わるまで知らなかったと言っているぐらいだし。

もっと数学的に遊ぶには、4次元の球の面積や体積とか求めてみるとおもしろい。それは読者の課題としよう。

P.S

実は球の面積が話題になったある半導体製造技術のニュースを話題にしたときに、現在の半導体がシリコン結晶の四角い板の上に回路を構成しているのを、球面状に構成すれば面積が増えてより多くの回路を集積できるという数値的な説明をするのに、球の面積の公式をとっさに書いたのだが、実はそれは間違っていて球の体積の公式だったということがすぐにばれて赤面した覚えがある。まあ内輪の議論だったのでそれで事なきをえたが、この時点で数学的な知識がだいぶ怪しいものだという印象を与えてしまったことは悔やまれる。まあお里が知れただけなんだけどね。

webadm
投稿日時: 2015-2-3 12:47
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3092
自分の数学を持つことの勧め
電磁気学とは直接関係ないタイトルだが(といって無関係なわけでもない)

常日頃、通勤電車や外食先のテーブルで数学書を読むわけだが、やはり人の数学というものはいくつかの理由ですんなり理解できるわけがない

・著者の持つ数学的な知見と比較し、読む側があまりにも知らないことが多すぎるための困難
・近代の数学書では当たり前の、局所的な議論は最小限にとどめ大観的な議論が主体となるため、天下り的で退屈してくる

これらの理由は大半の人が該当するだろう(その人が大数学者でない限り)

ではどうしたら数学書がおもしろく読めるようになるかというと、上の最初の困難を緩和するしかない。

つまり自分でもある程度局所的な観点での知見を抱負に持ち、大観的な視点だけ欠如している状態でそれらの書物を読めばちょうど補完的な関係で、「ああ判った」ということにつながるはずである。

ではそういった知見はどうやって身につけるかというと、もはや人が書いたものを読むことでは得られない。

そこで自分の数学を持つということにつながる。

数学が苦手の人やどうもよく判らないという人は、自分の中に数学があるからだと考えたほうが納得がいく。つまり自分の数学の芽から見るとどうにも納得がいかない、ギャップが大きすぎるというわけである。

ギャップを縮めるには自分の数学を成長させるしかない。

ここでも再度、読んでいて退屈したり、自分で考えることを放棄させるようなテキストは絶対に読まないことを勧める。

具体的な例を挙げれば、教わってもそれを理解してもただそれだけに終わりなんら発展性のない公式がある。代表的なものには二次方程式の解の公式である。



確かに希ににこの公式を使って計算する機会が一生に一度ぐらいあるかもしれないが、ただそれっきりである。

昔一緒に仕事をした同僚と数学の話をする機会があって、最初に学んだもっともつまらない公式ということで意見が一致した、むしろそれを導出する際に使う「平方完成」もしくは「完全平方」というテクニックのほうが、その後も頻繁に使う機会があるという意見も一致した。

上の公式を見てもどうやって導出するのか思い出せない人も多いと思う。それが悲しい現実である。

平方完成とは、公式の元になった二次方程式をべき根を含む多項式の積に分解することである。



従って上の方程式が成り立つためには



のいずれかが成立すればよいことになる。

上の条件式から解は



ということになる。

この結果そのものが役立つ機会はほとんどないと思われるが、それを導出するのに使用した完全平方のテクニックは数式計算で度々お世話になることになる。

ただこれでも二次方程式を局所的に理解しただけで、他の数学とのつながりがまったく感じられず自己発展性も見いだせない。

しかしそうだろうか?

先の一般的な二次方程式を別の観点から見つめ直すと、教科書や学校では教えないおもしろい性質を再発見することができる。

二次方程式を以下の様に書き直してみると



上の関係が成り立つには



が成り立てばよいことになる。

これは以下の様に書き直すと二次方程式の解の奇妙な性質があらわになる



これはつまり、ある関数fにxを与えた場合、その結果がxのまま変化しないのが解であるということになる。

数学的には関数fは点xに作用して別の点へ移す写像と考えることが一般的である。つまりある写像に対して自分自身に移すような点xが二次方程式の解ということになる。



こうした点の集合が方程式の解ということになる。

このことは二次方程式にとどまらず、微分方程式にもあてはまる。

もちろん当てはまらないものも出てくるが、それを自分で調べるのは楽しい。そうやって局所的な議論を積み重ねると、もっと一般的な、大観的にシンプルにまとまらないかという思いが出てくる。つながるものはみんなつなげて一つになれば覚えやすいし扱いやすい。

そうやっていろいろ自分の数学を育てた後に、先人の書いたテキストを読むと目から鱗ということもあるし、つながりの無いばらんばらんな議論の寄せ集めでしかなかったと判明したりもする。

すくなくともこれは紙も鉛筆もなくてもできることが多いし、目をつぶって半分眠りながらでもできる。おすすめである。

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