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投稿者 スレッド
webadm
投稿日時: 2017-1-22 3:37
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3088
Re: ピアノ教本
ふう、「大人のための独習バイエル(下)」のステップ1に取り組んで早1ヶ月

2週目ぐらいではまだ仕上がりにはほど遠く、テンポも半分のまま。

このまま挫折するかも、という不安におののきながらも、休日には足らなかった部分練習に取り組んでなんとかゆっくりだけど通しで弾けるように。

そこからテンポがなかなか上げられないという壁に...

やはりというか、漫然と弾いていたのではテンポは上がらないわけで、少し速めのテンポに挑戦する勇気が必要でした。

やってみると、意外にもほとんどの曲は早めのテンポでも通しで弾けるようになっていました。

速いテンポで弾くとそれまで無かったミスや遅れが出る箇所があるこが判明。

そこをまた週末に部分練習で補習するという感じ。

予め譜読みの段階で各曲の演奏所要時間を推奨テンポ(メトロノーム値)と演奏小節数から計算して、ステップ1の成果確認曲を含め全部で15曲トータルで10分強という感じ。

メドレーで弾くといっても曲の間に譜めくりとか、曲想によって気持ち気入れ替えたり、演奏開始前にイメージトレーニングしたりする時間が入るので10数分で収まれば仕上がりかなと思っていました。

最初の頃の録音時間を見ると、45分とか練習時間を遙かにオーバーしていますが(´Д`;)

今年に入ってからの録音だと、おおむね20分を切っているのでまあまあのところ。

今日はお休みなので手元のデジタルピアノ内蔵のメトロノームを使って推奨テンポで試し引きしてみると、大概の曲は推奨テンポでも弾けるようになっていました。でもちょっとまだ余裕のある演奏ではないけどね。

一部はやはりまだ推奨テンポで弾ける以前に課題があることが判明。

そうした曲は片手だけで弾くだけで毎回ランダムに間違えるし(´Д`;)

ちゃんと譜面読んでますか?と言われそう(;´Д`)

教訓としては、片手で弾いて間違えるようではまだ両手では無理無理。

それと集中力が曲の終わりまで続かない時があることが判明、特に最後に繰り返し記号がある曲とかは、そこで終わったと勘違いして集中力が下がって、繰り返しが遅れ、以降ぐだぐだになるパターン。そうなる直前までは完璧だったんだけどね(;´Д`)

ピアニストが如何に最後まで集中力を持続しているかというのを想像させられます。

それとピアニストは一時的にピアノの前から離れていても、心と体とピアノは常に一心同体で、再びピアノの前に座れば即座に演奏が出来るということに以下の Youtube の動画を見て驚愕しました。



たぶん日本でのコンサートのアンコール曲だと思うのですが、プログラムを終えてコンディションは最高潮だと思うのですが、アンコールで戻ってきて椅子に座るとすぐ演奏が始めるというのにびっくり。しかもソナタの一部の楽章だけでなく、全楽章というのにもびっくり。

さすが2010年ショパン国際コンクールの第一位かつ最優秀ソナタ演奏賞受賞者の凱旋来日演奏。

さて、話は戻って、疲労が溜まった右手のこと。

以前痛めた親指の屈筋腱のところはだいぶ良くなって痛みも治まってきましたが油断は禁物。

右手の回復に合わせて「Pianoprima Excersize」のレベル1メニューで外していた、1オクターブのメニューを復活することにしました。

しかしその前に右手に別の異常が。

終日右腕の筋肉に強ばりが感じられるのです。どうも寝ている間も右手は休んでいないみたいで、朝起きると硬直して汗ばんでるし(;´Д`)

元々子供の頃から自律神経失調ぎみなので朝起きられないというのは毎日でしたが右腕の疲労が抜けないというのはピアノの練習を初めた頃から感じる異変です。

昨日、別の理由もあるかもしれないことに気づきました。今働いている職場の事務所の社員通用ドアのノブがレバー式で右手を使ってひねると、右手首に無理な力がかかるぽいのです。

それで最近は右手で重いものを持って手首をひねると痛みを感じることがあります。

それに気づいてからは柔軟な左手でドアのレバーを回すようにしています。

せっかく練習しても右手の腱の痛みは無くなったというのに一難去ってまた一難(;´Д`)

無理をすると元に戻れない状態になるので、平日の練習は朝出かける前の30分と、帰宅してお風呂に入った後の30分に制限しています。

さて、急がないで今取り組んでいる「大人のための独習バイエル(下)」のステップ1をクリアすることを当面目指すことにします。

それとは別に、これまで読んだ新しい本のご紹介。

「100のレッスンポイント」池川礼子 著



著者はPTNAのコンペティションで審査員を務め、PTNAのコンクールの入賞者を多数送り出している経験豊かなベテラン教師。それまでPTNAのホームページに連載した記事を単行本にまとめたもの。

読んでいてとてもおもしろかった。特に著者自身のピアノの生徒のエピソードが痛快で味わい深いものがあります。

印象に残っているのは、幼稚園児でブルグミュラー25練習曲を与えて、どこまで弾いてきても良いよと言ったら翌週には全曲弾いて来たというエピソード。

その子のお母さんもピアノの先生で、その生徒さん達がブルグミュラーを弾いているのを毎日聞いていたのでうれしくなって全部弾いたという読んでて微笑ましくなって涙が出てきそうでした。

でも良く考えると、幼稚園児でブルグミュラーというと既に導入と基礎は終わっているということだよね。まあ、お母さんがピアノの先生だから本格的に著者の教室に通う前にある程度の手ほどきは受けていたんだろうけど。

でもそう考えると、ブルグミュラーでも複数曲同時並行で仕上げるというのはありなのかも。

ブルグミュラー25の練習曲は一応買ってあるので、「大人のための独習バイエル(上)」を終わった時点でチェックしてみたら、一部は十分弾ける易しさだったことを確認。バイエルが終わってから楽しみは取っておくことにしているけどね。

そのときは10曲ぐらい同時並行でやるかも。

それ以外にもこれまで読んだ本では出てこないためになる話とかがあって、今時のピアノを習っている現代子の様子が伝わってくることもあり、また格別のおもしろさがあります。

経験豊かでいろんな生徒さんを教えてきただけに、それまでに無い性格の子とかはある意味で別の教える楽しみがあるのかも。

元々は若いピアノの先生向けに書かれているのと、著者はバスティン・メソッドを国内中で講演して回っているバスティン・メソッドの伝道師でもあるので導入と基礎はバスティン・メソッドでその後必要なすべての基礎を身につけるという指導方針、その後のレッスンの話題に出てくる教材とかを改めて検索して調べてみると、どれも中級以上向けなのでお話の大部分は初期段階で挫折する可能性のある導入とか初級の段階はバスティン・メソッドを使用して楽しく遊びの感覚でやるのが大事ということ、あと読譜がずっと苦手で成長してしまった生徒の話も出てきて、効果的な即読譜法についても紹介されています。

紹介されている即読譜法はだいたい知っている方法ですが、譜面の横方向の音のインターバル(相対音程)に着目するという点。初見演奏ではそうした音型のパターンがいくつあるかざっと見て調べて共通部分と相違部分を見分けるのが最優先。

どんな曲も2度と3度のインターバルで進行する部分が大半を占めているので、それは5度圏内の静かな手で弾ける易しい部分だということに。残りの難しい部分に関して優先して攻略すればいいということに。

この辺の話を最初に知ったのは、この本ではなくて、"Fundamentals of Piano Practice"という本で、昔は紙の本で出版されていたけど今は廃本になってしまって、代わりに電子出版やインターネットのあちこちにいろんな版が無償でダウンロードしたり閲覧することができます。紙の中古本はプレミアムがついて、北米のアマゾンとかで1万円前後で売られていたりします。

たまたま別件を検索していたときに見つけた著者のサイトはここ

「Fundamentals of Piano Practice」Chuan C. Chang 著

Fundamentals of Piano Practice

譜読みのコツが書かれた部分は第一章のピアノテクニックの以下のページに同じような事が書かれています。

4. Starting a Piece: Listening and Analysis (Für Elise)

著者はピアニストではなくベル研究所の研究者でしたが、二人の娘さんにピアノのレッスンを受けさせた際に、ピアノの調律師に払う謝礼を節約する必要があり、自分で調律方法を勉強して調律したのが事の始まり、第二章はピアノの調律方法について書かれているのはそのため。第一章のピアノテクニックは、多くのコンクール入賞者を世に送りだしたフランス系熟練ピアノ教師(Mlle. Yvonne Combe)の教授方法から学んだことをまとめたもの。

主に効果的な練習方法に関しては熟練のピアノ教師なら誰でも生徒に教えていることが書かれていると思います。普通は毎月お金を払って生徒にならないと教えてもらえないことだけどね。ここで読むだけなら無償。でもその結果は読者自身の責任ということに。

ピアノの練習方法に関してもかなり広範囲にかつ深いレベルまで書かれています。

ピアノ調律に関しても著者自身が調律するために研究して集めた実践的かつ理論的な内容なので、自分で調律とか古いピアノのレストアとかするのには役にたつかも。ピアノ調律に必要な工具はインターネットで買えるしね。修理とか補修はどうなんだろう。

日本語訳版が無いのが不思議。

ところで、バスティンは導入のテクニック本しかやってないけど、大人が使っても楽しかったよね。導入のセオリー本は楽典の知識がある大人ならパスしてもいいけど、全然楽譜読めない人にはいいかも。

独学で練習している立場でも、その段階になったら何が大切かが書かれているので参考にすることにします。

その前に読み終えたのがあって、それがこちらの本

「21世紀のチェルニー」山本美芽 著



去年の段階でこの本があるのは知っていたけれども、チェルニーをやるのはまだ先の話だからと注文してなかっただけでした。

チェルニーと言えば、その昔日本ではバイエルとかメトードローズを終えた後の教材としてチェルニー100番練習曲というのが有名。

まだ練習初めて間もないのに、チェルニー100番練習曲というのを買っておこうと思って、間違って注文したのがこちら。

「チェルニー第一課程練習曲」



届いてすぐに、これじゃない感。

一応練習曲が100曲収録されているんだけどね、これが100番だと勘違い(;´Д`)

原題は「ERSTER LEHRMEISTER」で、日本語に訳すと「最初の先生」ということらしいことが中の解説に書いてある。

第一課程練習曲だから、導入とか初級向けかなという感じもしないでもないので、最初の予備練習みたいな短い小節数のものを試しに弾いてみたら、難しい(;´Д`)

なんなのこの面倒な運指。

これを最初に取り組んでいたとしたら難し過ぎて初日で挫折しそう。

いまだに最初の予備練習曲全部弾いていません。その先に本当の練習曲があるんだけどね。最初の露払いで頓挫(;´Д`)

話は「21世紀のチェルニー」に戻ると、昔バイエル批判が起きたのと同じような観点で、ピアノ教本研究家である著者がチェルニーを現代の視点で見るという内容のものでした。

以前買って紹介したドホナニー本には英文だけど、チェルニーにも触れていて、「チェルニーは余計な物」と言い切っていたのが印象に残っています。ブダペスト(ハンガリー)ではチェルニーはまったく使ってないのかもね。

確かに著者が各国のピアノ教本事情を調べるとチェルニーを全部さらうという国は少なく、やったとしても抜粋して何曲かやる程度が今日では普通のよう。

日本でもかつては教材が少なかっただけに、バイエル後はチェルニー、その後はソナチネ、クラマー=ビューローが占めていたけど、最近はチェルニーに代わる新しい教材がいくつも出てきているので選択に困るほどぽい。

しかもバイエルやメトードローズやその他の導入・初級向け教材と違って、チェルニーの練習曲は曲の順番が難易度の順番とは一致していないことも良くしられた事実。

なので順番にさらっていくといきなり難しい曲に遭遇してそこで挫折するという罠。

そのあたりを周知している先生ならさらう順番から指導することもできるけど、そうでない先生はそれ以前の教材と一緒で順番にさらうというスタイルを生徒に押しつけることになって責任はすべて生徒に。

そういう意味でチェルニー信仰の厚かった日本やその周辺国(中国や韓国)でどれだけ若いピアニストの芽を摘んでしまう不幸があっただろうかと。

そうした最新事情を知ることができ、現代の視点でチェルニーの活用方法とかを考えるのに役立つ本。

本当の「チェルニー100番練習曲」は昨年末に取り寄せたこちら



チェルニーという人は幼くしてピアノの才能に優れ、幼少の頃からベートーベンに師事したので有名。ベートーベンの「皇帝」を初演したのもチェルニーだということ。それだけにピアノを知り尽くしていたので若くしてピアノ教師として生計をたてることに。

ピアノ教師の傍らに作曲や編曲も手がけて、必要に迫られて多くの生徒向けに練習曲を授業の終わった夜に同時並行して複数曲を書いていたという話。ある曲を書いた紙のインクが乾くと、その上にまた用紙を乗せて続きを書くという具合。

作曲した曲数はバッハに迫る1000曲以上もあるとか。練習曲集はチェルニーが残した900近い曲集の一部に過ぎないのですが、それぞれの曲集の収録曲数が100前後なので大変な数。

リストも幼少の頃にリストの元に預けられて、チェルニーはその才能に驚かされて、正統な運指法を無償で教え、バッハも弾けるようになった頃にチェルニーは作曲を教えようとした矢先、興行心旺盛な父親に連れ戻され演奏旅行による興行の旅に出てしまったとか。

リストはその後若くして演奏家業を引退して作曲家に転身したわけで、チェルニーはその岐路に何らかの寄与をしていたのかも。

若き頃のショパンもチェルニーの元を訪れており、一緒に連弾をして手紙を書き残している。音楽的にはショパンは何もチェルニーから得るものは無かったものの、チェルニーは優しい人物だという印象を書き残しています。

チェルニーは生涯独身で、猫を沢山飼っていたようです。

チェルニーの弟子にはその後の音楽史に名を残す演奏家も多く、その血脈は延々とつながっているようにも見えます。

チェルニーの100番が終わると、次に控えているのが、

「チェルニー30番練習曲」



これは100番より難易度が高く、曲数も30曲と少ないですが、これで挫折する人も多かったようです。

日本の有名なピアニストの多くがチェルニー30番を幼少の頃に終わっているという事実もあり、その後の教授法で30番必須説が出ても不思議ではありません。

それにチェルニーはベートーベンの高弟子だっただけに、ベートーベンの曲のテンポの速さを肯定する立場でもあり、チェルニーの練習曲も高度になるほどテンポが高く設定されていることも良く知られています。

指定テンポで弾けるまでに練習するには時間が足らないので、大抵は7〜8割で合格みたいな感じですが、指定テンポで弾ける人が弾くと本来チェルニーが意図していた曲想が出てくるらしいです。

とりあえずそのレベルに達したら譜読みだけでもしてみるということで(;´Д`)

譜読みの教材が一杯出来た。

更に高度なものに40番とか50番とかあるぽいですが、今のところ何年先になるかわからないのでその時の楽しみということで。

チェルニーの曲には演奏会とかで弾かれるコンサートグレードの名曲は皆無なので、あまり聞いたことが無いというのもあります。

でも Youtube とかで偶然にもチェルニーの練習曲を全曲録音している音源をアップロードしている人が結構居ることも判明。

先に紹介した「チェルニー第一課程練習曲」も最初の予備練習曲から最後まで演奏したのがあります。



これを聞いたら、自分で弾いた時のと一緒だったので間違ってなかったと安心( ´∀`)

他にも取り上げた他のチェルニー練習曲集の全曲録音も見つかりますので、どんな曲なんだろうかと先に知りたい場合には参考になるかも。

あと市販のCDでもピアニストのエッシェンバッファが全曲録音したものがグラムフォンから出ていたと思います。バイエルも44番から全曲録音したものもあったはず。買ってないけどね。

んじゃまた。

P.S

そういえば先の Youtube で バイエルの音源を探していたら、イタリアの公立中学校では音楽の授業の一環としてバイエルを使用しているところが今もあるのね。

いろんな生徒さんがバイエルの練習曲をそれぞれ弾いているビデオがアップロードされていて微笑ましかったです。



そういう意味では短い期間に導入と基礎をさらうにはバイエルは未だに良い教材だよね。

年齢を問わずいいのが、自分が聞いたことが無い曲だという意味で新鮮に取り組める点。

聞いたことがある曲や有名な曲だと、乖離が激しいので耐えられないということがあるよね。
webadm
投稿日時: 2017-1-30 9:19
Webmaster
登録日: 2004-11-7
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投稿: 3088
Re: ピアノ教本
ふう、北国は大雪で大変ぽいね。

関東もまだ油断できないよね、3月に雪が降ることがあるし。

さて、「大人のための独習バイエル(下)」のステップ1がまだ終わらないでちゅ。

一部演奏時間が表示テンポだと10秒の2曲がやっとゆっくり最後まで弾けるようになったのと(短いから甘くみてた、大失敗)、最後の成果確認曲(モーツアルトソナタK.331のさわりの部分の易しいアレンジ)の途中でまだもたつく。

成果確認曲のモーツアルトソナタは自分の知っているのとリズムが違うので違和感ありありだったので良く部分練習しなかったのが敗因。原曲のシンコペーションが普通の6拍子になっていて、これじゃ無い感がぷんぷんするけど我慢して練習。

それ以外は少し遅いテンポで通しで弾けるようになっているけど、表示テンポに合わせようとすると、せっかく練習して獲得したそれ以外のすべての良いところが犠牲になるのが分かって、しばらく遅めのテンポで練習を続けることにしました。

テンポを優先して、それ以外をすべて犠牲にしていいということはあり得ない選択なので。

元々舞曲形式が多いのでテンポが速めなのは自然だけどね、メトロノーム値はバイエルの初版本には無いので、後生の校訂者が付記したものと思われるので参考程度ということで。

「大人のための独習バイエル(下)」では一応「一定のテンポで通して弾けること」とあるので、表示テンポで弾けることまでは要求していないかな。当然ながら速いテンポで音楽性を犠牲にせずに弾ければいいことにはこしたことないけど、そういう性質の曲ではないからね。

さて、相変わらず右手は疲労困憊気味でまだ親指の屈筋腱に不安が残りますが、指くぐりや1オクターブのアルペジオは短時間なら平気なので最初にやる基礎練習のメニューに復活させています。

ところが、これまで病気知らずだった左手君の親指の付け根に痛みを感じるようになりました。

む、親指を握って手首を左右に振ると痛みを感じます。これは有名なドケルバン症候群の症状(;´Д`)

急性だと思うので再度指くぐりと1オクターブのアルペジオをメニューから外すことに。

一週間したようやく痛みの不安から解放されました。

これからどんどん練習曲に新しいテクニックが登場するのに練習に不安が残ります。

そんなこんなで検索をいろいろしたので、よさげな本を見繕ってポチッと。

最初に読んだのは、以前から存在は知っていたけど注文するまでには至らなかった、

「ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと」トーマス・マーク ロバータ・ゲイリー+トム・マイルズ 小野ひとみ 監訳 古屋晋一訳 春秋社



ピアノの教則本には具体的な練習方法とかの説明はなく練習譜だけが紹介されているのが普通で、どう弾くかとかどう練習するかという説明は無く、レッスンを受けている人でも次のレッスンまでに通しで弾けるようにするために半ば試行錯誤でいろんなパッセージの弾き方を見つけるしかなかったり、弾き方や練習の仕方が間違っていて手や体を痛めたりするリスクが伴います。

実際そうして急性の腱鞘炎を重ねて慢性化して練習も出来ない状態に至ることもあるわけで。

そしてそうなったのは脱力が出来ていないからだとか、決まり文句が浴びせられます。

脱力できている人は優秀でそうでない人は落第者みたいな感じ。

ピアノ関係の書籍だと、「脱力」というのはキーワードのひとつで、それがあるかないかで売れ方に影響するのかも。

それでいて脱力とは何かということについては説得力のある説明はなく肩すかしな感じ。

手を故障したなら、それを直すのが先だろうと言われればそれまでだけど、原因が分からなければまた故障を繰り返すだけだよね。

以前練習を開始した当初に指が鍵盤の上を向いてしまう癖があった時のこをを書いたよね。

その時はたまたま自分で思いついた左手の指先を右手の甲の伸筋腱の上に乗せた状態で右手で弾いていて、指を宙に浮かす伸筋腱の緊張が発生すたら左手の指先ですぐに感じ取るようにしてそうならないように練習するようにしたら次第に何もしなくても指が宙に浮くことはなくなったんだけどね。

実は上の本を読んで、それが著者が読者に伝えたかった重要な点だということを発見。

つまり指が宙に浮くのは、以前書いた通り伸筋腱が緊張しなくてもいい時に緊張して屈筋腱がそれを元の戻そうと対抗して緊張するという伸筋と屈筋の同時収縮というのが故障の原因のひとつだということ。

そうなる原因は、ピアノを弾くという動きがそれまで経験の無い不慣れな動作であるため、運動神経系が混乱してそれまで記憶している誤った動作を指令してしまうため。また、大抵の人は指が動きは知覚できるものの、指を動かしている筋肉の場所や状態に関しては知覚できないため。

そうした狭い知覚や解剖学と整合しない誤った体の動きに関する認識を解消しない限り、間違った筋肉の動きや緊張は無くならず故障が絶えないことになります。

本書は著者が幸運にもアレクサンダー・テクニークの教師として長い経験を持ち、音楽家向けの教育プログラム「音楽家ならだれでも知っておきたい「からだ」のこと」を創始したバーバラ・コナブルのワークに参加して体得した彼女の「コナブル・ボディマップ」という考え方を紹介するもの。

ボディマップとは知覚地図みたいなもので、体のどこに何があってどこを動かすにはどこの筋肉や関節が関わっているかといのを正しく認識すること。

大抵の人は目に見える範囲でしか体の事を認識しておらず、骨や完結の位置については表面からは正確に知ることはできないので誤った認識をもったままというのが普通。

ピアニストでも指を動かしている筋肉がどこについているかというのを正しく言い当てられる人は少ない。

なので指が思うように動かない時とかは間違った認識のまま間違った動かし方で練習を重ねてしまい故障につながると。

本書では体の故障に関する予防的かつ間接的療法としての「コナブル・ボディマップ」の解説にとこまらず、間違った体の使い方を改めることによって演奏にも良い効果が出てくるという演奏の質を高める機能についても言及しています。

結局のところ自身のボディマップに関する誤認識は各人各様でそれを改めるの早道としてはコナブル・ボディマップに精通した教師の居るアンドブァー・エデュケーターズのワークに参加して個人的にレッスンを受けるのが良いようです。

そこまでいかなくても、本書を読むことでピアノ演奏や練習に潜在する体の使い方の誤用の危険性を多く学ぶことができ、それをとりあえず今日からの練習に活かし、自分で自身の誤ったボディマップを修正してより良い練習スタイルや演奏スタイルに変えていくことは可能だと思われます。

特に自分一人で分からないのは姿勢の問題や見えないところにある首や肩、背中の筋肉の使い方に関して自分で誤りを知覚することが出来ない点。

これに関して教師の手を借りて知るしかないようです。

もしくはビデオで録画して念入りにチェックするとか。それでも正しい使い方がどうなのか知らないとだめだよね。

一度でも練習中に手や手首の痛み、首や肩、背中に痛みが走った経験がある人は役立つ知恵が書いてあります。

特にはっとさせられたのが「尺側偏位」という習慣。これは解剖学的な詳しい知識が無いと気づかないよね。手首が回転するのは肘関節と手首の間をつなぐ尺骨と橈骨の二本の骨が交差するようになっているから何だけど、回転する関節があるのは尺骨だけで、橈骨は靱帯で繋がっているだけなので回転しないのね。

尺骨は手首の関節のところでコブみたいな突起があるのでそれとすぐわかりますが、橈骨にはそれが無いのでそれと明らかに異なります。

手首は手のひらの水平方向に左右に少し傾けることができますが、それが出来るのは霊長類では人間だけぽい。それも尺骨の関節のところに余裕があるためですが、「尺側偏位」というのは手首が常に尺骨側に傾いている状態のことを指します。

「尺側偏位」はちょうど見た目親指の先と肘を結ぶラインが直線に近くなる形に見えます。実はこれ、Youtubeとかでかなり上手な演奏をしている人の手がそうだったのでびっくりしたのです。

「尺側偏位」そのものは解剖学的に許容される動きですが、靱帯で繋がっている橈骨を引っ張った状態になるので肘関節側の靱帯にもストレスがかかった状態になり、肘を痛めるリスクがあります。

また手首を回転する際にも、親指主導(親指を回転軸の中心にする)で回転すると「尺側偏位」状態となります。

できれば手首の回転(ピアノではローリングと呼ばれる)は小指主導(小指の先と肘を結ぶラインを直線にしてそれを中心軸に回す)にしたいところ。

本書の元になったバーバラ・コナブル氏は経験の長いアレクサンダー・テクニークの教師で、以前からピアノの脱力に関する検索でひっかかったサイトとでも紹介されていたので知ってはいたのですが、難しいそうだったので本を買うまでに至りませんでした。

そこで意を決してポチったのがこれ

「演奏家のためのはじめてのアレクサンダー・テクニーク」石井ゆりこ著 



これはページ数も少ないし最初に読むにはよいかも。

著者はアレクサンダー・テクニークの教師で、アレクサンダー・テクニークの基本的な考え方を読者が自分で試して体感する具体的な方法を示し、その意味を解説しているものです。

アレクサンダー・テクニークが真っ先に重要視しているのが体幹と呼ばれる部分に無意識のうちに筋肉の緊張による有害なストレスが加わった状態になっていないかという点。

不必要な緊張が伴うと、それに拮抗する筋肉も緊張を強いられ(そうしないと姿勢が維持できない)二重に余分な緊張が強いられることになり故障の原因となります。

体幹は頭部と背骨とその間をつなぐ首、その周囲にある肩や腕と手、指、腹部や骨盤、股関節、大腿部、膝関節、足首、足をつなぐ部分から成ります。

姿勢を保ったり目的に応じて体を動かすための大事な構成要素。

演奏家は往々にしてそうした演奏をする上で重要な部分に関しては意識が届かず、良い演奏をしなければとか、観客の期待に応えなければとかという自分だけではコントロールできないことに意識が集中してしまって、良い演奏の妨げになることが多いというもの。

一日で読めるけど、書いてある体験方法とかを試すと良いかも。

さて、いよいよアレクサンダー・メソッドを知らないといけないよね。

ということで買ったのが、以前から存在は知っていた

「音楽家のためのアレクサンダー・テクニーク入門」ペドロ・アルカンタラ著 小野ひとみ 監訳 今田匡彦 訳



こちらは分厚い本で、監訳しているのが先に紹介した「ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと」での監訳者の小野ひとみ氏。

紹介したこれらの本はいずれも人気があり、増刷されていてそれだけ関心のある人が多いということ。

分厚いのと難しめの文章なので実はまだ途中までしか読んでいません。

それでもアレクサンダー・テクニークの重要な考え方のいくつかが丹念に実例を挙げていろいろな観点から説明されているので納得がゆくないようになっています。

既にわかったことは、悪い癖に代表される間違った体の使い方はそれ自身を改善しようとするのは無理な話で、行わないように「抑制」しその代わりに正しい体の使い方を覚えて置き換えるしかないということ。

確かに指が宙に伸びてしまう伸筋腱の不要な緊張は「抑制」する必要があり、代わりに押した鍵盤を元に位置に戻すために指を持ち上げようとするのではなく、鍵盤が自身で戻ろうとする力を利用するために屈筋を緩めるだけにするだけでいいわけ。

ページ数が多いのは、そうした具体例をいくつも挙げて多角的に理解を深めることを目指しているためで、要約だけではアレクサンダー・テクニークを紹介するには足らないということがあると思われる。

実際にはアレクサンダー・テクニークの教師のレッスンを受けてみないと読むと体験するとでは大違いということがあると思われる。

読む場合にはどんな解釈が出来るけど、体験は真実だから間違いは無いいよね。

残りを読むのが楽しみ。

これらの本を読んで、今の練習もむやみに早期に表示テンポで演奏できることを目標にするのではなく、やはり今まで通りに一定のテンポで易しく弾けるようになることを目標に設定することにしました。

速いテンポを得るために、他のすべてを犠牲にするのは失うことばかりで得るものは無いし。

んじゃまた。

P.S

Youtubeで久々に映画を見た後に、お勧め動画に日本のアニメソング専門にカバーしている人が居て、どうやらドイツの音楽学校で学ぶ音楽家の卵らしく試験の時期には更新が遅れるという事情があるみたい。



曲の最後の方に有名なクラッシック曲の一部をちょっと入れているけど、わかる人はどれだけいるかな?と解説に書いてありますが、これすぐにわかった( ´∀`)

以前紹介した筋の良い中学生の演奏で知った、ラフマニノフの前奏曲Op.3-2通称「鐘」だとすぐわかりました。

外人さんから寄せられているコメントを見ると、日本のアニメも世界中に影響を与えているけど、このアニメ曲の演奏も聴く人に影響を与えて、ピアノ弾きたくなったという感想を書いている人が少なからず居るというのもすごいよね。

こちらもアニメ曲をカバーして有名なロンドン在住の方の動画
グランドピアノの演奏もあるけど、分解したデジタルピアノというのも面白いね。



このお二人は以前クリスマス休暇中にドイツで一日だけ会ってアニメ談義してハルヒのアニメ曲のテーマで連弾即興演奏を録画しているのがありました。

webadm
投稿日時: 2017-2-6 5:06
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3088
Re: ピアノ教本
ふう、天気が良く乾燥して洗濯日和だね( ´∀`)

室温も適温に近くなってきた。

でもまだ油断できないよね、3月に雪が降るかもしれない。

さて、前回のお便りで「大人のための独習バイエル(下)」のステップ1のテンポが上がらない悩みを書いたけど、その後すぐにその原因が判明。

・デュナミークで強弱をつけようとすると手が強ばって指が鍵盤から離れる癖が出る→打鍵に余分なラグが発生する→テンポが上げられない
・手元のデジタルピアノのデフォルトのグランドピアノ音源の高音がキンキンして耳障り→体が過剰反応して強ばる→手の動きが鈍る

前者の癖は練習を始めた頃にあった癖と似ていて、指が強ばる感じなので、意識して指を鍵盤の上に置いたままにすることで緩和。

しかしこの時点で疑問が、果たして強弱を付ける術を身につけているのだろうかという点。

腕全体を使えば音は大きくなるけど、果たしてそれでいいのか、指だけだと、キーが底にぶつかって下部雑音が出るし、指にも衝撃が反射してくるので手が痛くなる。

後者は、遊びで他の音源を試してみたところ、ビブラートがクリアで耳障りで無いことが判明。

不思議と耳障りで無い音色だと、キーが軽くなった感じがして表示テンポで弾いてもキーの慣性モーメントが重く感じされない。

うれしくなって1時間ぐらい繰り返しメドレーで弾いちゃった( ´∀`)

それでも全然疲れない。

音色が演奏に影響を与えるのね。

そういえば手元のデジタルピアノはアンビニエンス・エフェクト機能があるけどデフォルトではオフな模様。

アンビニエンス・エフェクトを有効にすると、キーを押して離しても少し残響(エコー)が残るようになります。

リサイタル・ホールとか、コンサート・ホールを選ぶと比較的時間遅れの長いエコーがかかります。

ちょうどカラオケのエコーがかかった感じだよね( ´∀`)

エコーがかかるとキンキンする音でも心地良く聞こえるので身体が過剰反応をしなくなることを発見。

逆にサロンとか狭い空間を選択すると、遅延が短いのでキンキン音を増長する感じなのでソロ演奏には向かない感じ。セッションとかやるにはそれぞれの楽器が浮き出るようになるのでいいのかも。

ということで今度からは設定をリサイタル・ホールにして、少しデフォルトよりもエフェクトが強くかかるようにして練習することに。

良く言われることだけど、発表会とかで広いリサイタル・ホールのグランドピアノを弾くととても良い音がして気持ちがいいのと一緒だよね。

これで大半の曲は表示テンポで易しく弾けるようになってきた感じ。

一部演奏時間の長い曲とか、超短い油断していた曲とかでミスが目立つ感じなので、それを仕上げることに。

良く考えると、バイエルの44番から58番までは、右手のポジション移動はほとんど無いかあってもわずか。代わりに左手は8分音符が登場したことにより、それ以前よりも遙かに忙しくなって指拡げによるポジション移動も頻繁に出てくるので最初左手の人差し指の指先が痛くなったのは内緒だよ。

このあたりはバイエルが右手と左手のポジション移動を同時に持ち込まないように配慮している感じだよね。44番より前だと左手はかなり暇をもてあましていた感じだったけど、今は大忙し。

テンポを上げてくると左手がちゃんとしていないと右も崩れてくるというのが判明。

以前は片手で運指確認をするときに右手から初めていたけど、今度からは左手を先に念入りにやる必要があると感じました。

一番難しい曲は「大人のための独習バイエル(下)」独自のステップ終了確認課題曲で、こちらは右手も左手の同時跳躍やポジション移動が出てきます。

バイエル批判の中で良く言われるのが幼児には難しい指使いが出てくるというのがありますが、これはオクターブ行って戻ってくるパッセージがあるところだと思いました。

素早く弾くためには、跳躍するオクターブ下に指を拡げつつ、戻る先のオクターブ上にポジションにも指を置いておく必要があります。これはオクターブ指が拡がらないと無理なので、幼児にはきついかも。

もう少しで仕上がれば、次はいよいよステップ2です。

ステップ2で挫折しませんように(‐人‐)

さて、前回紹介したアレクサンダー・テクニック入門はまだ通勤中に読み終えていないですが、先の音への過剰反応とかに気づいたりしたのは、それを読んでいたからかもしれません。読み終えたらまた、いろいろ書きたいと思います。

今回はそれとは別の本を紹介。

「永遠のピアノ」シュ・シャオメイ著 槌賀七代 監訳 大港宗定、後藤直樹、坂口勝弘、釣馨 訳



バッハのゴルドベルク変奏曲の演奏で知られる在仏中国人ピアニスト シャ・シャオメイが自らの生い立ちと文化大革命の受難を乗り越えて40歳にしてピアニストとしてデビューした半生を書き綴った自伝。

隣国中国で毛沢東が指導した文化大革命の功罪は毛沢東無き後になってようやくそれが誤りであったことが公知となりましたが、長らくそれは正当化され、今だにそれが正しかったと信じて疑わない人が多いのも事実です。

物語の最初はまだ著者が幼少の頃の母のピアノとの出会いの微笑ましいシーンから始まりますが、すぐに文化大革命の嵐が家族の一人一人を襲うことになります。ここからが読むのが辛くなるところ、特に文化大革命の惨禍については映画とかで見知っているので、それを思い出すとなおさらです。

前半は北京での辛苦、後半は北京を脱出し北米へそしてフランスに渡り文化大革命のために果たせなかった初めてのソロリサイタルでデビューし今日に至るまで経緯を書き綴っています。

当時同じ北京音楽院に学んでいた学友の中には音楽家の道をあきらめた人も多く、音楽家としてデビューを果たし高い評価を得た物語は奇跡的でもあります。

そこにはやはり幼少の頃にピアノとの出会いと常にピアノと共に辛苦や困難を乗り越えて来られたからだと感じられます。

本書の最後の章はARIAと題されるように、冒頭の幼少の頃の幸せなピアノとの出会い、そして次々と現れる様々な困難や受難、幸運などを経て、最後は再びピアノとの再会と心身ともに一体となる至福が再現され、まるでバッハのゴルドベルク変奏曲そのものという感じがしました。

是非一読を、また演奏も堪能してください。

不思議とバッハのゴルドベルク変奏曲は1時間を超える長い曲ですが、繰り返し聞いても疲れません。

手元にはゴルドベルク変奏曲の楽譜はまだ無いですが、バイエルが終わったら取り組もうと買ってある、Anna Magdalena Bachの音楽帳にゴルドベルク変奏曲の最初と最初に現れる主題のアリアが載っています。

ちょっとさわりだけ弾いてみると、優しい子守歌のような調べにうっとりします。

バッハの頃の譜面はまだ現代の標準的な記譜法が定まる以前の時代に作成されたものなので、原譜のまま演奏するのは難しく、様々な修飾音や当時の演奏の仕方に則った演奏譜に翻訳して解釈演奏する必要があり、高度な知識と経験を要します。

それだけに様々な演奏家が独自の解釈による演奏を行っており、そららの多くが Youtube でも聞くことができます。問題は演奏時間が1時間を超えるという点ですね。でも疲れないから平気かも。

時間のあるときにゆっくり聞いてみてね。

んじゃまた。
webadm
投稿日時: 2017-2-12 4:19
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登録日: 2004-11-7
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投稿: 3088
Re: ピアノ教本
ふう、相変わらず寒いね(;´Д`)

ようやく「大人のための独習バイエル(下)」のステップ1が仕上がりそうな感じ。だいたい易しく弾けるようになった感じ。

ステップ1の44番から58番それにステップ1の終了判定曲を含めて16曲をメドレーで弾いて同時並列進行して仕上げるという他の人はやらない方法だったので、参考までに(参考にならないかも)具体的な練習方法や感想をまとめて書くね。

・44番 Moderato C-dur

オリジナルのバイエルでは連弾曲なんだけど、「大人のための独習バイエル」は独習用なのでプリマ(生徒用)の譜面しか載っていません。セコンド(先生用)の譜面は無いので、これだけ見ると基礎練習譜みたいな感じで味気ないけどね。

8分音符が初めて登場することで、一小節中の音符の数が4分音符までしか出てこなかった「大人のためのバイエル(上)」と比べ最大で2倍に増えることに。

これは超えないといけないひとつの壁なんだけどね。

たぶん今までの4分音符しか出てこない小節は自然に弾けると思うけど、8分音符が出てくる小節は弾けなかったりするよね。

8分音符のある小節だけ集中して部部練習すればいいのだけど、それでもハードルが高いという場合には、ハードルを従来と同じに下げてしまえばいいという逆転の発想。

8分音符の音型を一つおきに弾くことで間引いて実質4分音符の音型ぽくすれば4分音符の音型が易しく弾けるなら弾けるよね。

8分音符の音型を正確に弾けるのも大事だけど、もっと大事なのは全体を通して拍間隔が安定していて安心して聞ける演奏になること。

最初は全音符で一小節1音符、続いて音価が半分の2分音符になって一小節2音符、更に音価が半分になって4分音符、そして8分音符、それが終わると逆に音価が二倍に増えて、4分音符、2分音符、全音符、最後はCODA(集結部)でそれまで現れなかった分散和音の音型から成ります。

最初は口で1,2,3,4、1・・・と拍を数えて弾くのが良いよね。自分で口に出して歌えるテンポより速く弾く事は無理なので、馴れてきたら口に出すテンポを速めてみる感じ。

最終的には自分で拍の感覚がつかめてきて、口で数えなくてもそのタイミングが分かるようになるのでそれまでは自転車の練習の時につける補助車みたいな感じであまり最初から外れまくらないようにして、馴れたら補助車無しで出来るように。

メトロノーム機能があればそれを使ってもいいけど、あくまで自分の中で拍感覚がつかめるようにするための補助車という位置づけで、メトロノーム頼みでそれにひたすら合わせるというのは本末転倒。

テンポに関しても同様で、自分の中でテンポ感がつかめるようにするために、1秒の間隔を覚えて(拍間隔が1秒だと60BPM)、その半分が120BPMという具合で、大抵の曲は(ベートーベンとかチェルニーとか除けば)その間のテンポに収まるので。

口で歌うと何故か後の方になるにつれテンポが遅くなる傾向があるのよね。歌わないで自分の中の感覚だけで演奏すると最後までぴったりなのが不思議。やっぱり何かに合わせると大脳で判断して制御指令を出すという処理オーバーヘッドが拍毎にかかるので、積算するとだんだん遅くなるのかな。

ポジション移動はまだ出てきません。一度に沢山のハードルを作らないというバイエルの配慮が感じられます。

・45番 Moderato C-dur

44番はステップ1の曲の中では一番演奏時間が長く、91秒だったかな。譜面も2ページだし。

45番はそれより短く、譜面は1ページに収まっています。

しかし度肝を抜くのが、最初の小節から8分音符がびっしりの音列。

もしかしてこれはトリルというやつですか(;´Д`)

いやトリルじゃないんだろうけど、実質トリルだよね。

いきなりトリルの練習から始まりますか(´Д`;)

指が動きませんよ。

そこでなまくら流の練習方法をここでも適用。

音符を一つおきに弾けば余裕( ´∀`)

これを間引き奏法とでも名付けようかな、このアイデアはデジタル信号処理の根幹であるサンプリング定理やデシメーション(間引きサンプリング)から来ていると言っておこう。サンプリング定理は如何に情報量を損なわずにサンプリングを間引けるかということを数学的に裏付けたものだよね。打鍵を間引いても曲のもっている情報(曲想)の大部分を失わないで済むならその方が易しく弾けるはず。

ちなみに手元の「大人のための独習バイエル(下)」の45番の譜面は以下の写真の用に練習用の書き込みで一杯。



以前にも同様の書き込みがしてある別の譜面の写真を紹介したけど、特徴的なのは、低音部と高音部の音符がペアで線で囲んであるとこと。

これがなまくら流練習方法で間引いて弾く音符なんだよね。

線で囲んでいない音符は譜読み後の初期の練習段階では休符扱いします。つまり弾かない。

線で囲んだ音符だけを一定のテンポで音価と拍を守って弾いていきます。既に4分音符までの音型なら楽に弾けるようになっているので、それは出来るよね。

部分練習もそんな感じで最初はやって、拍と運指が馴れてきたら、弾いていない埋め草(経過音)を入れて弾くようにします。

この練習方法のメリットは曲想を可能な限り失わない状態で譜読み直後から最後まで通しで弾けるという点。

良く知られた練習方法は難しい部分から部分練習して、周辺の小節と合わせてつないでいくというもの。それはたぶんもっと大曲とかで難しい部分が沢山ある時に必要かも。

これもポジション移動はないね。

・46番 Comodo C-dur

これは以前にも出てきた主題の変奏曲だとすぐわかるよね。

中間部に難しいフレーズが出てくるので、いつもここでミスるよね。

これも8分音符が多いので、最初は間引き奏法で全体の流れを覚えます。それが易しく出来るようになったら、すべての音符を弾くようにします。

これも繰り返しを含めると演奏時間が1分を超えます。

ポジション移動があるのは左手だけで、右手は固定ポジション。
ポジション移動といっても実質は親指はGの位置のままで、残りの指を左にシフトする形に1指と2指の間を拡げては戻す感じ。

・47番 Moderato C-dur

これも右手が8分音符の連続で忙しいけどポジション移動は左手のみ。

左手はGのポジション、右手はCのポジションと違っています。

左手のポジション移動は、一カ所だけ1指と2指の間を拡げて1指でEを弾く時だけ。

・48番 Allegretto C-dur

3拍子の舞曲様式。シンコペーションを伴った良く知られた音型で始まります。この音型はステップ1の終了判定曲として著者が採用したモーツアルトのピアノソナタ K.331の第一楽章のテーマに使われていますが、著者は48番と重複するのを避けたのか、この音型を使わない形にアレンジしています(ハードルが一つ減って簡単にしている)、それで自分の知っている K.331と違うと違和感を感じたのでした。

でこれが結構テンポが速いと難しい(´Д`;)

著者は練習へのアドバイスとしてこの曲のために1ページを割いています。それぐらいハードルが高いという認識があるのでしょう。

さすがにこれには音符間引き手法は使えないので、この音型をしっかり覚える必要がありました。

右手はポジション固定でよく、左手だけ1指を固定して残りをひとつ左シフトして戻すだけ。

・49番 Allegretto C-dur

テンポの速いMinuetという感じ。バイエルは練習曲に曲名や様式について記述していないけど、これは主題の音型からしてMinuetそのもの。バイエルのMinuetと呼んでいいかも。

アンナ・マグダレーナ・バッファの音楽調には作者不詳のMinuetが沢山記載されているけど、その中でバッハ作として流布されていた一部の曲が実はChristian Petzold作のものであることが近年の研究で判明し、手元の版ではそのように修正されていますが、長い間バッハのメヌエットとして子供達に愛弾されてきたので、まだバッハのメヌエットと紹介されているものも見かけます。

これを弾いた時に真っ先にChristian Petzoldのメヌエットを彷彿しました。

これも右手は固定ポジション、左手が今度は5指と4指の間を指拡げする形で5指を固定して残りを右シフトして戻したり、逆に1指と2指の間を指拡げして1指を固定して残りを左シフトして戻したりの組み合わせ。

結構左手が忙しいので、ポジション移動のタイミングを逸すると致命的な事故に(´Д`;)

舞曲なのでテンポは速めだから大変。

・50番 Comodo C-dur

またしても右手が8分音符の羅列でトリル状態(´∀` )

これも間引き奏法で全体の流れをしっかり覚えます。

右手はポジション固定だけど、左手がいつも通り指拡げとピボット指を除くポジションシフトの繰り返し。

ポジション移動が内右手は速いテンポに遅れないように、すべての指を鍵盤の上に乗せた状態にしておくのが吉。といっても固くなってはだめだけどね。

・51番 Moderato C-dur

4拍子の歌曲。

子供のコンクールに向けた練習風景を撮影した動画で、BGMで弦楽四重奏に編曲されたバイエル51番を流してそれに合わせてピアノを演奏しているものがあることを発見。ということはバイエルの曲を弦楽四重奏で演奏した音源が存在するということか。これは以前抱いていたバイエルのオリジナル曲は元々は弦楽四重奏向けに書かれたものではないかという仮説を後押しする。



少しテンポは緩いけど、今まで登場しなかった右手と左手のポジション移動が出てきます。

それとこの動画ではBGMでシンフォニーが流れていますが、昔バイエルの曲をシンフォニーに編曲して録音したLPがあったそうです。今もあるのかな。

著者が「難しい曲です」と注記しているように、ハードルはそれだけではなく、以前紹介したチェルニーの第一課程練習曲の最初に出てくる練習曲みたいに、指を一本ずつ移動する「にじり寄り」と称するポジション移動が中間部に出てきます。

この曲は4拍子の歌曲様式。中間部の難しいフレーズを弾いていてすぐにドイツ語の「グーテンターク(Guten Tag)」がぴったりの歌詞として思い浮かびました。

以来そこを弾く時は「グーテンターク♩、グーテンターク♩」と心で歌うようにしています。そうすると面倒なパッセージも楽しく練習できるよね。

続きの旋律にもバイエルは何かかしらの歌詞を思い浮かべて作曲したと思うけど、何か良いかな。そんなことを考えながら練習すると良いかも。

これも8分音符が多いので、間引き奏法で練習すると全体の流れが掴めます。

ドイツ語を旋律からすぐ思いついたのは学生の頃に第二外国語としてドイツ語を学んだことがあるから。もうほとんど覚えていないけどね、あのときに使ったテキストは今も販売されているのかな、外人さん向けの速習用のテキストだったけど、かなり内容は充実していたよね。同じシリーズにフランス語とかあるといいな。今度探してみよう。

後で知ったけど、日本では結構ポピュラーだったらしい、Youtubeでいろいろな人のバイエル演奏動画を見てたら、お宝画像発見(´∀` )



誰が歌詞を付けたのだろう、編曲は誰?、そしていつの頃のだろう、歴代のNHKの歌のお姉さんのお一人かな。

検索して調べたら、有名な歌手・声優さんで、子供の頃大好きだったアニメ「紅三四郎」のオープニング主題歌がデビュー曲、しかも同年代だった(´Д`;)

紅三四郎

子供の頃を思い出した、懐かしすぐる(ノД`)シクシク

歌詞の方は既に絶版になって中古本にはプレミアが付いているけど、「うたおうこどものバイエル(全3巻)」中田喜直、谷川俊太郎 監修、川崎洋、中川ひろたか、木島始、阪田寛夫、まど・みちお、楠かつのり 作詞
しか考えらないね。

小学生の頃に習った「めだかの学校」や「夏の思い出」、テレビ時代にヒットした「雪の降る町」などの代表曲で知られる作曲家。

谷川俊太郎は詩人であり翻訳家でもあり童話作家でもあり、作詞家として活躍した人。個人的には子供の頃釘付けになって見ていた「鉄腕アトム」や「ビックX」の主題歌の歌詞が今も記憶に残っています。

作詞を担当された方々は皆驚く程の巨匠ぞろい。一番若かった、楠かつのり先生のwikiページからこの本の存在を知りました。先生が担当した曲の番号からすると、51番の作詞は他の方らしい。

中古本が手に入ったら誰の作詞だかわかると思うけど。

さて話を戻そう。


・52版 Allegretto C-dur

今度は6拍子だけど、Allegrettoなのでテンポの速い舞曲。最後が弱拍で終わる女性終止なのでポロネーズかも。

先の48番のメヌエットよりはリズムは易しい感じ。

右手のポジション移動は無く、左手のみ、その代わり左手が忙しい(´Д`;)

これも間引き奏法で2拍だけ弾くようにすれば楽に全体が掴めます。

最後が休符なので最後の音をちゃんと切るようにだけ注意。

・53番 Moderato C-dur

8小節だけの短いマーチかな。マーチは行進曲で歩行に合わせた2拍子が普通だよね。当時は貴族が儀式中に宮廷内を行進する際にマーチが演奏されたみたい。

演奏時間は10秒程度だけど、右手が小節の弱拍から始まるアウフタクト(指揮者が指揮棒を下から上へ向けて振ることに由来)なのでちょっと馴れないと戸惑います。

小節の最初が休符なので、その直前の音は必ず切るために手を少し鍵盤から持ち上げ、同時に次ぎに弾くキーを狙って手を下ろし弾く感じ。

マーチなので切れの良い演奏にしないといけない感じ。

途中左手の跳躍(leap)が出てくるのもハードルを高くしています。

狙いが狂うと大惨事に(´Д`;)

テンポは速めだしね。

未だにこの曲は演奏に20秒近くかかるのが目下の課題(´Д`;)

一種の対位法技法で書かれた曲かも、右手と左手がシンクロするタイミングが少ないので間引き奏法が使えない、これが苦手だということはバッハも苦手になる可能性大。

・54番 Comodo C-dur

これも2拍子のマーチ。今度は左手がアウフタクト。

これも対位法技法の曲なので右手と左手が同時に打鍵するタイミングが少なく間引き奏法が使えない(´Д`;)

左手の跳躍こそないけど、最後にオクターブ上を弾くのに右手の1指と5指の間を拡げる必要があります。

指が届かないと最後残念な結果に(´Д`;)

・55番 Moderato C-dur

久々に長い曲。演奏時間は1分を超えます。

4拍子なので歌曲かな。

ドイツ語だとどういう感じの歌詞になるのかな、結構元気の良さそうな歌詞が合う感じがするけど。モーツアルトのオペラに出てくる歌曲を彷彿するよね。日本でもコマーシャルに使われたことがあるので良く知られているやつ。

これも右手はポジション固定で良く、左手がポジション移動と跳躍で忙しい感じ。

左手がちゃんとしていないと右手が合わなくなるのでかなり練習が必要でした。

音符を間引く方法が全体の流れを掴むのに使えます。

バイエル初版本には後生の編集者が追記したアーティキュレーションに関する記載は一切ないが、「大人のための独習バイエル(下)」ではこの曲も含めてlegatoの指示が記載されている曲が複数あり、44番とかはもっと強い sempre legatoと書いてある。legatoの指示がなくともほぼ全域にフレージングスラーが記載されていたりする。

実際に丁寧なlegatoで弾くと譜面には出てこない意外な響きが中間部で現れるのにびっくりした。

普通に単純 legatoなら音は重ならないが、丁寧なlegatoだとちょっと重なる瞬間があるので、高音部と低音部の重音が重なって一瞬だけ和音が生まれる。それがドローン音(虫の羽ばたき音)になって現れるわけである。

たぶんこれは意図しない響きなので、普通に単純 legatoで弾くべきだろう。実際 youtubeにアップされている演奏ではそうした響きを耳にすることはない。

こうしたドローン音を意図的に使う機会が今後あるかどうかは謎。

デジタルピアノだと厳密に音が重なるので最初なんかソフトのバグかなと思ったりして、いろんなエフェクト機能をオフにしたりしたけど変わらないので最終的に前の音と重なっている瞬間があるためだということが判明(単純 legatoで弾くと発生しないため)。

legatoは難しいね。

・56番 Allegretto G-dur

またしてもテンポの最速な3拍子の舞曲。

調音記号は無いけど、G で始まり G で終わっているので G-dur なのは確か、F#は弾かれないので省略かな、上巻でも結構 G-dur な曲があったよね。

前半は右手と同じ音型が左手でも繰り返される対位法的な様式。

これも音符を間引くと、4度圏内を登り下りするスケールが現れます。

最後の終結部も梅草を除いて間引いて要の3拍部分だけ弾く練習をすれば無駄に失敗を重ねることもなく覚えられます。

・57番 Allegretto G-dur

これも3拍子の舞曲。

右手と左手の同時ポジション移動があります。

これも音符間引きで3拍子のところだけ弾くようにすれば全体がつかめます。

ここで初めて曲の途中で音の強弱を変化させるデュナミーク記号が出てきます(それ以前にもあったけど曲の最初だけで途中で変更が無いので意味がなかった)。

中間部の繰り返しのところで、同じ2小節が繰り返されるのですが、2度目はpなので弱く、すぐにまたfに戻る感じ。著者は2度目は最初のこだまだと思ってと書いてあります。

このデュナミークの指示はバイエル初版本から記載されているのでバイエルの最初から意図したものだと思われます。

Youtubeにいろんな年齢の人がバイエルの演奏動画を載せているけど、みんなちゃんとこの曲のデュナミークは守っているね。

・58番 Moderato C-dur

「大人のためのバイエル独習(下)」の58番はバイエル初版本からあるものと同じ曲ですが、Youtubeにアップロードされている以下の模範演奏動画ではまったく別の曲が演奏されているので驚愕しました。



投稿されているコメントの中にも複数「58番じゃない」というのがあり、チャネルオーナーがそれに答える形で、使用したバイエル本の58番はそうなっているということでそのURLを載せていました。

その使用したバイエル本のURLを開いて見てみると、確かにオリジナルのバイエルの58番とは違う、題名付きの別の曲に差し替えられているのが判明。



驚愕したのは、以前紹介した「バイエル原典探訪」ではこの事実にはまったく触れられていなかったからです。

差し替えられているバイエル本の版は、「バイエル原典探訪」でも比較検証されているペーターズ版でした。

ということはペーターズ版にもいろいろ版があって、「バイエル原典探訪」の執筆陣が参考にしたものとは違う版があって、そちらでは一部の曲がオリジナルとは違うものに差し替えられているということだったのです。

確かに、他にも子供が58番を練習している動画でも、あれ、これ58番じゃないやというのがあるので、それも曲の差し替えのあるペーターズ版を元にしたものなのかもしれません。

こちらの動画はオリジナルの58番のもの。



それ以外に国内でバイエルと称している派生本は大幅にオリジナルから別の曲に差し替えられているのがあるので、まあそれは論外。

こちらはオリジナルと同じなのでほっとしたところ。「バイエル原典探訪」の執筆陣がバイエル直筆譜と比較作業をしているので安心できます。

これでステップ1の全曲終わりですが、「大人のための独習バイエル(下)」では終了判定曲として「ピアノ・ソナタ K.331 第一楽章」より(モーツアルト作曲)があって、オリジナル主題を短く易しくアレンジしたものが課題として載っています。

これははモーツアルトのピアノ・ソナタ第11番(トルコ行進曲付き)の第一楽章からとったもので、第三楽章が有名なトルコ行進曲でそれだけ演奏されることが多い。

主題の旋律はシチリアーナと呼ばれ、古くから知られているもの。バイエルも48番それを使っている。

オリジナルのシチリアーナを単純な3連符に変えてまで易しくアレンジされているとは言え、右手と左手の同時ポジション移動や跳躍があるため難しい。

これも初期の練習には音符間引きが有効。

ふう、これでようやくバイエルも折り返し地点まで到達。ここから先で挫折する人が急増するみたいなので気を引き締めてかからないと。

独自の音符間引き練習方法が今後も役立つかどうか見てみよう。

んじゃまた。






webadm
投稿日時: 2017-2-19 0:49
Webmaster
登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3088
Re: ピアノ教本
ふう、湿度が適度になって暖かくなったね。

南海の女王の湿った暖かい空気軍団に包囲されているからかな。北の雪の女王の冬将軍様は後退されたのかな。でもまだ安心は出来ないよね、3月に雪が降るかもしれず...


さて、以前紹介した「音楽家のためのアレクサンダー・テクニーク入門」をやっと読み終えました。

良く見たら本の題名も以前紹介した時間違っていた...orz



前半は音楽家向けにアレクサンダー・テクニークの教師が用いるレッスンの内容が具体的に紹介されていますが、同時にアレクサンダー・テクニークの基本的な考え方も丁寧に言葉を変え、様々な視点から繰り返し説いています。

登場する重要な用語は数多くあるわけではなく、それはいつも少なすぎると思う程。

・自己の使い方
・エンド・ゲイニング
・ミーンズ・ウェアバイ
・プライマリ・コントロール
・ずさんな感覚認識
・抑制(ノン・ドゥーイング)
・方向性(ディレクション)
・上向き思考
・モンキーとランジ
・椅子の背に両手を置く
・囁く”アー”
・テーブル・ワーク

最後の4つは代表的なレッスンに使われる方法で単独で解説されてはいるものの、常に最初の方の用語を併用する形で解説が行われている。

後半ではこうした基本的なアレクサンダー・テクニークの考え方と方法論を音楽家の日常的な練習や演奏そして日々の生活に至るまで応用していく。

後半を読み始めて、以下の核心を突いた一文を読んでこの本のすごさに驚愕した。

引用:
つまり、正しく演奏することを探求することよりも、正しく生きることを探求するほうが先にあるべきなのである。


この本が書かれた目的はその後に続く文に示されている。

引用:
日々の練習の本来の目的は、あなたの自己(総体)の使い方を探求することによって、あなたをより良い人にしていくことでなければならない。結局はそのことによって、あなたはより良い音楽家(演奏家)になることができる。


これは同時にアレクサンダー・テクニークは直接的に音楽家が抱える問題を解決するのではなく、間接的なアプローチで最終的には問題を引き起こしている抜本原因を解消する術を自らが獲得する手助けをするということを示している。

演奏上の困難や超えられない壁や難治な体の障害を解決するために藁をも掴む気持ちでこの本を読んでも直接的な解決方法はほとんど示されていないが、その代わり今まで気づきもしなかった視点で問題を見つめることが示される。

もちろん誤った練習や自己の使い方で体を痛めてしまった場合、体を休めてそれを治癒するのが優先であり、それに関してはアレクサンダー・テクニークはなんら直接的な解決方法を提供できない。しかし二度とそうした事態にならないように、そうなってしまったずさんな感覚認識に気づき、体に余分で有害な反応を引き起こしているエンド・ゲイニングに気づき、それを抑制する術を獲得し上向き思考と正しい方向性を与え最終的には総合的にバランスのとれた自己の使い方が出来るようにしてくれる。

おそらく著者が本書で伝えたい事柄のほとんどは文章では読者に伝わらず、読者もそれを身につけることは困難だと思われる。それが出来る最良の方法は、実際にアレクサンダー・テクニークの教師からレッスンを受けて、自己の感覚認識のずさんさに気づく体験をしたりすることから始める必要があると思われる。

最近はYoutubeでも国内のアレキサンダー・テクニーク教師がビデオでレッスンの内容を紹介している。

あくまでレッスンはそれを受ける人がアレキサンダー・テクニークを自分が正しく生きることに必要な感覚と術を獲得するためであり、それが間接的に練習や演奏上の困難や問題を解消するのに役立つことになる。

レッスンに興味は無くても、本書に随所に歴代の巨匠の言葉が引用されており、また後半の演奏家向けの応用に関しても斬新な練習方法とかはすぐにでも試して見たくなるかもしれない。ああ、こういう方法もありなのね、まじめに譜面通り弾くだけでなく、こういうアプローチもあったのねという具合に驚きます。

一回読んだだけでは、難しくて細かいところは忘れてしまうので、また時々開いて読み直す必要があり、それだけの価値がある本です。

さて、話は変わってピアノの練習の悩み編(´Д`;)

一応15曲暗譜して目をつぶってインテンポで弾けるようになったけど、悩みが一つだけあります。

それは以前も書いて未解決な問題、それは「丁寧に弾いているように聞こえない」という点。

テンポも拍感覚もちゃんとしているしミスも無いけど、つまらない曲にしか聞こえない(弾いていても、これもう一回弾けと言われたらやだ、という感じがする)。

15曲メドレーで一回だけ弾くという練習方法も、同じ曲を繰り返し弾いて練習するのが嫌だという理由もあり、その原因は自分で聞いていても嫌気がさして来るため。

そろそろこの問題を解決しないと、ゆくゆくは壁になって挫折する可能性大。

毎日ウォークマンとかで録音しているのですが、それを聞くとMP3で圧縮されているためか録音後に聞くと角がとれて聞きやすくはなっています。

デジタルピアノのデジタル(MIDI)録音だと再生すると演奏した時とまったく同じ音が出るので、ささくれた耳に痛い音がして二度と聞くもんかと思っていまう。チェックのため一回だけは通しで聞くけど、それっきり。

原因は何だろうと、Youtubeでいろんな人の演奏を聴くと、幼児や練習し始めの子や大人全般に共通するのは

・棒弾き

だということ。

小さい子とかは手や指が柔らかで全身を使って弾いているので可愛さもあって、棒弾きでも聞けちゃうのは不思議。

でも始めたばかりで年配の大人の場合は、手が固いということもあって自分と同じように聞くに堪えない演奏が多いです。

いろいろ分析したところ、大人で聞くに堪えない原因は

・フレーズが耳障り
・左右(伴奏とメロディ)の音量バランスが悪い

ということに。

もちろん譜面に書いてあるデュナミーク指示通りに弾いていたとしても上の問題が残る(それは譜面には書いてない)

前者は某弾きの延長上にあるため、ちょっとしたタッチのばらつきによるランダムに発生する音の強弱が一層際立つためと思われる。

後者は伴奏がメロディーと音量で競争して勝ってしまうことで生じると思われる。

もしくは左手の伴奏を基準に右手のメロディーを弾いていたりすると、どうしても右手の音が控えめになる。

Youtubeには教材用に録画された模範演奏があり、以前バイエル58番がペーター版では初版本と違う曲に差し替えられていたエピソードの時に紹介したチャネルがそれで、クラッシックの演奏で許容される範囲内でバイエルの練習曲が持つオリジナルの曲想を一層際立たせる演奏が聴ける。

その中で今練習している曲で他の素人演奏とかとは決定的に違うものを紹介。



特徴的なのは譜面上ではトリルの連続でしかない高音部がちゃんとメロディーとして聞こえるということ。フレーズもしっかり聴き取れる。それにテンポもそれなりに速い。

他にもペーターズ版では初版本から別の曲に差し替えられているものがあるのを確認。いずれもその旨のコメントが視聴者から投稿されている。確かに差し替えられた曲は悪くは無いけど、初版本のを弾いてほしかったというのはある。

他にもユニバーサルレコードからエッシェンバッファがバイエルの44番から106番まで演奏しているCDが出ている。そちらも買って勉強してみようかな。

先のYoutubeのビデオは北米のアイオワ大学のピアノ教育学のビデオ記録プロジェクトのものらしい。

とりあえずプロの先生方に一夜でキャッチアップするなんてことは無理なので、遠回りに歩みよることにしよう。模倣しようとするのはエンド・ゲイニングの最たるものだし。きっぱりそれはノン・ドゥーイングで行こう。

まずは手始めに、棒弾きと決別しないといけない。

それには普段の曲の演奏前に行う予備練習から心がける必要がある。

今は「Pianoprima Excersize」のグレード1とグレード2をやっているけど、今まで棒弾きをしていたので、今度からグラデーションを付けることにする。

最初はピアニッシモから真ん中の折り返し点でフォルテッシモになるようにクレッシェンドし、後半はデクレッシェンドして最後ピアニッシモで終わるように弾く。

これだけでも最初から最後までタッチを丁寧にコントロールする必要があるので今までのように惰性で弾くということが無くなった。

その効果はすぐに現れて、弾いていてもかなり心地が良い。

調子にのってハノンもその要領で弾いてみたら、なんか名曲に聞こえた(´∀` )

ハノンは一曲が長い(演奏時間が1分前後)のでゆっくりグラデーションを付けることができるのでやりやすいかも。

あとは左右の音量のバランスだけど、ハノンとかのようにユニゾンだとわかりにくいので、やはり伴奏とメロディーの旋律が明らかに違う曲がよさげ、これはバイエルの曲でやるしかないかな。

話はまた変わって、前回紹介した動画のバイエル51ばんの歌詞の件。

検索でヒットした唯一バイエルの曲に歌詞が付いたものということで、絶版になっている「うたおうこどものバイエル」全巻を中古で入手してみた。







第一巻には出版社名として「ばるん舎」と「草楽社」の名前が記載されているが、第二巻と第三巻では既に印刷済みだった「草楽社」は黒塗りされて消されている。何があったのだろうか、倒産でもしたのかな。秘められた黒歴史がありそう。

全三巻それぞれ表紙のイラストが異なっており、丁寧な作りなのだが、第一巻には別冊で歌唱譜があったみたいだけど、それは初版だけで、その後の版では省かれて無くなっていまったらしい。確かにそういう別冊が付いた例は他の児童向けの本では珍しい。

手元のは「1986年5月20日 第1版発行、1992年11月10日 第9刷発行」とあるので、6年間の間結構増刷された程売れたようだ。

時期的にはバイエル批判が起こった時期と重なっているので、バイエルが幼児向けのピアノ導入教材として用いられなくなった影響もあって絶版になったのだろうか。

それにしても作詞家の面々はすごい。

片岡 輝
片岡りあ
川崎 洋
木島 始
楠かつのり
阪田寛夫
谷川俊太郎
友部正人
中川ひろたか
中川いつこ
中田幸子
ねじめ正一
ぼく きょんみ
まど・みちお
峯 陽

これらの名前は検索するといずれも有名人。

各巻には監修者である音楽家の中田喜直氏と谷川俊太郎氏の序文が巻頭にある。

谷川俊太郎氏が、子供の頃にピアノの先生だった母親からバイエルで手ほどきを受けていたのはこれを読んで初めて知った。バイエルがつまらなくて止めたらしい。企画が持ち込まれた時に子供の頃の記憶を思い出したらしく、自らもバイエルの曲にいくつも詩を付けている。

期待していたバイエル51ばんは、動画のものとは似ても似つかぬことなる歌詞であることから、動画のものは NHKの番組スタッフかその関係者が独自に作詞したものである可能性が高い。

動画のバイエル51ばんは伴奏の編曲もされているものの、編曲者や作詞者のクレジットが一切画面には出てこないことから、番組内部でNHKのためにだけ行われた可能性が高い。

NHKの子供向けの歌の番組はいくつもあって、以前紹介した動画はその中で「うたえゴー!」という小学二年生を対象にした番組だったらしい。当然再放送もNHKアーカイブにも収録されていないので、Youtubeの動画はお宝映像ということになる。

先の「うたおうことものバイエル」そのものは子供向けのバイエル教本そのもので、第一巻、第二巻については譜面の中に歌詞が記載されているものも多かったが、第三巻では純粋に器楽曲がほとんどのため歌詞は巻末にまとめて記載されていて譜面の方はピアノ演奏譜のみ。

まあ手元にバイエル教本が1セット増えたということだけど、バイエル教本収集家になりそうで後が怖い。

さて、「大人のための独習バイエル(下)」のステップ1もグレデーションや左右のバランスが良くなったらOKとして次へ進もう。

んじゃまた

webadm
投稿日時: 2017-3-21 3:37
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登録日: 2004-11-7
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投稿: 3088
Re: ピアノ教本
ふう、だいぶ暖かくなってきたね(´∀` )

先日はまだ冬将軍が地表に居る感じで超寒かったけど。

まだ安心できないよね、春一番の大風が吹きまくって冬将軍を北に追いやるまでは雪が降るかもしれないし。

このところ土日もお仕事で出勤で疲労困憊ですが、出かける間と帰宅後にピアノの練習は欠かしていません。30分あればメニュー消化できるし。

朝は手が悴んでいるし体も強ばっているのでピアノを弾くコンディションとしては悪いけど、悪い状況でこそ弱点が出やすいので、それを解決していけば自ずと弾けるようになるよね。

さて練習の進捗方向は後回しにして、先に前回以降電車の中で読んだ本をご紹介しまちゅ。

「シャンドールピアノ教本」ジョルジ・シャンドール著 岡田暁生 監訳 佐野仁美、大久保賢、大地宏子、小石かつら、筒井はる香 共訳



この本は帯に書かれているコピーが本質を言い得ており、ピアノ演奏を学ぶ上で目標とすべきことが網羅して書かれている。

特に初心者向けのピアノ教本には具体的な演奏方法については運指番号とその他わずかのヒントを除いては解説されていないのが普通であり、それはピアノ教師からそれぞれ直伝されるものだとされてきた。

最初の導入レベルの5度圏の二声までの練習曲なら誰にも教わらなくても自己流でなんとかなるものの、初級レベルのポジション移動を伴うコード進行、アルペジオ、オクターブ、それに三声以上のポリフォニーになると困難に遭遇する。

著者は、冒頭で以下の様に言い切っている

引用:
演奏技術とはピアノの特性に合わせて諸動作をコーディネートすることである


これは以前紹介したアレキサンダー・テクニークの基本的な考えと一致している。

上手に演奏できるということは、上手に自身を使うことが出来るということである。

ピアノの練習方法については、沢山の本があるけど、「反復練習(Over and over again)」、「脱力(Relaxation)」を掲げる抽象的なものがほとんどである。

反復練習に関しては、それは部分練習とかでは確かに有効だけど、著者はそれに関しても以下の様に注意を促している、

引用:
練習は意識的にしなければならず、機械的に行ってはならない


幼くしてピアノ演奏に関して抜きんでた能力を持つ神童と呼ばれる人たちは、自分で自身の体の使い方を意識しているわけではないし、理解しているはずもない。

神童達は生まれながらにして、自身を意図した通りにコーディネートする能力が抜きんでているのかもしれない。

普通の人は、なかなか思うように自身を使うことができないので練習が必要なんだけど、自身の使い方を意識せずに漫然と間違った弾き方を繰り返していても自然に改善されるのは奇跡に近いかも。

もちろん著者が述べているように、膨大な練習時間を費やせば、その人なりに、間違ったなりに自身を最適にコーディネートする能力が身につくかもしれないけど、普通の人はそんな時間を費やせないし、もっと短時間で済むのに無駄で天任せの方法で時間を無駄にする必要はない。

幼児の場合には、自発的に自分の練習方法を考えたり工夫するということは無理かもしれないので、教師が肩代わりすることになるけど、いつまでも肩代わりしていてはいずれ壁にぶつかる。

やはりある程度自分で考えられる年齢になったら、自発的に自分の練習方法や方針を決めて、短時間集中で結果をチェックし一定の期間で成果を踏まえて練習方法や方針を見直す自助努力が必要になる。

また間違った練習方法や方針で漫然と練習すると身体が故障するリスクについても著者は予め警告している。

引用:
筋肉の緊張が持続すると疲労や故障の原因となり、痩せた音が出る


大人向けのピアノ入門書とかは、熱錬歓迎ムードの内容が盛りだくさんだけど、幼児のように柔らかい体ではないので、練習によって身体が故障するリスクが高い。

私も初期の頃にハノンを弾くだけで、指の屈筋と伸筋が同時に緊張するという意図しない身体の反応で右手を痛めた経験がある。その原因も自分で演奏時の手指の身体的な動きを良く観察できたことで練習方法を工夫して最終的にはその悪い癖を消すことが出来たのだが、漫然と続けていたら、早々にピアノが弾けない右手になっていたに違いない。今では凝り固まっていた筋肉もほぐれて、元来の華奢な手指に戻りつつあり、左手と同じに元はフニャフニャだったことが解りそれはそれで残念。

未だにまだ謎の背中の痛みが長時間練習すると発生するので、それもおそらく身体の使い方がまずいか、背中の筋肉が緊張したままの可能性が高い。

痛みが生じるのはその部分の筋肉が弱いためで、鍛えなければならないとする古い教え方を否定し、代わりに弱い筋肉を酷使するのではなく、隣接する部位の強い筋肉とコーディネートして負担を減らすようにすべきだと説いている。

確かに指や手の周りに痛みを感じたら、それは指や手の筋肉が弱いからだとしたり、音が痩せているのは筋肉が弱いからだと断定するのは根拠が無い。

まだ指や手が小さく柔らかくフニャフニャな幼児ならともかく、大人の場合に筋肉が弱いというのはあり得ない。むしろ身体のコーディネートがうまくいっていないので、指や手だけに負担させているとかアンバランスな負荷状況でピアノを弾いているためだと説明された方が納得が行く。

Youtubeとかで幼児がピアノを弾いている様子と、大人の初心者がピアノを弾いている様子を見比べてみると、前者は背中から指先まで全身を使って一生懸命弾いているのに対して、大人は余裕で指先だけで弾いているという印象が多い。故障が発生しやすいのは後者の方であるのは確かだ。

冒頭では説明しきれない、ピアノ演奏技術の詳細が本書の大半を占める。特徴的なのは、身体の可動範囲を解剖学的に明らかにした上で最適な身体の使い方を図で示している点である。

個人的には若い頃に工業用の6軸ロボットの開発に従事したことがあり、その時に工業用ロボットが人間の身体の一部(主に胴と腕周り)の構造を簡略的に模倣していた。

ロボットの関節部に相当する部分で腕が回転運動をするようになっていたのを覚えている。

ロボット制御で難しいのは関節部の回転運動だけで、腕の先の物を掴む部分(チャック)を最短時間である位置から別の位置に移動させる場合、直線運動させるのがそう簡単にはできないということである。

そのためにベクトル計算を駆使して、それぞれの関節部の回転運動の速度をリアルタイムに制御して、手の先が直線運動をするようにするわけである。

人間の場合も同じで、単に指を下げるだけだと指先は指の根元の関節を中心に回転運動することになるため、円弧を描いて鍵盤を押すことになる。それだとベクトル的には効率が悪く、いくら速く指を動かしても円弧を描いて指先が移動するので、垂直方向への鍵盤を押す力と速度の成分が少なくなってしまう。

鍵盤は垂直方向に指で押すのが最も効率が良い。

著者も大きな音量を出すタッチの方法に関して、常に垂直方向に鍵盤に向けて指を下ろすようにと図解している。

前腕から先だけで鍵盤の上から振り下ろすだけだと、肘関節で手が円弧を描くことになるので手首や指先でそれを直線運動に直すのは容易ではない。むしろ上腕を回転させて肘の位置そのものを変化させて指が直線運動をするようにコントロールした方が容易である。

更に読み進めると、気になるアルペジオの弾き方について述べた部分にさしかかる。

そこで驚愕の内容が書かれていることが判明。

著者はこう言い切っている

引用:
親指は決して掌の下に持ってこない!


工エエェェ(´д`)ェェエエ工

アルペジオだけでなくオクターブのスケールでも、ポジション移動に伴ってレガート奏法の故に親指を掌の下になる指くぐり(英語Thumb Under)や指越え(Thumb Over)が当たり前だと思ってたけど、そうじゃない弾き方もあるのね。

この部分を更に引用すると

引用:
技術上の大きな過ちの一つは、親指を掌の下に持っていく習慣である。音階やパッセージを弾く際には大抵の人がそうするが、こうした広く行き渡った間違った習慣が、ピアノ演奏における問題の大部分を引き起こしているのだ。ムラのあるパッセージ・ワークや思わぬアクセント、手が痙攣するような感覚、ぎこちなさ、不確実さは、次のことによって引き起こされる。つまりひとたび親指が掌の下に置かれると、手の構えに違和感が生じるだけでなく、親指を垂直に下げるための筋肉を利用することがまったく出来なくなってしまうのだ。こうなると、手首で鍵盤を押し込むか、前腕で急いでなんとかするかせねばならず、そうすると必然的に衝突が−−つまりアクセントやむらのある音が出てきてしまうのである!


自分のケースでは、指くぐりの予備練習として親指を小指の根元まで持っていく反復練習をなんかで読んでまねをしようとしてみたら、他の指を曲げないと出来ないのに気づき、なんとか指を通常のフォームの状態で親指だけ小指の根元まで押し込もうとしたら親指に激痛が(´Д`;)

良く考えたら親指を曲げる腱は手首を通して前腕の肘の近くにある屈筋とつないでいるので、どうやっても腱が通っている手首の手根管を越えては曲がらないのでした。無理に曲げようとすると引っ張ろうとする屈筋腱を更に張力を加えることになり、結果として腱の付け根の部分に急性の炎症が発生したのでした。

急性の炎症なので、親指を掌の中に曲げる運動をしなければ屈筋も使用されないのでその状態で安静にして回復を待つしかありませんでした。1ヶ月ぐらいしたら炎症部位の腫れも解消して指くぐりも指越えもまた出来るようになりましたが、再び小指の根元まで親指を持って行く勇気はありません。

著者は演奏上の不都合な理由を挙げて、親指を掌の下に持っていく習慣を止めるようにと、それに代わる方法を詳しく教えています。

右手はド(1)→ミ(2)→ソ(3)と上昇方向弾く時に3の指は鍵を押さえたままで、1の指をその先にある上のオクターブのドまで持っていかないといけないけど、ソと次のドのインターバルは4度、左手で指くぐりするケースでは、逆方向のミ(3)→ド(1)のインターバル3度だけなので、短い距離で済むのよね。指越えはどちらも4度までなら平気で問題にならない。


確かに親指を決して掌の下に入れないという模範奏法を示しているYoutube動画がいくつもあることを発見。



こちらの先生は、スライドで詳しく方法を解説しています。

もう一人の最近の若いYoutube先生でも特別に Thumb Under を回避しているとか言っていませんが、模範奏法を見るかぎり、指くぐりしているようには見えません。



また別のYoutubeの先生も、指超えは使っているけど、指くぐりはしていないね。



指くぐりが面倒なのはどうやら右手固有の事情みたいだね。左手はアルペジオのアクロバットな指くぐりとかしても平気だけど、右手と見比べてみたら、右手と左手とでは事情が異なるのね(´Д`;)

Youtubeではいろんなピアノの先生がアルペジオの弾き方を紹介しているけど、中には言っていることとやっていることが食い違っている先生が居たり(特に素早くアルペジオを弾く時にはゆっくりと解説しながら弾く時とは明らかに違う弾き方をしている)。

こちらの先生は割と実用的で納得のいく感じの解説。



ポイントは手首を柔軟に使うことだね。手首を柔軟にして指くぐりと指越えを身につける練習方法も教えてくれています。これに似たアプローチは下の日本人の重松正大先生のビデオでも見た覚えがあります。



それでも素早くアルペジオを弾くとかの場合はまた別の難しさがあるのですが、それに関してヒントを与えてくれるのがこちらのビデオ。

こちらの先生は、スケールを弾く時も親指は絶対に掌に入れちゃだめ、伝統的に教えられている訓練や練習も間違いで必要ないと力説してします、



英語が分からなくても大げさなアクションで意味は伝わってくるよね(´∀` )

次の先生のビデオでは速いアルペジオの「投げる(Throw)」という弾き方を解説しています。なんか北米にはカエルが繁殖時期に道路を横断して車に轢かれてぺしゃんこになって、太陽の熱で焼かれておせんべいみたいになったのをフリスビーみたいに投げて遊んだりという思い出を枕に解説を始めています。



今まで読んだピアノ奏法の本でも、「投げる」という表現が出てきたのを覚えています。やってすぐに身に付くというもんでもないんだろうけどね。毎日ちょっとずつ何ヶ月も続ければ変化が出てくるのかな。

以前にもペダルの使い方で紹介した、 Ilinca先生のロシアンピアノスクールプログラムの宣伝ビデオから、スケールとアルペジオの重要性について紹介するものがあります。いつもながら、鮮やかな演奏には毎度のことながら聞き惚れます。最後の方でアルペジオを速く弾く場面が出てきますが、上から撮ったカメラでは親指は掌の下に全然入っていないように見えます、まか不思議。



名曲の数々で登場するスケールとアルペジオの紹介ですが、オクターブのアルペジオとかも入ってますよ先生(´Д`;)
最後の方でミスタッチはある種のシグナルだから自分でそれに気づいて精進するようにって言ってるね。

そんなこんなで本書の前半部は演奏の基本動作(身体の使い方)の詳しい解説で大変勉強になります。

後半はそれらの基本動作を演奏表現にどう結びつけるかの詳しい事例解説。

バッハ、ハイドン、モーツアルト、ベートーベン、ショパンやシューベルト、シューマン、等名だたる名演奏家であり作曲家の作品を事例として、特徴的な基本動作の使いどころを解説してくれています。

まだそんな曲弾けなくても、後学のために読んでおくべきでしょう。

とても簡単に内容をかいつまんで紹介することは困難なほど、内容が広範囲かつ深すぎます。

まったくもってピアノ演奏は奥が深いというのをまざまざと今から思い知らされます。

最後の方では公開演奏でのマナーや心の関係についても触れています。まったく至れり尽くせり、帯の表題にあるように百科全書そのものです。

訳者の解説もまた、大変勉強になる内容ですので、最後の方まで読まれることをお勧めします。

おそらく一回読んだだけではない、以前紹介した奥千絵子「ピアノと向き合う」、金子一郎「挑戦するピアニスト」などと共に曲に取り組む時には読み返すことになると思います。

次に紹介する本は、ちょっと趣向の異なるピアノの本です。もしかしたらピアノにこだわらず器楽の演奏とか共通すること。

「ミスタッチを恐れるな」ウィリアム・ウェストニー著 西田未緒子訳



ピアノ練習者から目の敵にされているミスタッチを恐れるなという意味にとれる邦題は、原題「The Perfect Wrong Note」の意訳ですが言い得て妙です。

練習中にミスは誰しも遭遇し、また公開演奏の場でもやらかす恐れがあります。練習中には大失敗してそこで止めてやり直しもできますが、公開演奏ではそれは公演の失敗を意味します(Showstopper)。

ちなみに Showstopper という言葉は若い時に読んだ、以前はDigital Equipment社の開発者でPDP-11用の同社のOperatin Systemソフトウェアである、RSX-11Mや、32bit 仮想記憶マシン VAX-11用のVMSなどのIOシステムを書いたカリスマプログラマで、後にマイクロソフトで現在のWindows-10に繋がる最初のWindows-NTの開発に関わったデビット・N・カトラーを主人公とするノンフィクション「戦うプログラマ」で知った。ちょうど演劇やダンスの舞台で事故をやらかして公演そのものが台無しにしてしまうような類いのソフトウェアに潜むバグは最優先で解決しなければならない類いのもの。ピアノ演奏でのちょっとしたミスは時と場合によっては、演奏停止のShowstopperになり得るので最優先で原因を究明し解決しなければならないわけである。

危険予防の観点からすると、大事故が発生するのには訳があって、それに至らないまでも普段から小さな事故が起きている場合には、それがいつかは大事故につながるというもの、所謂マーフィーの法則ですね(起こりえることはいつか起こる)。

導入段階でよくやるのがミスしたら、その演奏は無かったことにして、最初から弾き直すという悪い習慣。最初のミスは2度目でなんなくやり過ごせれば本人としては解決したものとして忘れてしまう。

Youtubeとかでいろんな個人の先生が共通して取り上げている練習でやらかす大間違いの一つに、ミスを見過ごすというのがあります。

公開の演奏の時にミスタッチしたからといって、そこで演奏を止めるのは大失敗を意味するので、とにかく最後まで弾き通すのが鉄則ですが、そのままそれを忘れてしまっていいということではないのですね。

初心者の心理として、ミスはあってはならないもの、無ければこしたことにないもの、というわけで何回か最初から弾き直していればそのうちノーミスで最後まで弾けるかもと願ってしまうわけです。

本書を読むことで読者は、著者の体験を通じてこれまでレッスンの場や個人の練習の場で当たり前のように思われていたミスに関する考え方を根本的に変わる追体験をすることになります。

ミスは忌むべき存在ではなくなり、自身の演奏技術や表現力の弱点を身体とピアノが共同して鏡の様に映し出した結果であるととらえ直すと、それは完成へと向かう貴重なヒント、示唆、啓示へと変わる。

ミスを恐れないことは、ミスを快く迎えそこから妨げになっている自身の弱点を明らかにして更なる研鑽の最短の目標とすることができるわけで、逆にいろいろな新しい表現の試みをすることが懸念なく出来ることになり、それを台無しにしているのはミス自体そのものではなく、それを引き起こす自身に内在する弱点の存在である。

本書の後半では、著者のライフワークとなった、アンマスタークラス(これも従来良くしられた伝統的なマスタークラスのアンチテーゼに基づいている)の内容の紹介。

著者がアンマスタークラスを主宰するに至るきっかけは、ピアノ教師であるエロイーズ・リスタットの世にもユニークな演奏指導ワークショップに参加したことであった。

本書の巻頭には、「エロイーズの魂に捧ぐ」の一文が添えられていることから、どれほど著者が彼女から多くの示唆を得たか想像できる。

エロイーズから著者が受けたレッスンは、伝統的なマスタークラスの方法とはまるで違っていて、演奏で表現したいことをピアノを使ってではなく、ダンスで手振り身振りで表現し、それを指導者がミラーリングと言って身体でそっくりそのまま真似をするというもの。

この体験についても著者は詳しく情景を記述しているので、その効能が従来のマスタークラスでは到底得られないものであることがわかる。

アンマスタークラスでは、ピアノ演奏の上級者が自分らしい表現を得るために壁にぶつかる際のブレークスルーをグループで互いにミラーリングを行うことで今まで得られなかったまったく別の感覚や視点での示唆を得ることができる。従来のレッスンの場では自身の殻や指導者の殻から抜け出ることは一切できなかったのが、出来るようになるという魅力がある。

本書は従来型の伝統的なピアノ演奏教授法にある潜在的な問題を明らかにするとともに、それを打開するひとつのアプローチとしてアンマスタークラスを紹介しているとも言える。

もちろん昔からピアニスト自身が壁を打ち破り成長してきた例も数多くあるだろう。それは恵まれた例であって、本書ではそうした何も心配の要らない人ではなく、従来型のピアノ教育の型にはまってしまって、牢獄から抜け出れないで居るその多大勢の人を対象にしている。

まずはミスを嫌って無視しないこと、あらゆる感覚や自身の反応が現状打開の鍵となる情報になるということに目を開くことから始めようというのかもしれない。前半部分は、それらのとてもよくまとまった解説になっているので、上級でない人でもとても参考になる。

著者は要所で、様々な興味深い本の引用をしていて、それらの本も読んでみたくなった。特に、米国人ピアニスト、エイミー・フェイの1880年出版の回顧録「Music-Study in Germany」にはフランツ・リストを始め彼女が師事したヨーロッパの巨匠の事が生き生きと当時のままの様に書かれている。リストは意外にもとても優れた指導者だったように読み取れる、確かにリストの愛弟子は、それぞれ皆個性があっても、共通の何かを持っている点でリストは自分の持っているものを教えるのではなく、弟子の個性を活かすことに腐心していたようだ。

さて、これまで紹介した本はすべからく海外の著者によるものだけど、日本にも同じように解剖学的な観点からピアノの演奏方法を研究した人は居ないのかと疑問に思ってしまう。

ところがふとしたことから日本人にも研究した人が居るというのを知った。

「幸せの旋律」石川康子著



話は時間順とは逆になるけど、この本を読んで日本にも解剖学的な観点を踏まえてピアノ演奏方法を見直したピアニスト、ピアノ教師が居るということを知った。

本書は現在もご健在な御木本澄子先生の伝記とも言える本。著者は、医学博士で医学研究の現場でひょんなことから先生とつながりを持つことになった、「原知恵子 伝説のピアニスト」の著者でもある。

御木本というと真珠で有名で、さぞかしセレブな内容なんだろうと勝手な推測と思い込みで読むのを躊躇していたけど、他に読む本が無くなって仕方なく読み始めたら、印象はまったく違った。

とても良く内容が構成されて無駄の無い御木本メソッドの発祥から現在までの経緯、そして先生の驚きに満ちたピアノとの出会い、そして大戦による帰国後の厳しくも御木本という類い希なハイソな境遇ならではの人間としての正しい生き方が描かれている。

以前に紹介したアレキサンダー・テクニークの本でも、良い演奏の前に、人間として正しく生きることが先にあるべきであるという内容を紹介したけど、まさに先生はそれを実践してきたのでした。

御木本メソッドが今日知られるようになった経緯も本書に脈々と書かれており、おそらくそれが本書の筋だろう。

時間順では逆になるけど、この本を買う前に見つけて買ったのが、次の本。

「正しいピアノ奏法」御木本澄子著



表題だけ見て買ってしまったのだけど、先に紹介した「幸せの旋律」を読まずにこれだけ読んでいたらきっと後悔していたに違いない。

2つの本は合わせて読むべきだ、先に「幸せの旋律」を読み御木本メソッドに興味がわいたら、本書を手にすべきだろう。

何故「正しいピアノ奏法」だけ読むのではいけないのかというと、それは本書の内容が極めて専門的な内容に終止しているからである。

本書は、先に紹介した伝記の中でも最後の方で出てくるけど、月刊誌「ムジカノーバ」に連載した記事を編纂して単行本にしたものである。

2004年に初版が出版され、2008年には第13刷と増刷されているので、とても良く読まれているということになる。

需要がある理由としては、ピアノの弾き手の身体は各人各様であり、大抵の人は演奏上で何らかの身体上の問題を抱えており、むしろ問題の無い恵まれた身体を授かる方が極めて希であるということにある。

先生が若い頃に心酔したコルトーも著書に自身がおよそピアニストには適さない手を持って生まれてきたと書いている。先にピアノを始めた姉の熱心な助けがあって、ピアノの道を諦めずに済んだと述回している。それだけに、コルトー版のショパン譜とかは演奏方法を隅々まで決して良い手ではなくても演奏する方法を研究した成果だと思われる。

同じように先生も音が弱いとデビューコンサートでの評論家の批判を生涯心に刻んでその克服の方法を求め続けたことが幸いしたと言える。

普通にアマチュアなら音が弱いと言われても、実際そうなのだから、それで良いじゃんとなりがちだけど、そうじゃなく更に良い演奏を目指すという上向き思考が、人間として正しく生きる道なんだよね。

さて、本書の内容に戻ると、先に紹介した、「シャンドールピアノ教本」のように解剖図とかが引用されて、手や指、前腕、上腕の動きに関する筋肉や腱の存在に関して説明されている。

これだけでも解剖学用語が沢山でてきて頭が付いていけないので、更にそれらの構造を踏まえた上で、ピアノを離れて自身の弱点を緩和する練習方法が紹介されていますが、長い経験と数多くの生徒を実験台にした膨大なデータに基づいているだけに、説得力はあるのですが、いかんせん言葉と静止画だけでは練習方法の詳細を読みとるのは容易ではないと実感します。

やはり御木本メソッドの教師に直接教わらないと間違って解釈して間違った方法で練習してしまう可能性も。

先生ご本人も単行本化の際に、最新の成果を盛り込んで構成や順序をわかりやすく変えて書き直そうとされたようですが、そんな時間もなく出来なかったと詫びられています。

今日なら、おそらくDVDとかで動画の方が伝えるのに適した内容も多いのではないかと思います。

中盤には、先生自らが考案し特許も取得してある、トレーニングボードの使用方法の詳しい解説があります。

実は時間順は逆になりますが、本書より先に購入したのが、「トレーニングボード」ですた(´Д`;)



箱には木製のトレーニングボード本体と付属の木製ボッチ(ネジで固定する異なる高さの2つと、付属の接着材でネジ穴が無い本体の表面に接着する6つ)と取り扱い説明書が入っています。

まずもってどう使えばいいのか取り扱い説明書を読んでもピンと来ません。

とりあえずオクターブが出来るようにするにはボッチは使わずに側面だけで出来るみたいなので当面はいいのですが。

練習の目的によって本体の使い方も様々のようです。特に右手と左手とでもネジ止め式の高低の違いのあるボッチの取り付け位置が逆になるので、右手用と左手用にそれぞれ一台ほしい気もします。

それと各指の矯正にはネジ止めではなく、接着材で自身の指の大きさや指先の位置に合わせて本体表面に専用のボッチを接着する必要があります。

すぐに解ったのはそこまでで、実際に各指の強化とかの仕方は取り扱い説明書に記載されていますが、読んでも良く解りません(´Д`;)

「正しいピアノ奏法」に書かれている内容を一読すると、目的とかそれをすると改善する理由とか理屈を理解できるので、トレーニングボードを使う際には、予め御木本メソッドそのものを理解している必要があるようです。

トレーニングボード自身の形状はピアノ鍵盤で標準化されている鍵盤の位置に合わせているので、ピアノを離れてもピアノと同じオクターブの距離を持ったトレーニングボードでオクターブのための指拡張の訓練が出来ることになります。

ピアノに向かわなくても自分の手や指の状態が良いか悪いかはトレーニングボードに手を当てていればはっきりする点がいいよね。

親指の関節が内側に凹むことがある仮性まむし指なので、それを長期的に解消できればいいなと使っています。

さて、ここまでで最近読んだ本のご紹介は終わり。

最後は目下の練習進捗報告(別に要らないんだけどね)

「大人のための独習バイエル(下)」のステップ1を先月終えて、今月からはステップ2に入りました。

ステップ2はさぞかし難しいのだろうと思っていましたが、ステップ1をしっかりさらったお陰か、意外に簡単そうに見えました。

見えただけなんだけどね(´Д`;)

実際初見で、片手だけだと弾けるけど、両手合わせると無理。

いつも通りゆっくり片手づつ通しで弾いて、両手で難しい箇所を個別練習。

今回もステップ2全曲をメドレーで練習するので最初は全部で45分ぐらいかかりましたが、2週目には30分になりました。

ステップ2ではステップ1までがんばったご褒美みたいに弾くと楽しい曲ばかり。

それもそのはず、ポジション移動が本格的に導入されたことによって、以下の作曲技法が練習曲に含まれるようになったことによります。

・転調

ポジション移動を使って任意の調の基音のスケールを弾いたりパッセージを弾けるので、転調を使った曲が入ってきます

またこれまでは右手と左手はそれぞれ同時期に一音しか弾かなかったので、和声の曲も2声まででしたが、片手で重音を弾けるようになると、もう片方が単音でも合わせると3和音を弾いたことになり、コード進行が弾けるようになります。

実際ステップ2では重音を使った曲が大半で、今まで登場することが出来なかった様々な和音やコード進行が登場します。

重音を弾くのは単音と違って同時に2つの鍵盤を押さないといけないので、馴れないと疲れます。身体のコーディネートが出来ていないので疲れるのね。後々3和音とかを片手で弾くようなったら大変。

それと曲の練習前に行っている基礎練習も、以前紹介した「Pianoprima Excersize」のlevel 2に入りました。

Level 2ではまるでバイエルの進捗と合わせるように、重音のパッセージや、3和音とアルペジオの簡単な登りと下りの組み合わせ、まだバイエルには出てこないけど手の交差とか。最初は難しくてできそうにないように思えたけど、ちょっと練習したら簡単ですぐ出来るようになりましたが、不安定なので level 0 や level 1の様に易しくできるようになるまでは期間が必要かと。

そういう意味では、バイエル以外の曲でも練習次第では弾ける曲が増えて来たのかも。そろそろ中断していた、「みんなのオルガンピアノ2」やバーナビ本とかも再開してみるかな。

詳しい練習曲の感想は仕上がった後に書くね。

んじゃまた。









webadm
投稿日時: 2017-4-17 21:54
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登録日: 2004-11-7
居住地:
投稿: 3088
Re: ピアノ教本
ふう、だいぶ暖かくなってきたね(´∀` )

でも今朝は急に室温上昇で体調わろす(´Д`;)

不快指数が高いと寝起きが悪くなるよね。

さて、前回のお便りからピアノの練習をサボっていたわけではなく、「大人のための独習バイエル(下)」のSTEP2の課題曲を含む15曲に取り組んでいました。

まだ仕上がっていませんが(;´Д`)

STEP1の15曲が仕上がるまで3ヶ月かかったから、今度もそれぐらい覚悟しないとね。

最初に取り組んだ時はSTEP1をみっちりしっかり仕上げていたので、どれも簡単そうに見えたし、曲も本格的なピアノ曲ぽくなって弾いていて楽しさが感じられるのですが、前回予想していなかったテクニカルなハードルがあることを実感。

・トリルとトレモロ

これは練習を始める前に掲げた重要な基本テクニックのひとつだけど、STEP1でトリルが出てきた時に苦手意識を感じたけど、今回はトレモロがテクニックの主体の曲がいくつもあります。それも単音ではなく分散和音のトレモロ。

具体的な事は仕上がった後の感想で書く予定。

あとはいつものようにそれまでの間に読んだピアノの本をご紹介。

ピアノの練習を始めた頃に紹介した角聖子さんの著書をもう一冊読みました。

「ピアノ力をつける」角聖子



STEP2で登場したトレモロにハードルの高さを感じて、バイエルのこのあたりで挫折する子供や大人が多いと聞くと人ごとでは無い気がしてきました。

昔流行語になった「老人力」赤瀬川源平を彷彿させる「ピアノ力」という表題に弾かれる世のおじさん方が沢山居られたのではないかと想像します。

といってもこちらが出版されたのは21世紀に入ってからなので、割と新しい本でした。たぶん「老人力」とは関係ないけど、なにかつながりを感じるよね。

内容は大人になってからピアノの初歩を初めて人知れず挫折して止めていく方々が少なくないのを知って、大人になってから初めて続けていくための心構えや指針は幼少の頃から始める子供に関するものとは違っていて良いという考えを示す内容です。

続ける事に意味があるのであって、努力して基礎から身につけるとか今更子供の様には出来ないので、大人ならではの楽しみを見いだしていくのが大事だと。

どうしても弾きたいけど、弾けないと壁にぶつかることもあるけど、大人なら自分で解決策を考えたり、ちょっと難しいところは寝かしておいて、他を仕上げるとかに時間を有効利用するとか揚げればきりが無いよね。

自分もバイエルで基礎をさらってから好きな曲に取り組むというオーソドックスなアプローチをしているわけですが、子供なら難の苦もなく数日で馴れてしまうテクニックも月単位で習得にかかるのが解ってくると、この手のハードルがこれからも終わりなく登場する気がするし、それをいつまで乗り越えていけるのだろうかと不安になる。

バイエルの上巻の導入段階を終えて、下巻のSTEP1をさらうと、なんとなくだいぶ弾けるような気がするのですが、目標とするレベルの曲の譜面を見ると初見ではとても弾けない難しい運指が必要だったりして、まだまだ道は遠いと実感するのでした。

それでも日頃の鍛錬の成果は確実に積み上がってきていて、今まで運指すらかなわなかったそれらの弾きたい上級の曲も、片手だけならゆっくり弾くことが出来るようになって居ました。

子供なら普通は教本の練習譜以外に発表会用の曲とかを同時進行する形で取り組むこともできますが、時間の無い大人の場合には、どちらか片方しかできない訳で、角聖子さん流では、大人は後者を選ぶのが続けるのに良いと勧めているように読めます。

聴き応えのある曲は何も上級向けの難曲だけではなく、最近ではそんなに難しいテクニックを使っていなくても、聴き手を惹きつけるポピュラーな曲とかが沢山あります。

それらは演奏時間こそ数分だけど、弾いていて癒やされる曲とか、聞く側も泣けてくる曲とかがあるので、いずれそれらの曲を紹介できればと思います。

次は、たまたまAmazonの紹介欄で見つけた最近出た本。

「エフゲニー・キーシン自伝」エフゲニー・キーシン




現役最高レベルの男性ピアニストの代表とも言えるエフゲニー・キーシンの半生と音楽に関する思いを綴ったエッセー集。

Youtubeとかでもキーシンの映像は沢山見ることができ、大勢の聴衆を前に物怖じせずに次々と難曲を披露していく姿はさすがというしかありません。リストの超絶技巧練習曲(有名な大練習曲とは違う)を現役で公演で弾ける数少ないピアニストでもあり、テクニックと表現力はしっかりしています。

生い立ちのところを読むと、幼少の頃からすごい練習をしてきたのかと想像していたらまるで違っていました。

まだ言葉がちゃんと喋れるようになる前から、普段聞いていた音楽を自宅のピアノで自然に弾き始めたのがピアノとの出会いだったようです。

まあ決定的に典型的な英才教育とは無縁の環境で、自ら自然に音楽を演奏することに目覚めたということでしょう。

今日では幼少の頃に自ら音楽を作り出す楽しみを見いだすためのリトミックというアプローチが注目されているのは、そうした数多くの神童の事例があるからなのかも。

というっても明らかに自分の子供を神童にするのを目的でお金を使うのはなんか違うと思うけどね。ただ、子供自身が楽しさを見いだせるならそれはそれで良い機会だと思うけどね。

幼少の頃にそうして自ら才能を開花させて周囲の者をして神童と言わしめた時期を過ぎると、掛け替えの無い女性ピアノ教師との出会いに恵まれます。

世のピアノ教師は沢山居るけど、優れたピアニストを育てた教師というのはさぞかし優れた人なんだろうと思うけど、実際に出会ってみないと解らないよね。

キーシンの場合は、教師の方が最初に彼に惚れ込んで、キーシンは遅れて次第に教師を好きになったと書いている(子供心に結婚したいと思ったとも)。

実際キーシンではないけど男性ピアニストで、最初に出会った女性ピアノ教師と結婚した例もある。

キーシン自身は、10代の頃に誕生会パーティに招かれた家族の娘さんと後に縁あって結婚することになったんだけどね。

ピアノや音楽以外にもキーシンの関心は多くあることが語られています。特に政治とかに関しては多くのページが割かれています。

キーシンが10代の頃にはまだロシア圏外に出ることは困難だったようですが、いろいろな人の縁で国外で脱出することが出来たようです。

そういう幸運というのも人の人生を左右するよね。

不運があったとしても、それにめげちゃいけないし。

現役最高のピアニストだけあって、自伝というには残り半分が足らないという感じがするけど、キーシンを取り巻いていた音楽事情や彼の音楽に対する姿勢みたいなものは色濃く伝わってくる。

そういう意味では他の伝説のピアニストの自伝には無いリアルタイム性というか、現実感が残る。

そう今同じ時代に生きて活躍している人なの。

次に紹介するのは、全然脈略も無いけど、以前紹介した「バイエルの謎」ぽい研究ねた本

「ブルクミュラー25の不思議」飯田有抄、前島美保




まだブルクミュラーをさらうのは先の話だけど、たまたま目にとまったのでポチッとして購入し、届いたので読んでみた。他に読む本が無かったので。

結果は、予想外に面白かった。

ブルクミュラーに関してはだいたい知っていたつもりでもここまで詳しく調べたりはしないよね。

確かに世界中でピアノを習っている人は導入と基礎が終わるとブルクミュラーかチェルニーどちらか選択、あるいはその併用とかになるみたいだけど、前者を選択する人は多いのは確か。

弾いていて楽しいのが続ける上でも重要だよね。例えテクニックや楽曲形式的には網羅されていないと解っていても。

ブルクミュラーに取り組みし始めてとか、以前弾いていたけどまた再開したという人にはこの機会に読んでみるといいかも。

普通はそこまで調べない、生まれ育ったドイツや全盛期以降のパリの足跡が調べ上げられています。

元々は音楽雑誌に連載された記事の単行本化ですが、それに至る雑誌上でのブルクミュラー特集記事の変遷とかも紹介されていて、是非ともそちらもバックナンバーを取り寄せて読んでみたくなります。

まだ、先月読んだ本は沢山あるけど、続きは次回。

著者はいずれも「ぶるぐ協会」メンバーですが、そういえば「ぶるぐ協会」に関しては以前に Youtube で以下の動画を見た記憶がありました。



トークコンサートとかも主催していたのね、名前だけの架空の組織ではなかったのね(´∀` )

しかも、今壁にぶつかっているトレモロの練習曲Σ (゚Д゚;)

んじゃまた。






webadm
投稿日時: 2017-5-8 0:06
Webmaster
登録日: 2004-11-7
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投稿: 3088
Re: ピアノ教本
ふう、なんとかトレモロの壁を乗り越えて仕上がりに向かっている感じがする今日この頃。

この年になると仕事の疲れが溜まるのが速く、疲れがとれるのが長くかかるよね。怪我や傷も治るに時間がかかるよね。

ピアノの練習も習熟に時間がかかるので、焦らず諦めずに毎日積み重ねる感じ、粘るしかないよね。

ことピアノに関しては一夜漬けとか集中特訓とかでの成果は期待できないので貴重な時間と月日を重ねるしかないよね。

さて、前回の続きでこれまで読んだ本をご紹介しまちゅ。

ピアノ演奏法の基本「美しい音を弾くために大切なこと」 中山靖子 著



帯に書いてあるように、戦前から日本で指導にあたって、ロシアには戻らず戦中・戦後と日本にとどまって骨を埋めたクロイツァー氏に師事し、その後海外留学でギーセキング、テーンベルクに師事した著者の演奏方法や練習の心得を自身が教える生徒向けに編纂した「中山靖子の勉強帳」をベースに、抜粋して単行本として出版したもの。

中級、上級またその上を目指す生徒やピアノの先生が想定読者になります。

ピアノを独学で始めた大人にも導入段階や基礎の練習で必要な事柄が先生向けに書かれているので、読んで役立つと思います。

基本のタッチやテクニックに関してもひとつひとつ指導の要点が書かれているので、かなりわかりやすいです。

驚いたのは、30年も前から小学校高学年の生徒やその親向けに配布していた「ピアノを学ぶ生徒の心得」の内容。「大学生になる頃までに身についておるべき事柄、及びそれらを達成するために御家庭に御協力をお願いする事柄」という一文で始まる内容でした。

以前にも書いたけど「人間として正しく生きること」を優先するようにピアノを練習することで生じる可能性のある無用のトラブルや困難を避けることができるように本人や親御さん向けのガイドという感じがします。

女の子なら当時こうした指導に従って育ったなら、当時としては理想のお嫁さんとして良い縁談にも困らないかもね。結婚しても自立心を失わずに良妻賢母として尊敬され慕われるのは確か。

本書の最後の章は「ピアノ演奏の伝統について」と題して、「私の師事した先生たち」という内容で著者のピアノ研鑽の経歴を時代順に紹介しながら、如何にして著者が様々な時代様式に対する演奏の伝統を学んでいったかについてまとめられています。それはまた師事した師匠のその後の消息についても触れることになり、師弟の関係が如何に人間的であり、得がたいものであるかについて感じさせられました。

独学している限りにおいては、決して得ることができないのが、師弟の人間関係だったり、そうした血脈のつながりだったりする。

比較的薄い本なのでボリュームが足らないように見えるけど、内容は決して薄くはないです。また余分なことは書かれていなく、良くまとめられているという印象を受けました。

次に紹介するのは最初海外で出版されているピアノ演奏法に関する書籍を調べている時に出会った本。日本でも日本語版があるか調べたらあった、でも絶版らしく中古本での購入になりました。

"Approach to Pianism ピアニズムへのアプローチ 音楽的なピアノ演奏法" 大西愛子 著



著者はカルフォルニア州立大で教鞭をとり、その頃に生徒向けに書いた本が、最初に見つけた海外で出版された英語の本「Approach to Pianism」が原題で、その後日本でも日本語版が出版されたのが本書ということに。

内容的には基礎を終えて更に上を目指す中級や上級の生徒およびその指導者向け。

もちろん必要な基礎的な演奏テクニックに関しても他書にはない斬新な視点での具体的な演奏方法に関する詳しい説明やガイドが記載されており、ピアノ練習を始めた大人なら読んでおいて損はない内容。

具体的な練習曲の例を挙げて音楽的に弾く場合の著者なりの方法をひととおり解説しているのが圧巻。

取り上げられている曲はショパン、バッハ、モーツアルト、ワルツ、エチュード、ノクターン、ベートーベンのピアノソナタ、シューマン、ブラームス、ドビッシーと中級から上級以上の曲ばかり。

これらの曲の演奏を目指す場合にも読んでおいて損になることはないと思われる。

もちろん表題にあるようにこれはあくまでも著者自身のアプローチであって、そうした弾き方しか無いというわけでもなく、人それぞれの解釈があって当然で、それを見いだすのは演奏者自身ということに。

本書の最後には、「エクササイズ」としてピアノを弾くなら覚えておいて損は無い指のストレッチ体操の仕方が紹介されている。中でもオクターブが届かないとか悩みの多い日本人向けに、指の間を拡げるストレッチ方法が紹介されています。

今まで親指以外の中手骨の間は靱帯で繋がっているので拡がらないと思っていたのですが、中手骨の間が1ミリでも拡がれば、指先の幅は更に拡大するので大きな違いになるということを知り驚愕。

大人になってからだと年月はかかるけど、毎日故障しない程度に指の付け根の間をストレッチして少しでも拡がるようにすれば良い結果が得られると思います。

また、日本人の悩みの種のマムシ指に関しても矯正方法が紹介されています。

第7章の「曲の学び方」ではユニークなアナリーゼと暗譜の確かめ方の方法が示されています。

最後の第8章「基礎ー教える立場から」

ピアノ指導者の観点からの基礎的な注意点や見逃しがちな点、なおざりにされがちな面について書かれています。

普通のピアノ演奏法の本では書かれていないような上級向けのテンポルバートや、高度だけど自然で音楽性を更に追求する秘訣とかも書かれており、初級者はたやすく真似をしてはいけないなと思うところもあります。

実際に同じアプローチで演奏している現役のコンサートピアニストが居ることも確かで、以下のYoutube動画で確かめることができます。



上のYoutube動画のコメント欄で炎上しているのは、本書で紹介されている楽譜上では同じタイミングで演奏するのが常識的なところで左手が右手よりちょっとタイミングが先行して弾いているアプローチ、そうしたアプローチに批判的な人が居る一方で音楽的にはあり得ると肯定する人とか賛否が分かれるところでもあります。私は自然で音楽性を損なわず高める効果があるので成功だと思いますが。

こうした演奏を目指すには必読の書かも。

代わって紹介するのは、現在は絶版で中古本で入手となった

"ピアノ・ノート「演奏家と聴き手のために」" チャールズ・ローゼン 著 朝倉和子 訳



知識人向けの本を出版しているという印象のある、みすず書房の本で音楽出版社から出た本ではないというところが味噌。

著者はバロックから近現代の曲をすべてカバーする数少ないピアニストの一人。そうしたピアノ演奏の第一人者が誤解を恐れずに自らの体験したエピソードや含蓄を共感できる人向けに書いたもの。

なのでピアノを教えるとかいうのではなく、身近らの経験で議論の種になりそうなエピソードをひとつひとつ取り上げて紹介している内容。

まじめなピアノ教育本ではおよそ誤解を招くので取り上げられない話題もぽんぽん登場して、素人的にも読んでいて飽きない。

第一章では以前も紹介した本で衝撃を受けた、親指の指くぐりに関する名ピアニスト Lipatti のエピソード。著者の親指は隣の人差し指の第二関節に届かない程短いため、指くぐりではずっと困難を感じていたとのこと。また手が小さいことで良く知られた名ピアニスト Hofmann のエピソードやその他別の手の悩み(指が太いとか手が大きすぎるとか)を持つ歴代名ピアニストが居ることを揚げて、ピアニスト向きの理想的な手など存在しないということを述べている。読者にとっては一種の安心材料だろう。

第二章ではピアニストと聴音の話で、ラフマニノフが汽船で演奏先に向かう間に「音の出ない模擬鍵盤」を使って練習していたというエピソードを枕に、ピアニストは自分の出す音を聞くことも鍵盤を見ることもなく演奏が出来るという出だしで、ピアニストしか知らないその良い点と悪い点の具体的な事例を挙げての奥深く興味深い話が続く。

そうやって内容を紹介したいところだが、ネタバレになってしまっても申し訳ないので、是非とも手にとってお読みください。内容は保証します。

ピアノ演奏が公開の場での一度限りのイベントだった時代から、録音技術が発明されて、レコードやCDそしてインターネットの動画とかで誰でも繰り返し同じ演奏を聴くことができるようになった現代ならではのピアニストのエピソードも興味深い。

現代ではデジタル信号処理技術が高度に発達しているので、録音した複数の音源(テイク)を切り貼りして最終音源に仕上げるということも常套手段らしいことを知る。それを最初にやったのがグールドだということも。

後半はそうしたプロのピアニストを巡る裏話というかエピソードで満載。

最後のポストリュードでは現代のピアニストならではのピアノの未来に関する憂慮を吐いている。クラッシック音楽を商業的に凌駕してしまったそれ以外の音楽ではピアノは中心的な役割を演じていないという事実。拡声器で音量を増大するロックなどでは屋外での演奏では生ピアノは用いられず、ギターがそれに代わってしまっている。若者はピアノではなくギターに興味を持つ。ピアノの居場所はだんだんと狭くなっていくのだろうか。

面白い。

次に読んだのが、ちょっと毛色が違うけど、古い時代の鍵盤奏法の定本。

"正しいクラヴィーア奏法 第一部" カール・フィリップス・エマニュエル・バッハ 著 東山清一 訳

かなり新しい本に見えるけど、同じ訳者の旧訳本が存在し、これは新たにファクシミリ原本から翻訳し直した新訳とのこと。



ベートーベンの生きた時代にドイツでは唯一の権威ある鍵盤楽器奏法の定本だということは著者名からして明らか。

著者は大バッハを父親とする次男。当時の鍵盤楽器として普及していたのが、今日のピアノが登場してから古楽器として忘れ去られいて近代になって見直され復元もしくは新たに設計製作されるようになったクラヴィコードと本書ではフリューゲルと聞き慣れない名前で呼ばれている、今日ハープシコード、チェンバロ、クラヴサンなどの名称で呼ばれる古楽器である。



当時ピアノを購入する際に下取りに出された古いクラヴィコードは焼却されていたが、名品が出てくるとこっそり倉庫に移して修復していたらしい。確かに良い音色のするものは同じものを作ろうと思っても材料とか製作者が得られなくなっては無理。

クラヴィコードにはフレット式とノンフレット式があって、前者はちょうどギターみたいにひとつの弦で異なる音階を受け持つようにしたもので、楽器自身はより小型になるけど、隣接する音は同時に鳴らないという制限が伴う。後者は鍵盤毎に独立した弦が張ってあるので、その制約は無いけど、鍵盤の数だけ弦が張ってあるので楽器自体が大きくなる。いずれも発音の仕組みは鍵盤を押すと、鍵盤の先にあるタンジェントと呼ばれる真鍮の板が弦を下から突き上げて弦を鳴らずので、ギターで言うハンマリングオンで弦を慣らすような感じで弦を指や爪で弾くのと比べると音量は小さい。弦は常時フェルト布で振動を抑えるようになっているので、鍵盤を押してタンジェントが付き上がった弦以外は共振しない。鍵盤を元に戻すと鳴っていた弦もフェイルト布が効いてミュートされる仕組み。

今では日本でも個人で製造されているらしい。これぐらいの大きさなら自宅に置けるね、買ってしまいそうで怖い。検索すると実際に購入して自分で組み立てた人の日誌が出てくる。調律も自分でやらないといけないぽい(現代ではスマホのアプリで便利なチューナーがあるのでギターとかと同じ要領で調律すればいい)。

一方でフリューゲルは語源が鳥の「翼」から来ていて、ちょうどチェンバロやハープシコードの形状が鳥の翼のような形状をしていることからそう呼ばれたらしい。検索してもそのことについては一切ひっかからないというのも驚くべきことだが。横浜フリューゲルズとかはひっかるが、語源は一緒だね。



厳密にはカップリング機構の有り無しとか鍵盤が一段か2段かとか、フリューゲルでもいろいろ違いがあるらしいけどね。

チェンバロを現代に復活させたのはピアニストのワンダ・ランドフスカで、結婚して夫から聞いた古楽器に興味を持ち、プレイエル社に特注して作らせてからピアノからチェンバロ演奏家になったらしい。



訳者の前書きには、この新訳の出た経緯や、かのベートーベンがチェルニーを弟子入りさせる際に父親にこの本を買い求めてチェルニーに持ってこさせるように指示した逸話がチェルニーの自伝から引用されている。

そうかチェルニーもこの本とベートーベンから運指法や装飾音の演奏方法を学んだのだということが確定した。

実はチェルニー自身は練習曲だけではなく、自ら編纂したピアノ演奏法の教本も作品番号付きで出版していることを後で知ることに。日本語訳も重要な巻については出ているので、既に取り寄せて読んで紹介する予定である。

ということはベートーベン自身も本書から多くの示唆を受けたに違いないし、チェルニーに師事した弟子もその流れを受け継いでいるに違いない。

そうするとチェルニーがリストに教えた運指法というのも、チェルニーがベートーベンとこの本から学んだものに基づいているということになる。

後でフランスのロマン派時代のリストとショパンの双方に師事した希有なロシア人が書き残したドキュメンタリー的な本があることを知り、その日本語訳も入手して既に読み終えている。これも後ほど紹介することに。

当時は楽器の奏法に関する教書はフルートとバイオリンに関してはあったものの、鍵盤楽器に関してはバッハのこの本が唯一。その後新しいものが登場するまではバッハのこの本が定本だった。

本の内容は教科書というものではなく、原題にあるように試論という意味合いが強く、現代的に言えば研究論文みたいな雰囲気がする。

それでも出だしから当世の鍵盤楽器奏者事情や教育事情の批判から始まってやおら面白く読み進めることができる。鍵盤楽器の普及が急速に進んで、インチキ演奏家やインチキ教師がはびこったことがうかがえる。

そうした状況を憂慮した著者が正統な運指法や装飾音の用い方や演奏方法に関してお手本を示す内容になっている。

当時の印刷技術の制約から、本文と楽譜を同じページに入れることができなかったので、原書では参考譜は別冊付録の形だったらしいが、今日ではそんな制約は無いので、本文中に参考譜面が納められている。ただし多数の練習曲(ソナチネ)はページ数の関係から収録されていない。

運指方法に関しては、当時採用されていたいくつかのアプローチがすべて紹介されて、最も一般的と思われるものを著者が推奨する形をとっている。また運指を決めるためのルール等も紹介されているのが特徴。

これを読んで、今日では練習曲に運指番号が記入されているのが生徒にとっては当たり前みたいなことになっているが、当時も今も運指は演奏者自身が最終的には考えて調整するのが正統というのが伝わってくる。

これを機に普段から運指方法に関しては念入りに点検することにしよう。

バッハが一般的として推奨している運指例の中には、今日では見かけない親指以外の指くぐりや指越えの事例が出てきて驚愕した。特に3の指で4の指を越えるとか、普通あり得ないし、どうやって弾くんだそれ(´Д`;)

しかし別の本で読んだのだけど、ショパンはその当時既に誰も使わなくなった運指方法を復活させた人らしい。確かに独特のレガート奏法の中に考えもしない弾き方があるのは知っている。

そんな感じで全調のスケールに関しても運指方法が詳しく議論されている。今日でも何通りか流儀が存在するのは知っているけど、そのどれか練習すればいいかと思っていたけど、やはりちゃんと根拠を自分で納得してやったほうがいいに決まっている。

ただ全調その調子で議論を読むのは少々疲れた(´Д`;)

後半はたぶん今日でもバロックや古典の曲に取り組む人は必読の装飾音の演奏方法に関する議論。

大バッファの時代の譜面を見ると、五線譜の上あたりに、ゴニョゴニョと這う虫みたいなジグザグ線が書いてある。それが装飾音記号であるが、演奏方法は原譜には記載されていないので、予め知っておく必要がある。

トリルもしくはトリラー、トレモロ、プラルトリラー、ターン、モルデント、最初に見てもなんのことか区別もつかないよね。

それらに関して詳しく具体的な曲を例に挙げて正統な弾き方が紹介されている。

たぶんに著者は演奏家や教師で、ある程度前知識があって、正統な根拠なくそれらを用いているという読者を想定しているのだろう。

初心者にとっては、最初にこれはこうとまとめがあってほしいところだけど、それは他書にゆだねるということだろう。

それでも読み進めれば、それらの違いや目的が明確になり、かつ具体例で良い例や悪い例(これが区別付きにくいので間違って覚えそう)を挙げて議論しているのがわかる。

だいぶ最後まで読むのに疲れるけど、バッハの時代の作品に取り組む際にまた読み直すことにしよう。

既に第二巻も買ってあるのだが、そちらは即興演奏とかかなりアーティスティックな部分に関する本なので他に読む本が無くなったら読んで紹介する予定。

次に紹介する本は、先ほど話題に出したロマン派時代のパリでリストとショパンの双方に師事したロシア人が書き残したノンフィクションドキュメンタリータッチの短編本

"改訂版 パリのヴィルトォーゾたち ショパンとリストの時代" ヴィルヘルム・フォン・レンツ 著 中野真帆子 訳



本書は改訂版とあるので、その前に初版本があったことを意味する。

薄い本だけど、内容は衝撃的なほど新しい。というかリストやショパンらが現れる映画の1シーンの中に居合わせたみたいなリアルな感覚を覚える。

本編はあくまで原書の翻訳と後書きにとどめ、訳註は付録として別に閉じてある。

今までだれもこんなにリアルにリストやショパンを描写できた人が居ただろうか。

まったくもって貴重で奇遇な本である。


リストとショパン、どちらも希有の天才音楽家で、独特の個性と繊細でひときわ鋭い感覚を持ち合わせていたのが否応なしに伝わってくる。

リストに生まれて初めてレッスンを与えたのが著者だと言わしめているところも興味深い。それにしては教え方がうまい。

著者がめげずにリストが重い鍵盤仕様で特注させたピアノと知らずに出だしを弾ききったところで、それまでソファーに横になっていたリストが起き上がって近寄って来て興味を示しレッスンを受けることが出来るきっかけとなったのがウェーバーの「舞踏への勧誘」という曲。



動画でも説明されているように、中村紘子さんがCMで演奏していたらしい、確かに中盤のところは記憶に残っていた。


著者がショパンの前で最初に弾いたのがリストから予め教わっていたワルツ Op.7-1という曲。



リストの紹介だったので、ショパンにリストの作戦が見抜かれてしまった場面も面白い。

ショパンは沢山の貴族の令嬢にピアノを教えていた。その中で曲を献呈した美人の一人でデュプレ嬢を見送る場面がある。献呈された曲が Noctune Op.48の1番と2番である。



1番はショパン弾きの定番らしいけど、2番を弾く人は少ないか、弾いても高い評価を得ている人は少ないと言うべきか。確かに音楽的に美しく弾くのが難しい曲な感じがする。



Youtubeではルービンシュタインがダントツでこちらのアラウの演奏がそれに次ぐ感じ。キーシンの演奏動画もあったが、遠くのカメラから撮影しているので音が良く聞こえない、残念。

著者がショパンにレッスンを受けるようになった頃に後に夭折した天才少年フィルチもレッスンを受けていた。リストはその少年が演奏活動をし始めたら自分は店仕舞いすると言う程だからすごい。著者が実際にレッスンに居合わせており、ショパン自身が言っているようにショパンより演奏がうまかったらしい。

著者がショパンから一生弾けないでしょうと断言された、物憂げなワルツという曲がどんな曲なのか知りたいが、作品番号は書かれていない。

検索したらいくつかそれに関するサイトがヒットしました。既に絶版になった本書の原本を資料のひとつに構成された「弟子からみたショパン」というフランスの本の日本語訳版があったそうです(絶版)。その中にレンツの著書から引用したショパンの台詞がそのまま載っていて良く知られているそうです。

ショパン:ワルツ 第3番 イ短調 作品34-2「華麗なる円舞曲」



Youtubeには沢山アップロードされていますが、ショパンが言ったように弾けている人は少ない感じ。難しい曲だなと思います。

改訂版と改訂前の初版があるらしいですが、著者が手にしていたのは初版で、ショパン自らが直筆で改訂版の異稿を書き込んだという話。他の弟子にも同じように書き込んだらしいので、その後の出版はその改訂が反映されたものとなっているようです。勉強になるね。

著者が目撃したロシアの陸軍省の大臣の娘、チェル二シェフ王妃もショパンの弟子で、ショパンはプレリュード op.45 を献呈したとある。



次に登場する曲は、ショパンが着替えに隣の小部屋に行っている間に著者が挑発をかねて弾き始めたベートーベンのソナタ作品26。



ショパンはこれを聴いてワイシャツ姿のまま飛び出してきて美しいと褒めた。

このベートーベンについて著者と語ったショパンは、誰もがその人しか出来ない演奏スタイルというのがあるということを知っているし尊重していたことを伝えている。

著者がロマン派時代の前にベートーベンが先駆けしていたとショパンに教えた、ベートーベンの弦楽四重奏曲第11番。中でも第三楽章のスケルツォがショパンのマズルカやファンタジーにあるものを先取りしていたらしい。



第三楽章だけの動画は無いので、上のは全楽章のもの。

著者がパリでのショパンの評価を高めたと言っている、マズルカ作品50を聞いてみよう。



アンナ・フェドローバの演奏動画があった。どこかで聞き覚えがある曲だ。

次に著者がショパンのマズルカにある展開を先取りしたものとして、ウェーバーのソナタハ長調を挙げている。作品番号は記されていないが、ソナタ1番がハ長調だった。



動画ではないが、キーシンの1996年の公演の録音があった。映像が無くてもすばらしい演奏なのは聞くだけで明らか。

著者が次ぎに挙げたのが、ショパンのノクターン作品9-2で、良く知られたポピュラーな曲。ノクターンを生み出したジョン・フィールドの作風から、ショパンが芸術へと発展させた記念碑的な曲。卓越したピアニストでもあった当時のプレイエル夫人に献呈された。



この曲には個人的に思い出があり、若い頃に最初の国産32bitマイコンを展示会に出す際のデモシステム開発の一担当だった時に、企画した先輩社員のM主任がリットーミュージックから紹介された会社にMIDIの曲データ製作を依頼した。会社といっても音大出と思われる若いご夫婦の会社で作曲と演奏は奥さんがデータ打ち込みと編集は旦那さんだと思われるが、できあがった曲の一つにこのノクターンが入っていた。

普通に楽譜からMIDIに打ち込んだだけでは音楽的に聞こえないので、おそらく奥さんがMIDIキーボードで演奏したのをキャプチャして旦那さんが編集したのだと思われる。

2回目の展示会ではこのために特別に編曲した「おもちゃ箱ひっくり返しちゃった」という良く知られている「猫踏んじゃった」のテーマをベースにテレビやお茶の間で良く聞くメロディーをレミックスした楽しく愉快な変奏曲が提供されました。初日に期待を込めてご夫妻が様子を見に来たところ音量がぎりぎり聞こえる程度に押さえていることに激怒して帰ってしまいました。仕事を依頼したM主任が後で宥めるのが大変だったようです。当時は電子部品の展示会はパネルと説明員が居るだけの静寂な展示が常で、音を鳴らすなんていうのは前例が無かったのです。展示会最終日は大きな音で鳴らしたそうです( ´∀`)

同じく開発を担当していた先輩S主任は音楽愛好家で知られていて、ギターも弾くしキーボードも弾く、家に食事に招かれた時にヤマハのエレクトーンが部屋にあったのを覚えている。それでどこからか手に入れたのかそのノクターンの楽譜を持ってきて、自動演奏用のサンプリングシンセサイザーで練習を始めた。しかしこの曲は易しく聞こえるけど、弾くのは難しいだろうと予測していた。その後弾けるようになったかは謎。

開発中に企画担当のM主任の車で工場へ送ってもらう際にM主任の趣味が当時流行りだしていたDTMだったことが明らかに、しかも車中で流れていた曲はM主任の作曲だということも判明(まだCDが無かった時代なので、カセットテープ録音)、同乗した奥さんからの評価は低いみたいだったけど、確かにどんな曲だったかも記憶にない。それで今回の開発企画はM主任の趣味と実益を兼ねていたのだと確信。

その後S主任も私も転職して何年かして再開した時にS主任がエッセー集を出版していてその中のエピソードの一つに上のデモシステムの時の事が書かれていると教えてくれました。私も登場しているらしいです。

さてショパンはこの曲が嫌いだったと著者が言わせている。それは本当だろう。著者はこの時に貴重なショパン直筆の異稿を書いてもらっている。

著者はジョルジュ・サンドと初めて会う場で、再びウェーバーの「舞踏への勧誘」を弾いている。

当時ショパンを囲っていたジョルジュ・サンドとも著者は真っ向勝負している場面が面白い。当時のパリの社交界の流儀というのが良く伝わってくる。

リストは「かわいそうなショパン」とジョルジュ・サンドに囲われの身になっている姿を哀れんでいたが、著者はその哀れな一面を目の当たりに見ることになる。

その後著者が目撃したマイアベーアとショパンの論争に出てくるレッスン曲が、マズルカ作品33-3 ハ長調である。



しかし確かにwikipediaではこの曲になっているが、著者が書いているように悲しい雰囲気はまるでない。

3番はショパンにしては珍しいハ長調だけど、弾きにくいのか異稿が存在するのか、ロ長調のものも良く見かける。そちらはもっと明るい。

どちらかというと著者がマズルカの墓碑銘と呼んでいるのは、良く弾かれている4番じゃないかと思われる。



掲載されている譜面は3番のものなので、論争が起きたのは3番には違いない。

次に登場するエピソードは、ショパンやジョルジュ・サンドが後継者として期待していた、グートマンという弟子の話。著者やフィルチ少年はそれを認めることが出来なかった。ショパンの大いなる勘違いだった話。ショパンが弟子のグートマンに献呈した曲が、スケルツォ第3番作品39。



かなり和音が力強い曲という印象。Youtubeにはプロからアマチュアまでいろんな人のがアップロードされているけど、どれひとつとして同じ演奏というのが無いね。難しいのかな、それだけに一度取り組むとやみつきになるのかも。

これらは少なからず演奏を学ぼうとする者や教える立場の者にとっても貴重な話だろう。

誰かこの本を元にドキュメンタリー映画とか作らないのだろうか?迫真の演技が求められるのは確かだけど、観てみたいものだ。

この本の原書が出版された19世紀から100年以上たった20世紀末にフランスで翻訳され、訳者が留学中に与えられた研究課題の題材として最初に出会ったと前書きで書かれている。

まるで100年間も歴史のタイムカプセルにしまい込まれていた当時の出来事が現代になって開かれて光を得た感じだ。

著者はショパンを囲っていた当時の流行作家のジョルジュ・サンドの作品は時代が変われば忘れ去られるだろうが、リストとショパンの残した作品は時代が変わっても価値は失われず語り継がれていく言い切っている。それは今でも正しい。

まだまだ連休中に読む予定で購入してご紹介しきれない本がいくつかあるのですが、次回に紹介できれば幸いです。

んじゃまた。
webadm
投稿日時: 2017-5-28 21:31
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登録日: 2004-11-7
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Re: ピアノ教本
ふう、「大人のための独習バイエル(下)」の STEP2 に取り組んで早3ヶ月近く経ちますが、まだ全曲は仕上がっていません(´Д`;)

以前は大部分仕上がって、あとは課題曲だけ難しくて仕上がりが遅れていたのですが。

バイエルの70番あたりに入って挫折する子とかピアノ止める子とが多いという本当の理由がそうした停滞の原因を突き詰めることでわかったような気がします。

下巻のSTEP1で上巻の時の静かな手(5度圏固定)の制限が無くなり、6度もしくは8度圏に指を拡げる程度ですが、ポジションの移動には変わらないので慣れが必要で、3ヶ月もかかったわけです。

WALKMANで録音したSTEP2の最後の頃と通奏を聞くと、良く弾けてるなという感じがします。

それに比べて STEP3 は雲泥の差(´Д`;)

STEP3 は STEP2 とどこが違うのでしょうか?

それぞれの曲の演奏時間は長いものでも1分以内で、1分以上のものがあった STEP2 よりは短いものばかり。

確かに STEP2 ではトリルだけでしたが、 STEP3 はトリルとトレモロのどちらも出てきます。トレモロは慣れるのに苦労したよね。

それだけだったら苦労はしないはず。

譜読みの段階や運指確認の段階で見落としていた要素が多々あったことに後になって気づいたのが敗因(´Д`;)

そんなこんなを具体的に各曲別に感想を述べたいと思います(まだ仕上げの途中ですが)。

一言で言えば、バイエルの70番代で挫折する真の理由は、ピアノ演奏の本当の難しさを実感する段階だからだと思います。

厳しい先生ならこの関所は容易に通してもらえないでしょうから、何年もここでとどまってしまう生徒も出てきてしまいます。子供だと理由が分からず止めてしまう原因になると思うのですが、大人なら疑問を持って質問したり、うまく弾けていない原因を自分で考えたりして乗り越えてほしいところですが、そうでないとやはりそこで一生を終えてしまうかも。

59番 Allegretto c-dur

3拍子の古典舞曲な感じ。右手は大部分ポジション固定で5度圏内を弾きますが、左手はほとんど分散和音(アルベルティバス)を弾く感じですが、指拡げでポジション移動の頻度が多いです。

左手の分散和音を観ると、ハ長調の C(ドミソ) と G(シレソ) が交互に現れているのが観てとれます。これは典型的なコード進行(I-V-I)パターンです。G は基本和音(ソシレ)の根音ソを1オクターブ上にした第一転回和音だというのをこの機会に覚えておくと良い感じ。

下に2度、上に2度指拡げが出来るようになると、片手で弾ける和音の種類が基本和音の I 以外に II, V, VI, VIIが加わります。

この段階から音楽理論の基本を並行して学ぶと良いかも。

さてこの曲のどこが難しいかというと全体を通して左手と右手の並進行(parallel motion)、反進行(contrary motion)、斜進行(oblique motion)すべてが1小節毎に登場する点だと思われます。

最初は後半に怒濤の様にそれが現れるのでそこで躓くのですが、実はそれ以前からそういう曲だというのを見落としていたというのが敗因(´Д`;)

後半の怒濤の部分がなんとか弾けるようになると、それ以前のところでも時々間違えるのはそれが原因。

2ヶ月ぐらいしてそのことにやっと気づく(遅)

そうとわかれば、そのための練習曲なんだと目的がはっきりするので取り組み方も違ってきます。

バイエルさん良く考えているよね。

なので、この並進行、反進行、斜進行が間違いなく弾けるまではデュナミークとか考える余裕はありません。考えたとたんタッチが狂ってミスしまくりな惨事になりかねません。

各小節毎に、「ここは反進行ね、次は並進行、その次はまた反進行、。。。」という感じで分析して覚えておくと良いかも。

「大人のための独習バイエル(下)」ではこの曲のメトロノーム値はかなり速めな数値になっている感じがします。でも最初はゆっくりでないと前述の理由でミスが絶えません。

デュナミークに取り組む時には、クレッシェンドやデクレッシェンドは予告みたいな感じで早いタイミングで記載されるので、そこでびっくりしてタッチを急に変化しないように気をつけましょう(´Д`;)

ついつい f(フォルテ)や p(ピアノ)みたいに、そこから変化させてしまうのですが、クレッシェンドが現れた時点では弱いまま、デクレッシェンドが記入された時点では強いままでそこから指数関数的に変化させる感じ。

そういえば、f, p は昔は f. p. と省略語を表すピリオドが付いていたのね、やがてピリオドは省かれて f p だけになったみたい。

本当は譜読みの段階で演奏記号についても分析してどういうタッチで全体を弾けばいいか考えるのが良いけど、導入が終わってまだ日も浅い段階ではすべて同時期にこなすのは難しいので、ひとつひとつ段階的に分けて、優先順位の高いものから攻略するのが良いよね。

STEP1 だとお休みの日1日で15曲譜読みと運指確認が出来たので、翌日から通しで弾き始めることができましたが、STEP2 では譜読みと運指確認が最初の2曲しか出来なくて(難しくて)翌日は2曲しか通しで弾けませんでした。

参考になる演奏動画は少なくて、やはり以前に紹介した大学のビデオ。



上級者がバイエルを弾いたらこうなるという例でしょうか。アゴーギクを使ってテンポを揺らしています。自然でうまくいっているようです。


60番 Comodo a-moll

3拍子の古典舞曲。aで始まってaで終わるので、ハ長調の平行調であるイ短調。

なんとなく物憂げな感じがするよね。そういえば、ショパンの物憂げなワルツもこの曲と同じイ短調。調性というのはこういうことなのね。

出だしの部分を聞くと、子供の頃にテレビで良く観ていた「魔法使いサリー」の主題曲の出だしを思い出しました「マハリス・マハリタ・ヤンバラヤンヤンヤン・・・」

Youtube とかでもバイエルのこの曲は良く見かけます。海外では"Round Dance" とか "Circle Dance"という題名で親しまれているようです、ショパンの物憂げなワルツも「華麗なる円舞曲」と呼ばれるぐらいだから、そこから来ているのかも。

魔法使いサリーの作曲は小林亜星、テレビに良く出演してドラマ「寺内貫太郎一家」で主役の父親役で出ていたのが印象的で、CMやアニメで超有名な売れっ子作曲家だというのを知ったのは後の話。医学生時代に音楽好きが高じて転部したのが親にばれて勘当され、卒業後に就職したものの、音楽の道を目指す決意をして辞め、服部正に弟子入りしたというユニークな経歴。

魔法使いサリーのうたもイ短調なのでどこか物憂げな感じがするのは納得。

この曲の特徴は中間部分が平行調のハ長調に転調していること。物憂げな感じから、明るい雰囲気に色合いが変化します。最後はまたイ短調に戻るんだけどね。

ポジション移動が使えるようになると、こうした転調が自在に出来るので、演劇とかで使う舞台照明みたいな感じで、青から赤へスポットライトが変わり、また青へ戻るみたいな効果が得られます。

古典時代の曲では色調を変える手段として転調が多用されたようです。モーツアルトとかはめまぐるしく転調するので、演奏する方も大変みたいだよね。

それとこの曲には古典時代ではおなじみの対位法が使われています。右手が単独で始まり、一小節遅れて左手が加わり、右手が先にお休みに入ると今度は左手が先行し、右手が後から加わるという繰り返し。

良く覚えておかないと、緊張して右手と左手が最初同時に出てしまったり、大失敗を招きます(´Д`;)

右手、左手それぞれ休符が入るところではちゃんと音を切るように注意が必要。

それと最後は休符が無いので注意、うっかり早く音を切ってしまわないように(´Д`;)

こちらの曲はデュナミークが cresc. dim. として記入されていますが、意味は前の59番と同じ。 dim. がある小節は右手は四分音符一つで残りは休符であることから、左手の旋律に対するものだということがわかります。

dim.の後にfが来ることから、調性だけでなく音の強弱でも明暗をはっきりさせる意図が感じられます。

右手、左手ともに休符の前の四分音符が短めなスタッカートになってしまわないように注意。

ピアノ教室の先生のお手本演奏がありました。



もうひとつは、以前から参考にしているベテランの先生の動画の中にあったこの曲を題材にしてピアノの練習方法を伝授しているもの。



短い曲でもこんなにも研究の余地があるのだということを実感。

バイエルのこの曲は連弾曲ではないですが、日本の作曲家、三枝成彰が連弾曲にして初心者向けに書いたオリジナル曲を含めた曲集「バイエルであそぼう」を出版しています。プリマはほぼバイエル原曲のままですが、セコンダは三枝氏オリジナルの青い葉っぱとお月様という題名、イントロで鳥肌が立つぐらい印象的な作品に仕上がっています。



これを聞くと、プリマの子はイントロ聞いてびびりまくらないのかなという心配になります。


61番 Allegro moderato g-dur

調号記号は無いけど、低音部が gで始まりgで終わっているのでト長調。

4拍子ですが、右手は特徴的なリズムの音型の繰り返し、左手は最初から最後まで4拍子を刻むように分散和音を弾きます。

コード進行は59番と違って、低音部が g を保持音とするような感じで g が続きますが、高音部のメロディーとの和声的な関係によって、低音部のコードが影響を受けて変化するところがあります。

左手は g の分散和音で通したいつもりが、三小節目で右手のドシラが現れると、それまでの左手のソシレのままだと不協和音(ソラシドレ)になってしまうので、左手のシを2度つり上げて(suspended)ドにすることで回避していることがわかります。左手はコードで言うと Gsus4ということになります。

いろいろと作曲も大変だよね。和声理論の勉強には、右手のメロディーだけある曲に左手の低音部の伴奏を付けるとか、逆に伴奏が先にあって、それに合うメロディーを作るとかいう課題があるらしいね。

カラオケとかは演奏が伴奏だけなので、歌う時にはメロディーそのものを覚えていないと歌えないけど、うまい人だと曲聞いたことないのに伴奏に合わせて勝手にメロディー即興で歌いきる人とか居る。

なんの話だったっけ、ああ61番ね。

ちょっと変わったコード進行だけど、それに注意すれば間違わずに済むよね。右手がドシラの時は左手は Gsus4 という感じ。

最後が女性終止なので休符の前の音価を正確に。

参考になる動画は少なくて、やはり以前紹介した大学のビデオになります。このあたりの曲の番号は出版社によってオリジナルと異なった番号でアップロードされていることがあるのでことさら見つけにくいです。



これはちゃんと譜面通り dolce になってますね、そうなってない演奏がほとんどです。


62番 Allegro c-dur

3拍子で跳躍を繰り返す忙しい歌曲な感じ。

ハ長調だけど、2小節毎に転調を繰り返します。

コード進行で言うと C-Dm-G-C、典型的な I-II-V-I (1-2-5-1) で、中間の繰り返し部分だけは、G-C (V-I) が2回でて C-Dm-G-C (I-II-V-I )がそれに続いて繰り返し。

そうと解れば暗譜はし易いよね。

問題は跳躍だよね。

跳躍は小節毎に忙しく発生しますが、跳躍する前の最後の音はスタッカートでその後は休符なので、跳躍するのに十分な時間が与えられています。跳躍する小節の最後の音は短く切ってよいので指を鍵盤から離すと同時に休符の間にオクターブ上のポジションに移動して次の拍を待って弾き始めればいいことになります。

左手にはスタッカートは無いので、右手につられて休符の前の音の音価が短くならないように注意。右手は決まった音型なので、左手の音を最後まで聞いて弾く感じ。

最初はゆっくり間違えないように、拍をしっかり数えられるようなテンポで練習すると良いよね。

参考になりそうな演奏そしては、やはり以前に紹介した大学の先生の教材記録映像の中から



ちょっとやそっとでこの演奏の真似はできないよね。


63番 Allegretto g-dur

3拍子のユニゾンな古典舞曲。

これも基本は3拍子の拍を正確にテンポが極端に速くなったり遅くなったりしないように最初はゆっくり練習。

クレッシェンドやデクレッシェンドが一小節内で完結しているので、最初から意識するとリズムが崩れるという罠(´Д`;)

出だしは mf で中間の繰り返しが終わると f と p とくっきり感を出し、仕上げは長めのクレッシェンドでフォルテで力強く締めくくる感じ。

最後のコーダの部分では g の分散和音がスタッカティッシモになっているので、タッチを変える必要があります。私は指で鍵盤の上を払い落とす感じ(ひっかく感じ)で弾いていますが、はっきり聞こえれば人それぞれで良いかも。

最後女性終止なので休符を忘れずに。

もともとバイエルは連弾曲としてこの曲を書いていますが、「大人のための独習バイエル」ではプリマのみとなっています。

発表会とかで連弾曲としてこの曲が演奏される時にはバイエルオリジナルのものではなく、先に紹介した三枝氏の編曲による"むぎばたけ"が普通のようです。



発表会での動画もあるのですが、そちらは演奏事故ぽい部分があったりして気の毒なので、こちらをご紹介。

下のはバイエルオリジナルの連弾譜を演奏したもの。ワルツのリズムがはっきり出ていてオリジナルも捨てがたいよね。




64番 Comodo g-dur

調号はそうなってませんが、コード進行が G で始まり G で終わっているのでト長調ということに。

3拍子ですが、リズム的には古典舞曲ではなく、どちらかというと歌曲、それもアリアな感じ。

同じト長調で有名なアリアは、バッハのゴルドベルク変奏曲のアリアが有名ですが、それと感じが良く似ているのは同じ調性のおかげ。

そのためか、演奏記号も dolce で始まります。

どちらかというpかppぐらいの弱めで優しく歌う感じが良いのかも。

右手には同音連打と、シンコペーション、スケール、など小節毎に変わる忙しさ。
左手もそれに負けずにトリルとトレモロが小節毎に交互に現れます。


この段階でトリルとトレモロがしっかり途中で疲れることなく引き続けるコツを習得しないといけないことに気づかされます。

指先も大事ですが、指が自由に上下出来るようにそれをサポートするように手首や腕も心持ち回転(ローテーション)すると疲れずに済みます。

右手の同音連打は、スラーで繋がっているので、2つの指で交互に鍵盤を撫でる感じで弾くと、dolce とスラーの双方の要件を満たすことができます。

問題は左手のトリルやトレモロが右手より目立ち過ぎないように手加減するのが難しい点。

これは一朝一夕では出来ないよね。そう覚悟した方がよさそう。

幼少の頃から何年も練習してレッスンに通って居る小学生に、初めて数ヶ月の大人が太刀打ちできるわけが無いよね。

やっぱりレガートと左手の強弱のコントロールが両立するには数年はかかと覚悟した方がよさそう。無理に強化練習しても故障するのが見えているし。

それでも日々の練習の積み重ねの効果は実感しているので、朝の最初にやっている「Pianoprima exercises」のメニューも、それまでは加減とか考えずに早いテンポで弾ききることしかしてなかったけど、一番難しいピアニッシモで安定して弾けるように耳をダンボにしてゆっくり弾くように変えました。

右手の方はさすがに利き手なので強弱の加減は左手に比べるとまだましですが、左手はふにゃふにゃなので思ったタッチが安定してできません。

それと気になるのが、休符だけの最後の小節。音はそのひとつ前の小節でで終わっているので、その後に休符だけの小節を書く必要はないはず。

テンポの速い曲だと、急に始まって耳が追い付いてきたときには急に終わってしまって印象に残らないので、1小節最後に耳が追い付くための余韻を与える時間という解釈が普通ぽい。

ベートーベンとかの曲にも同様の休符だけの小節に更に謎めいたフェルマータ指示があるという例があるそうです。

文章でいえば、ピリオドとそれに後続する空白みたいな感じかな。

ちなみに最後の小節の繰り返し数1は、バイエル初版本には記載されていないので、著者が独自にオーケストラ譜とかに良く表れる、楽器のパートが演奏されない部分については休符だけの小節が続くことになるので、省略記法として繰り返し小節数を中央に記載する例を示していると思います。

手元のデジタルピアノはYAMAHAのP-115という数年前に出た現行モデルですが、鍵盤は据え置きタイプのアリウスの上位機種と同じ GHS 鍵盤で、アップライトピアノのタッチを実現しています。なのであまりそっと弾くと音が出ない(´Д`;)、ピアニッシモを安定して出すのは超難しい。時々音が抜けるのよね。Pシリーズはアリウスの本体だけ可搬にしてステージやスタジオに持ち込めるようにしたモデルな感じ。

Youtube でも時々 P-115を使って演奏動画を見かけます。海外のピアノのベテランの先生だけど、デジタルピアノの演奏動画がアップロードされていました。普段の生ピアノを弾いている時よりかなり慎重にかつ丁寧に弾いているのが観てとれます。それだけにタッチが難しいのかも。



この手のポータブルデジタルピアノはステージやスタジオでライン出力を使用してアンプで拡声やレコーディングを行うことを前提としているので、内蔵スピーカーの出力も据え置きに比べて小さく、最低限に押さえられています。

別の動画では、インドの音楽学校のピアノ課の先生のもので、良く観るとボリューム設定が最大になっています。実際それぐらいにしないとピアニッシモからフォルテッシモまでのメリハリを出すことが出来ないのも事実。これを観てからはタッチの差を聞き取れるように自宅のP-115 もボリューム最大にしています(たまにミスタッチで大きな音が出る時はびっくりしますが、それも耳の訓練のため)。



P.S
良くみたらこちらはP-105でひとつ前のモデル。ほとんど同じなのですが、デザイン上の違いとして、P-105ではメーカーログが左側にあるのに対して、P-115では中央に位置しています。P-105は工業デザイン上はいいけど、ピアノで大事な鍵盤の中央を示すメーカーロゴが中央に無いという間違いを犯していたので、P-115で修正された模様。

他の動画ではボリュームをオフにしているので、やはり内蔵スピーカ出力ではなくライン出力から直接録音するようになったのかな。

たぶんにクラッシックピアノ向けではないけど、現代のポピュラー曲とか流行のニューエイジとか聞いて大人になってからピアノを弾けるようになりたいと思った人にはかなり刺激的な内容かも。先生だけあって、ちゃんとタッチの基礎はしっかりしているから、誰もがそのレベルにすぐに到達できるということは無いんだけどね。

たぶん今の状態では生ピアノでも同じ状況になると思うので、生ピアノはたぶん一生弾かないけど、デジタルピアノはちゃんと弾けるようになりたいでちゅ。

バイエルはこの曲を連弾曲として書いていますが、発表会で演奏される時には、オリジナルではなく先に紹介した三枝氏の編曲による"みんなでかりいれ"が定番のようです。



ちなみにこちらはオリジナルのバイエルの連弾譜を演奏したもの。同じ曲の連弾動画でも三枝氏の編曲であるとは書いていない場合、三枝氏の編曲によるものがあるのでオリジナルと勘違いしないように注意。



いやはや同じテーマーでも編曲によってこれほどまで違う曲になるのかと驚かされます。というか三枝氏の編曲がすごすぎ。


65番 Moderato c-dur

ここでようやく長いスケールを使った曲が登場。

対位法で右手が旋律、左手が伴奏の後に役割が交代します。コーダはスケールの反進行の繰り返しになっています。

これも片手のスケールの基本が地についていないと毎回ミスを誘発する原因になります。

最近ようやく指くぐりに不安が無くなったので安心して取り組めるようになりました。以前にいろいろなアプローチがあるのを紹介したけど、その中には無かったけど、その後読んだホフマン著の本のQ&Aの中にあった問答がヒントになりました。指くぐりの際に掌を内向(以前アレキサンダー・テクニークの本に出てきた)させるのがみそ。今まではその逆をやってて、肘が外に出すぎたり親指が痛くなったりどうにもまずかったのです。人によって違うアプローチがあるけどね。

sempre legato とあるので、終止レガートで弾く必要があります。最初は片手づつゆっくりと(レガートが難しくなるけど)音をつなげるようにしてからテンポを上げていく感じ。

後半のスケールの反進行は意外に楽です。反進行だと運指が左右対称になるからです。

よくスケールの練習メニューとかだと、反進行と並進行を繰り返すのがあるよね、並進行が難しいね。

参考になる演奏を探すと、アマチュアの方の演奏が癖が無くよさげでした。



ピアノ初心者でバイエルから始めましたと書いてあるけど、絶対に子供のころしっかり稽古しているよね。初心者がこんなに流れるように弾けるわけがないし。バイエルから再開組と思われ。


66番 Allegretto c-dure

六拍子だけど、著者がワンポイントアドバイスに書いてあるように六拍子は元々は二拍子を三連符で均等割りしたもの。早いテンポで二拍子の拍感覚が出るようにアクセントを付けると良い感じ。

ハ長調で、コード進行を観ると基本は C-F-C (I-IV-I)とC-G-C(I-V-I)の組み合わせですが、FからCへのコード遷移の際に次の小節のCの和音の gの音だけ前の小節の最後に先行して弾かれるというところがあります。これは和声理論では先行音とか呼ばれているものです。

慣れればいいのですが、それまでは意識しすぎるとそこで手が固くなって必ずミスするという罠。

繰り返し部分の最後が女性終止なので、繰り返しに戻る際に拍を外さないように最初は拍を数えながら練習すると良いかも。

最後の音は長くならないように休符をしっかり守って。

この曲もデュナミークが一小節内で完結しているので、右手か左手かどっちを加減すべきか最初に考えて置く必要があります。それと慌てないように。

この曲は著者が演奏を人前で披露するレパートリーとしてお勧めと書いてあります。確かに弾き心地も良いし、聴き映えもいいだろうなということは予想できます。しかし、タッチが安定してからね。ピアノの先生によっては、良いと言うまでは人前で弾くことを禁止しているようです、聞く側はどのようにとらえてもいいし批判するから、まだその心の準備が出来ていないうちに心ない批判にさらされるとどうなるかは想像が付きます。

聴き映えが良い曲なのでどれでもよさそうだけど、ピアニストのクリストファー・ブレントは癖の無い模範的な演奏をアップロードしています。



ペダルを使っているのな。



67番 Moderato c-dur

アウフタクトの二拍子のマーチかな。バイエルは教本以外に、バイエル親子二代で世界中の国家や愛唱曲をピアノに編曲した曲集を出版していることで知られています。この曲はそうした得意なジャンルならではの一品。

テクニックとしては右手の6度の重音のパッセージが課題。6度は指が届くけど、手指を固定したままにしてしまうと運指が変わるところでミスが出るので、音を出す瞬間だけ固めて、直後すぐ緩めるというのを繰り返し。

曲風としては古典時代に数多く作曲されたmusetteぽい感じがするよね。特に低音部の歯切れの良いスタッカートは、バッハの有名なmusetteを彷彿させるよね。



繰り返しもアウフタクトで始めるけど、拍としては繰り返しの最後の続きなので拍感覚が狂わないように注意。

参考動画でよさそうなのは少ない中、以前にも紹介した大学の記録教材シリーズの中から



初心者は真似をしてはいけない上級テクニックのアゴーギクを駆使した演奏なのでテンポが伸びたり縮んだりしています。真似をしないように。左右のバランスが良いよね。

個人的には自分で易しく弾けるようになるまでは、自分独自の解釈を優先するように他人の演奏は聞かないしようにしています。

一応手元にはユニバーサルから出ているクリストフ・エッシェンバッハのCDは持っていますが、仕上がった後に自分の解釈と比較するために聞く程度です。

68番 Moderato g-dur

四拍子の短い曲。STEP2にも似たような短い曲があったよね、短いからと言って油断は禁物。

右手が3度の重音のみのパッセージ。2つの指がびっこを弾くと台無しになってしまいます。

指先に神経を集中すると運指がおろそかになってミスする罠。

対位法ですが右手は休符が無く拍に音を正確に乗せる必要があります。

左手は休符があるので、ちゃんと守って小節をはみ出ないように注意。かといって早く切りすぎてもだめ。

右手が入るタイミングと左手との間の交換のタイミングを間違わないように。

69番 g-dur

これは前の68番と組だね。テンポ表示が無いので、メドレー曲という感じ。実際、Youtubeとかにアップされている場合も組で演奏されている。

前の曲と右手と左手の役割が交代したのと、コーダの高音部が同じ g
でも転回和音に変わる点に要注意。

お手本というと、先に紹介した二者の動画になるわけですが。



こちらは手元がはっきり見えるので、ちゃんと音を切っているタイミングとか入るタイミングとか見えて参考になります。けど音が良くないですね、カメラのマイクで拾っているのかな、ちゃんとしたマイクで録音した方がいいと思います。

ちゃんとした機材で録音していて良い音なのはこちら。



残念ながら手元がはっきりしないのと、音を切った時に無駄に鍵盤から指を離していない点が前者と演奏スタイルが違いますね。

70番 Moderato g-dur

これも先の68番と69番のように重音と単旋律の対位法の曲。コーダの部分がシンコペーションしていてリズムが難しくなっています。

最初このコーダの部分がなかなか弾けるようにならなくて苦労しました。アクセントの付く強拍の音がスタッカティッシモなのも注意。

71番 g-dur

バイエルの初版本では69番と同様にテンポ記号は書いてないので組となる70番と同じと解釈できますが、「大人のための独習バイエル」では何故か71番にも70番と同じテンポ記号が記載されています。

右手と左手の役割が70番と逆になるだけではなく、コーダの音型が異なりますがリズムは同じです。

これも前と同じ二者のお手本演奏を紹介します。





前者は最初から最後までペダルに足を乗せていませんのでペダルを使用せずにレガートで弾いています。後者は明らかに最後の72番でペダルに足を移動して演奏終了時に鍵盤から指を離した後しばらく倍音の響きがしているので最後にペダルを離している感じ。

72番 Comodo g-dur

3拍子ですが舞曲と言うよりも歌曲という感じ。ドイツ風の元気が良い歌声が聞こえそう。

だいぶ長いことここのトレモロとトリルには泣かされました。3ヶ月近くになってようやく拍子を数えながらトレモロが弾けるようになりました。

しかもデュナミークがあるので、フォルテの音を出そうとするとせっかく弾けるようになったところがフォームが崩れて元の木阿弥(´Д`;)

デュナミークはとりあえず諦めて出始めの dolce からピアニッシモで弾き通すことに専念してようやく安定し、その後でデュナミークを付けることが出来るようになりました。

トレモロが左手から右手に切り替わる時とかタイミングが遅れたり、トレモロとトリルが切り替わるところも間違いが絶えませんでした。

演奏時間にすれば45秒ぐらいですが、短いとなめてかかると負けます。

重音のトレモロやトリルが苦手だった頃は、まずエンドゲイニングを止めて(トレモロやトリルを弾くのを諦める)曲想を失わない範囲でトレモロとトリルの部分は拍の上の重音だけ弾いて、単旋律部分は間引かず全部弾く形で安定して最初から最後まで弾けるように練習しました。

拍を数えながらトレモロとトリルを間引きで弾けるようになったら、間引いた部分を弾くように練習。これはすぐに弾けるようになりました。

全体の流れは覚えているので拍も乱れずに時々ミスがある程度。

懸案としては、低音部と高音部のバランスが悪い点。これは左手のデュナミークが出来ていないのが原因。右手が左手より控えめになるという逆の状態。

左手のフニャフニャ君をなんとかしないと。長期的に考えよう。


73番 Moderato c-dur

これで STEP2 の最後の曲。4拍子の典型的な器楽曲。歌うには適さない音型から始まります。

中間部に半音進行のパッセージを間に挟んで後半は前半とはまったく様相の異なるパッセージとコーダの反復で終わります。

コード進行はC-G-C(I-V-I)の繰り返しで変わらないのですが、音型を3部でまったく違うものにすることで飽きのこない曲になっています。

これまでの曲みたいに最初のテーマーが最後に再現するという形式ではないので、練習を三カ所それぞれ行わないといけないという面倒くささがあります。

それぞれ部分練習しても通しでやるとつなぎの部分でミスするので、つなぎの部分も部分練習してと時間がかかります。

それでも曲の構成を頭に入れておけば、攻略手順も自ずと頭に浮かんできまが、それだけではありませんでした。

この曲の難しさは単にテーマが再現しないとか、3部がそれぞれまったく音型が異なるとかそういうことではないのです。

出だしは易しそうに見えますが、右手は2度と3度のインターバルの組み合わせのパッセージですが、左手も3度と2度のインターバルの単旋律で拍の上で右手と左手が同期しないといけないのでどちらかが拍の上でミスするとそこから一気に崩れてしまいます。

暗譜で弾けるようにする必要があります。譜面を観ながら弾く場合には、今弾いているところではなく次に弾く強拍のところに目をやって、次の運指に備える必要があります。

中間部では右手は半音階進行ですが、左手は弾く音符の数はまばらなもののポジション移動とかがあるので、予め心の準備とポジションの移動の準備をする必要があります。

後半に重音のパッセージが出てきますが、重音を弾く指先ばかりに注意するとポジション移動のタイミングを逸してしまいます。途中休符があるのは、そのタイミングでポジションを先に移動しておけという作曲者の指示みたいなものです。もし休符が無いと初心者には演奏が難しいものになってしまいます。

単に部分練習を繰り返すだけの頭を使わない機械的練習では克服できない難しさがこの曲にはあります。

前に紹介した本「ミスタッチを恐れるな」の後半の始めにネガティブスペースという題でこの種の難しさについて述べています、おそらくその点について具体的に核心をついた事を文章にしたのはこの本ぐらいでしょうか。

その部分を抜粋して引用すると

引用:

ネガティブスページ
ときに、注目に値するのは音符そのものではなく、音符と音符のあいだの物理的空間の場合があり、これに気づくことでブレークスルーの発端とすることができる。

美しい刺繍をほどこした布が手元にあるとしよう。「表」には、細部に渡って表現されたイメージがはっきり見える、ところがこの布を裏返してみると、不揃いで混沌としたジグザグの糸があらわれる。ただしご承知の通り、見えているのはほんとうの混沌ではない。これはネガティブスペース(対象物の間にある空間)であり、刺繍のひと針から次のひと針へと糸がつながっている模様だ。美的に磨き上げられた結果を生み出すためには、布の両面どちらも欠かせない。


本ではこの後に具体的な曲例を挙げて詳しく説明しているので興味のある方は入手して読んでみることをお勧めする。

お手本になりそうなもので、たまには既に紹介した以外の奏者のもので興味深いものを



演奏者は遅いテンポでの練習での通奏と通常のテンポでの通奏を2つつ続けている。この方は伸ばした指で弾くタイプの人らしく、終止指が伸びた状態で曲げた指で弾く人にとっては奇異に見えるかも。ショパンとかは伸ばした指で弾く人だったのでまあ、ガリバー旅行記に出てくる、ゆで卵を先のとがった方から食べる(little endian)と丸い方から食べる(Big endian)との間の論争みたいなものだと言っていいかも。

バイエル曲は終わりですが、「大人のための独習バイエル」には STEP2 の課題曲みたいのがあります。

課題曲 「威風堂々 第一番」より

これはエルガーの行進曲第一番に出てくる穏やかだけど堂々とした第二主題をベースに易しく編曲したもの。

これまでになく難しい点は、コード進行が半小節単位だということ。普通の基本和音だけでなく、それ以外の他の調からの借用和音ありで、ちゃんと和声分析するには相当の知識と経験が必要な感じ。

それでもト長調で、基本は G-C-G (I-IV-I)だけど要所では7thコードで代用しているところがある感じ。

とりあえず調性音楽なので難しいことは考えずに、一小節一小節を覚えていく感じ。

左手は終止拍をとっているので左手を先に練習して、それに合わせて右手の旋律を乗せている感じ。

両手が同期したところで左手の重音と右手の単音とで3和音となるところがあるので、そこは音が抜けないようにしっかりと弾くしか。

右手はレガートでフレーズ内の音をつなぐ感じ。左手は拍を正確に刻む。

それでもこの曲の演奏時間は1分に満たないというのが信じられないぐらい長く感じる。

ちゃんと拍を数えながら通しで弾けるようになったのはつい最近のこと。

お手本と言えるかどうか謎だけど、この課題曲を演奏した動画を貼っておきます。



これだとちょっと原曲の堂々とした雰囲気が出ていない感じがするよね。初見で弾いたみたいな感じ。

原曲のピアノアレンジはいろいろあって、ちゃんとしたのは最初の演奏が難しい第一主題から始まります。後半に良く知られている覚えやすい第二主題が登場。

こちらはローランドのデジタルピアノの演奏。ローランドは音が良いね。



現役のコンサートピアニスト赤松さんの動画も紹介します。



使用しているピアノはショパン国際コンクールでも使用されているShigeru Kawai ですね。

赤松氏はCASIO のデジタルピアノ最上位機種である CELVIANO Grand Hybridを使用したコンサートもしていたり、今の時代のピアニストという感じ。CASIO は最上位機種でも価格は競合他社より低いのでお手頃感はあるよね。今はどこの最上位機種もグランドピアノのタッチを再現しているのでそれ以上のものはデジタルピアノでは望めないという感じ。

次は STEP2 を卒業できたらね。

んじゃまた。



webadm
投稿日時: 2017-7-2 21:55
Webmaster
登録日: 2004-11-7
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投稿: 3088
Re: ピアノ教本
ふう、蒸すね(´Д`;)

さて「大人のための独習バイエル(下)」のステップ2に取り組んで早4ヶ月経過しました。

3ヶ月では仕上がらなかったので1ヶ月延長したけど、その甲斐あって通しで15曲メドレーで弾いた後に録音を聞いて減点となるポイントも1点か二点ぐらいになりました。

総評としては、

・全体的にアーティキュレーションに課題が残る(特にデュナミークが明確でないところがある)
・左手が伴奏を弾く際に右手より音量が目立ってしまっている
・テンポが速過ぎる曲が見られる(特にdolce指定のある曲)
・dolce 指定の曲の音量エンベローブが滑らかになっていない
・拍と音価は正確にとれていてよろしい

まあ独学だし誰か先生に聞いてもらっているわけではなく、自分の耳が先生なんだけどね。

左手はふにゃふにゃなんだけどグランドピアノの音源は低音部の音量レベルが半端じゃないのでどうしても大きくなるよね(言い訳)。
音量を下げようとするとかすってしまって音が出ないときがあったり。

丁寧に弾いているように聞こえるには、パッセージやフレーズ単位での音量のエンベローブに凸凹があってはだめなんだよね。かといって棒弾きはもっとだめだし、一朝一夕には解決しないので今後の課題だよね。

なのでいよいよステップ3に移ることに。

すでにバイエルを初めて半年以上たったけど、どうやら1年では終わりそうもないね。誰かさんは3か月で終わったとかいう伝説は聞かなかったことにしようね。全部で100曲以上あるから3か月というと一日あたり平均で1曲以上クリアした計算になるよね。

それでもここにきてようやく、一度だけ録音を聞いていて誰か別の人が弾いているんじゃないかと錯覚するほど、丁寧に弾いているように聞こえたときがあったのが収穫。もう一回再現したいと思ってもまだできないんだけどね。

鍵盤を押してから底を感じて力を抜く(次の鍵盤を押すためにスタンバイ状態にする)というのが感覚的につかめてきたのが大きいかな。

鍵盤を押したまま指を休めるんじゃなくスタンバイする感覚と言った大人にはわかりやすいかも。

相変わらずボリュームを最大にしてヘッドホンで聞いて練習していますが、以前ほど突発的にコントロールを失って大きな音を出したり、逆にかすって音が出ないという事故が発生する頻度は少なくなりました。

さて、ここからはこれまで読んだ本のご紹介。

最初に紹介するのは、以前紹介した「ピアノ演奏法の基礎」の著者が師事した戦前から戦後の時代の代表的なピアニストであるギーゼキングとその師匠のライマーの共著「現代ピアノ演奏法」 井口秋子訳。



絶版のため中古本で入手。

名ピアニストであるギーゼキングには数々の伝説が伝わっていますが、その一端は本書でも明らかになります。

本書は著者名がライマー=ギーゼキングとあるように、ちょうどクラマー=ビューローとかのように、原作者と改訂者のような関係。

読んでみるともともとは師匠のライマー氏がそれ以前に発表した内容を一冊にまとめ、その内容を裏打ちするため最も優れた弟子であり当世を代表する名ピアニストのギーゼキングに序文を書いてもらったという感じ。

すでにギーゼキングは世界的な名ピアニストとして高い評価を得ているので、師匠と弟子の知名度が逆転したような感じですが、ギーゼキングが師匠から何を伝授されたかというのを知ることができます。

たぶん最も衝撃的な内容は、最初にすぐ出てきます。

それまでは読譜というと、弾き始める前の前準備みたいな感覚で、暗譜するのは止まらずに間違えずに最後まで通しで引けるように仕上がってからとばかり思っていましたが、違う人たちが居るようです。

なんとライマー先生もギーゼキングを含むその弟子たちも皆、最初に新しい曲を弾き始める前に読譜で暗譜してしまうというのです。

特にとびきり優れた生徒には優れた効果が得られると書いていますが、そうでない生徒でもそれなりの効果があるようです。

やり方は本書に具体的に書いてありますが、最初は短い曲(本書では初めて見る作曲家の練習曲やバッハのインベンション第1番)から始めるのが良いとあります。

多分に演奏の基礎は終わっている(一応譜面は読めるし、初見演奏ができるレベル)が対象ですが、基礎の途中でも試してみる価値はありそう。

個人的な経験では、最初に初めての曲を読譜後に運指確認で一度さらった後は、譜面をよく見ていなくても間違った音を弾いた時(正確には弾こうとした瞬間)にそれに気づくので、自分の中ではすでに覚えてしまっているか次の音を予測しているのは確か。しかし演奏する手にはそれが伝わっていない。自分の中にもうひとりの自分が居て、そちらは譜面を一度通して読んだだけで記憶してしまっているのかも。

その後読んだ別の本で、この読譜による暗譜を実践していたのはギーゼキングだけではなく、カナダの天才ピアニスト、グレン・グールドもそうだったというのを知りました。

ギーゼキングとグールドに共通するのは、現役の頃には毎日練習しなくても弾けなくなったりすることは無かったと明言している点。

普通の人は「一日弾かないと自分で気づき、二日弾かないと家族が気づき、三日弾かないと聴衆が気づく」という具合に、毎日練習しないとどんどん劣化していくのが常。

それはたぶんに普通の人は脳の運動神経領野で曲を覚える(体で覚える)からだろうと思うの。なので同じ運動をさぼるとどんどん要らないものとして脳内では神経ネットワークが再利用されて失われていく感じ。

それに対してギーゼキングやグールドは、体に記憶する前に脳の意識領野に記憶しそこから体に指令するというタイプ。なので最初から止まらないし間違えない。弾いていなくても、毎日その記憶を頭の中でイメージして反芻していればいつでも弾けるということになります。

ただすべてがそうであるとは言い切れなく、やはり天才的な彼らですら、猛烈に体で練習しないと仕上がらない曲がなかったわけではないのです。

大人になってから始めると体で覚えた記憶はすぐに失われてしまうので、頭の中にイメージとして記憶するという方法がよいのかもしれません。ちいさな子の場合には、それほどまだ情報処理能力が育っていないので無理ですが、小学生になれば、毎日たくさんの目や耳で入ってくる新しい情報を処理するようになるので、そうした力を最大限に利用しない手はないと思います。

本書で次に同じ方法で臨むべきなのが、代表的なソナタ形式の曲、具体例としてベートーベンのヘ短調ソナタ op.2-1が用いられて詳しく解説されています。

他に読んだ本でもベートーベンのソナタは無駄なところが一切ないあんこう鍋みたいなものだと称されています。それだけに一曲丁寧に読譜して暗譜すればどれだけ力がつくかわかるというもの。

本書を特徴づけているのは、先の読譜による暗譜だけではなく、その次に主題となっている「3. 自然な演奏」に書かれていることだと思います。

ギーゼキングは戦前と戦後の二つの時期で世界的に評判の高いピアニストですが、その特徴は譜面に忠実な自然な演奏を徹底していた点にあると思われます。

Youtubeとかでもギーゼキングの録音を聞くことができます。当時も今でも珍しくバロックから現代曲まで幅広いレパートリーを持つ稀なピアニストの一人ですが、演奏会では聴衆や主催者の期待する曲を弾かされることになり、本人が好きな作曲家は受けが良くないこともあって、次第に聴衆の期待に応えるプログラム構成に落ち着いたとギーゼキングの自伝に書いています。

実際ギーゼキングのように演奏することは普通はむつかしいのですが。ことバッハの曲に関しては、グレン・グールドが出現してから、譜面に忠実というより、独自の解釈を優先する演奏が期待されているように思われます。

でも基本はやはり譜面に忠実に自然な演奏だと信じますが。そう努力しても演奏者によってそれぞれ異なってしまうので、その中で個性を発見して音楽的に生かすのが良いと個人的には思います。

後半はテクニックに関して詳細な章に分けてそれぞれ議論しています。

やはりというかピアノ演奏の難しさは、さまざまなテクニックを適材適所に繰り出す構成力が求められる点にあるのかも。

初歩のレベルだと運指が不安定で時々びっくりするような大きな音がしたり、逆にかすって音がしなかったりとかいう低いレベルではこの種の議論は猫に小判なのですが。

伝説的な名ピアニストの中には、特別指の訓練のための練習はした覚えがない、曲に取り組む中で身に着けていったとおっしゃる方が少なくないのですが、凡人はやはり指の制御をちゃんとできるようにするのが筋で、本書でも指の訓練を避けてはいけないとも言っています。

最後に「ペダル」に関してたくさんのページ数を割いて、ありとあらゆるペダルを使用する機会に関する注意点やアドバイスが書かれています。

翻訳はやはり戦前と戦後の時代の日本のピアニストであり指導者だった井口基成の最初の奥さんだった井口秋子。離婚後に教授職に復帰して後進の指導にあたる。若いころに戦前にドイツに留学して研鑽しているときに出会った著書を戦後に「音楽の友」に翻訳して連載していたものを単行本化したもの。私が生まれる前の頃の話である。

次に紹介するのは、ギーゼキング続きで、今度はギーゼキング自身による自伝(戦前編まではギーゼキングの執筆、戦後編はギーゼキングの死後娘による補筆)、「ピアノとともに」杉浦博訳



本書の原題である第一章「わたしはこうしてピアニストになった」では、ギーゼキングの普通とは異なった生い立ちに驚かされる。

なんと子供の頃に学校に通ったことがなかったという話である。

父親の影響で、普通の子のように学校に通って学ぶということはなく、必要なことは父親から教わったとある。

またバイオリンについてはレッスンを受けていたが、ピアノに関しては誰からも強制されることなく、まったく困難もなく自分で曲を覚えて弾いていたということ。レッスンを受けていたバイオリンはまったく上達しなかったらしい。

まったく誰からも強制されることなくピアノの演奏を覚えたというのは、以前読んだキーシンと共通している。

そして父親のライフワークである昆虫採集の趣味を息子のギーゼキングも受け継ぐことになる。

ピアノに関して最初で最後の師匠といえるのが先に紹介した本の著者であるカール・ライマー教授である。

カール・ライマー教授にしてみれば、有望な弟子に恵まれた稀有の機会とあって、ギーゼキングが勉強を続けていくために必要な奨学金を受けられるように彼に代わっていろいろと遁走したらしい。

すでに演奏に関しては修正すべき点は無く、ギーゼキング自身も学生の身でありながら弟子をとって教えたり、声楽家の稽古のためのピアノ伴奏の仕事をしたりしていたらしい。

その学生の頃に偶然にドビッシーの曲に出会い、その後代表的なレパートリーとなることになる。

話は第一次世界大戦と第二次世界大戦の頃へと進む。

そこで兵役の年齢に達していたギーゼキングも徴兵検査を受けることになるが、その後彼が結婚をする際にドイツ国籍が無いことが判明。

この頃が若きギーゼキングの全盛期で才能を遺憾なく発揮した時期でもあり、名前が知れ渡ったときでもある。

師のライマー教授が画策してベートーベンのソナタ全曲を暗譜で演奏するという快挙を成し遂げた。

父親はこの偉業に対して、作曲家への道を塞いでしまったと反対意見を述べたという。確かにギーゼキングは作曲もしていて、曲も残されている。しかしその後の人生は名ピアにストであり指導者であるギーゼキングで代表されることは確か。

兵役についてから国籍が無いことが判明して重要な任務からは外れることになったが、それが幸いして、カフェやビアガーデンでポピュラー曲のピアノ演奏をする機会に恵まれた。報酬を受け取ることもあり、母親の家計を助けた。

ギーゼキングの父親は開戦後に逮捕され、貴重な蝶のコレクションも失われてしまい、ギーゼキングがカフェやビアガーデンで得た収入で家族は生き延びるしかなくなってしまった。

その後は音楽家と家計を支えるという父親に代わる大黒柱としての日々が続く。その中で、ようやく評論家や巨匠に認められる機会が訪れることになる。

世間に知られるると演奏生活が始まり、たまの休暇では普通のピアニストとは違って、ピアノに触れずに、蝶の採集に出かけるというのもギーゼキングらしい。

その後第二次世界大戦が勃発するまでの間、ギーゼキングはイギリスや合衆国に演奏旅行に行っている。ギーゼキングから見た、当時のドイツ、合衆国の状況が見てとれる。

ギーゼキングはあくまで音楽家として中立的な立場で自国や他国を客観的に見ていたが、戦後になると、両国の立場はうって代わって、戦敗国と戦勝国というコントラストに翻弄されることになる。

ギーゼキングはずっと弟子をとって教えていたことが書かれているが、戦後になって二度目の不慮の交通事故にあって自身も重症を負い、奥さんを亡くすまでの間に教えていた弟子のひとりが、以前に紹介した中山靖子だった。

ここまでの内容はギーゼキングが最初の交通事故にあって療養している間に執筆されたもので、戦前の頃までで終わっている。その後は演奏活動を再開して執筆している時間が無くなってしまったとある。

その後の戦後にギーゼキングの身に起きた出来事については長女のユタ・ホイマッシーが、ギーゼキングが残した小文を付け足したもの。

戦後に再び合衆国に演奏旅行に出たときの衝撃的なエピソードが書かれている。

戦勝国である合衆国は戦前とは様変わりしてしまっていた。戦敗国であるドイツ人には入国すら認めない、商業的な演奏など許すまじという一部の支配者層の声がまかり通る国になってしまっていた。

合衆国の聴衆は戦前と変わることなく、ギーゼキングの演奏を心待ちにしていたのだが、そんなことにはまったく関心の無い一握りの声を大にするのが得意な人たちによって、すべては台無しにされた。

すったもんだで入国だけは予定より遅れていくつか演奏会をキャンセルしなければならなかったが、そのあとカーネギーホールにまでたどりついたものの、再び入国管理局にとんぼ返りさせられ、結局のところそこでしばらく足止めをくらうことになるとわかって合衆国での演奏旅行を断念して帰国することになったという次第。

ユタ・ホイマッシーは、その後ギーゼキングが合衆国以外の日本を含む世界中の国で演奏旅行をしたことを書いている。合衆国で再び演奏をしたのは、

第一部の最後は、ギーゼキングが亡くなるまでの間の日常の過ごし方や家族との団らんについて娘から見た父ギーゼキングの姿が描かれている。

第二部は、ギーゼキングが折につ入れて書き残した音楽演奏に関する小文やエッセーを収録したもの。

その中に先に紹介した驚愕の練習方法とか練習習慣について書かれている。

読譜とか暗譜の際の異様なほどの集中力は最高度に高いものだったろうと想像できる。

グレン・グールドに関しても寝室に楽譜をもっていって、しばらくして出てきたら暗譜でそれを弾いていたという逸話が残っているぐらい。たぶんギーゼキングもそうしていたのだろう。

エッセーの中には練習方法だけでなく、ペダルの使い方、バッハの解釈の仕方、ドビッシー、ラブェル、ベートーベン、モーツアルトに関するものがある。いずれも一読するとギーゼキングの主義とか主張が明確に理解できる。

本書の巻末には、膨大なギーゼキングに関するリソースの目録が掲載されている。代表的な歴代作曲家の名曲に取り組み際の解釈例として参考になるだろう。またギーゼキング作曲による作品も掲載されている。Youtubeにはそれらを後世の演奏家が演奏した動画を見ることができる。

次に紹介するのは、ギーゼキングと並んで著名な、ヨーゼフ・ホフマンによる「ピアノ演奏・Q&A」大場哉子訳。

[img]/xoops/ピアノ演奏・Q&A.jpg[/img]

ちょっと変わった邦題だけど、元は Piano Playing という題名。

邦題の由来は、訳者まえがきにある通り、ホフマンが22歳の時に合衆国に戻った際に、”レディーズ・ホール・ジャーナル”誌の誌上レッスンの一環として読者からの質問にホフマンが回答する形で連載されたものを単行本化したものであるため。

既に絶版ということなので、中古本での入手。表装カバーも失われているので、元はどんなカバーのデザインだったかも不明。

読み始めてみると、表題の軽さとはまったく予想が違った。

1ページ1ページに必ず、目を見開かされるようなことがさらりと書かれているのである。

ホフマン自身はかなり真剣に毎回の連載記事を準備していたに違いないのです。

読む側はまるで、畳の上に正座してホフマンと向かい会って話を伺っているような雰囲気がしてくる。

まるで禅問答から始まるようなそういう中身の深遠さを感じさせる文章である。

訳した人もすごいと思う。

というわけで先に紹介した本よりページ数は少ないので、すぐに読み終えるかと思っていたのが甘かった。

1ページを読み終えるのに予想外に時間がかかった。というか簡単に読み過ごしていいのかと訴える何かが感じられるのだ。

本書には当時の二十台の頃のホフマン自身による模範姿勢の写真がいくつも掲載されている。

既にこのころには、本書の中にも綴られているように、ホフマンが師事した最初で最後の師匠である、巨匠アントン・ルビンシュタインから共演後に卒業宣言を言い渡されて、もはや一人で歩むしかなくなった孤高の域にあった。

たぶんに大人になってからピアノを独学するなりレッスンを受けるなりするときには必ず読んでおいたほうがいい内容が満載です。

読んですぐに役立つというのは少ないかもしれませんが、普通に直感的に一人で練習を始めると陥りやすい罠とかについてそれを避けるアドバイスがあったりします。それを見て、私はΣ (゚Д゚;)とすることがたくさんありました。

書かれているテクニックや曲の解釈については、今日では常識的になったものが多いと思いますが、本書が出版されたことによる長い年月による派生効果であるかもしれません。

その原点を知っておくのは価値があると思います。

次に紹介するのは、比較的新刊の国内本。

「ピアノが上手になる人、ならない人」小林仁著



表題につられてついポチッたたちなのですが、みんな誰しもピアノを始めるときには上手くなりたいと願っているよね。でもそうならないと判るときがやってくる。

本書が想定する読者は基礎が終わって専門的に上を目指そうとしている学習者かな。

題材として出てくる曲が中級から上級の曲がほとんどなのでそうだと思います。

けれども中級の曲に取り組む段階になって挫折する前に、読んでおくといいかもと慰めて読み始めました。

内容的には、譜読み段階や、演奏時の曲に即したテクニックやタッチの選び方、協奏の仕方、初見奏、とかで躓くポイントとそれの解決の仕方とかのアドバイス。

最後はピアニスト目指す人向け、音楽家を続けるための心構えが書かれています。

素人で趣味でピアノを弾き続けるときにも共通にあてはまる内容なので読んでよかったと思います。

またその後も進捗を見ながら再び読み解くことになると思います。

最後に紹介するのは、ここまではかなり演奏法とか練習法とかに関する本ばかりだったので、少し軽めの本も読んでみたいなと願っていたところで、たまたまお勧めリストにあった、「私のしごとはピアノ弾き(ドイツからのメッセージ)」上法奏著



普通の音楽出版社ではなく、著者自身も音楽会での名が知れているわけでもないけど、新しい本なのでとりあえず入手して、読書予定リストに追加。

ついに開いて読む時が来て、すぐに買ってよかったという感じがしました。

著者はドイツ在住で音楽院で室内楽の伴奏講師を務める現役ピアニスト。

今ではドイツの音楽院というとドイツ人の先生は少なくて、教授や講師は外国人が多く占めていることが本書から伝わってきます。

ドイツで音楽家として職を得るには、学生の頃にドイツの演奏家資格国家試験に合格する必要がありますが、著者はそれをクリアしています。それにヨーロッパのコンサートでも伴奏だけでなく、ソロ演奏もこなす実力の持ち主。

しかし資格はあっても職がなければ収入も無いので、日本に帰国するしかありません、日本に帰っても、国内はピアニスト過剰供給状態にあるので、よほどのコネや幸運でもない限り、個人ピアノ教師を始めるぐらいしかない状態。

本書の内容は、音楽家を本格的に目指すようになった頃の記憶から、ドイツに留学して卒業し、音楽家としての職を得て活躍する現在に至るまでの間に著者が知遇した第一線でヨーロッパの音楽文化を支えている人たちとの出会いや、そこで活躍する若い演奏家の卵たちの思い出部会エピソードが綴られています。

登場人物は全員実在する人で、お話も実話、ノンフィクションだけど、描写が今時の小説風でまるでその場に居合わせたような臨場感に引き込まれます。

読み終えて実感するのは、著者自身は決して自身についての評価は書かないが、周囲の人たちとのエピソードを読むについれ、かなりの実力のあるピアニストだということ。そうでなければ、職を得る好機やコンサート出演の機会は巡ってこないよね。住居のお隣さんたちも著者のピアノの演奏が聞けるのを心待ちにしているみたいだし。

あとがきでは、本書が単行本として出版される機会を得たいきさつが書かれています。

今風で、ブログに綴っていたものが出版社の目にとまって、出版することになったというもの。

あとがきの日付が10年前だから、それからもう10年。今も活躍されているのでしょうか。

ぜひとも若い人におすすめの本です。もちろん年寄りにも気持ちが若返る本としてお勧め。

んじゃまた。




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